何故自分はこんな所に来てしまったのだろうか?
なんて下らないことに悩むのはどっかのスーパーコーディネーターだけで十分だというのが正邪の信条であって、人生に迷ったり世の中に悲観したりするのは馬鹿のやることだと、無論今でも思っている。
「はぁっ、ハアッ、クソッ、何だってんだ!」
だからって、此度のこれは別格である。
どうして自分はこんな所にいるのだろう? 答え、分からない。
どうして自分はこんな風に草原を全力疾走しているのだろう? 答え、追われているから。
どうして自分がこのように情けなくも逃走しなければならないのだろう? 答え、天邪鬼だから。
それはいい。攻撃と逃走は天邪鬼の人生における全てと言っても過言ではない。だからそれはいいのだ、だが問題は。
「ねぇー、待ってよぉ―う!!」
待てと言われて待つ馬鹿なんて針妙丸以外にいるかよ馬鹿、と脳内で毒づいて、正邪は走り続ける。
問題は、そう。ここがどこだか分からないが、正邪にとっては地獄のような場所であるということだ。
あの地獄の看守よりも恐ろしい生き物に捕まったら、また先ほどのような脳味噌が馬鹿になる会話を続けざるを得ない。
あまりの不可解さに脳の細胞が一片残らずプリンとゼリーの混合物と化していくような、生きながらにして内側から溶かされていくような感覚。あれは、あんなものはこの世に在ってはならない。
愛少女ポリアンナだって少しぐらいはめげたり世の中を呪ったりするであろうに、あれときたら――
「ねー、お話ししようよ-。君は何のフレンズなの?」
「うるせぇ! 私は天邪鬼だ! 腐ってもテメェの友達なんかになったりはしねぇ!!」
「へー、君は天邪鬼のフレンドなんだね! すごーい!!」
何なんだ畜生! あふれ出る涙を拭いつつも、正邪はあれ――今、執拗に己を追いかけ回しているけもの――サーバルキャットのサーバルと名乗る地底のクソ覚り野郎にも似た安直命名生命体から逃げることしかできない。
「畜生、何故だ! 何故追いかけてくるんだ!!」
「狩りごっこでしょ? 私大好きだもん!! 負けないんだから!」
「うるせぇ狩りごっこなんぞ空飛ぶ赤い巫女だけで沢山だ! 狩られるほうの身にもなってみろってんだ!」
「大丈夫! 捕まえても食べないから!」
何故だ。何故あのような生命体がこの世にはおわすのだ。お釈迦様だって手の平に小便でも引っかけてやりゃあ、山一つぶん投げて圧殺を謀ってくるくらいには非寛容であるというのに。
「畜生、畜生!!」
正邪のプライドはズタズタだった。天邪鬼としての誇りは完膚なきまでに打ち砕かれた。光に満ちあふれた世界に一人投げ出された天邪鬼は、あたかも善意の海嘯に呑み込まれたが如くに無力だった。
自分が何故この「ジャパリパーク」とやらにいるのか。それを八雲紫による懲罰と判断した鬼人正邪はしかしへこたれなかった。
今が何時だろうと、此所が何処だろうと、天邪鬼のやることはたった一つ。
――汝、他人が嫌がることを進んでやれ。
それだけだ。それだけが天邪鬼のフレンズ――いやいや妖怪たる天邪鬼の存在意義であり、レゾンデートルで有り、つまるところここに在ることの全てであるのだから。
だから正邪はやってやった。やってやったのだ。
とりあえず会話の通じない黒い四足歩行の一つ目野郎は有無を言う前にぶっ殺してやったし、
山小屋に閉じこもって文豪を自称する引きこもりの間抜けには出鱈目の冒険譚を吹聴してやったし、
貯水のためだろうか? 雪山にてふさがれていた水道の蓋はぶっ壊してやったし、
無様な舞いを踊る五人組ユニットのライブでは、調子に乗って身の程を知らぬ天狗になってしまうようにべた褒めしてやったし、
如何にもスイーツをねだっているような世間知らずお嬢ちゃんがたには香辛料の塊を食わしてやったし、
マンネリ化していた小部族の闘争には血で血を洗う千年戦争が勃発するよう、新たな火種を蒔いてまわったし、
家が欲しい、などと調子こいたけものにはいずれ腐り落ちるよう、湿気の多い場所への木造家屋を提案してやったし、
謎の洞窟内ではアトラクションになりそうなものは全てぶっ壊してただの一本道にしてやったし、
クソみてぇな音痴野郎には身の程を知らしめるために自分の美声をさんざん聞かせてやったし、
ジャングルには何も知らない馬鹿が足をかけて溺れるよう、乗ったら沈む橋を用意してやった。
「あーはー!!」
ありとあらゆる限りの知恵を駆使して、鬼人正邪は悪意を振りまいて回ったのだ。
だが、その全ては無意味だった。
絶対たる優しさ、思いやり、尊敬、配慮、気配り、他人を尊重する態度は絶対不可侵の永久凍土めいた頑強さで以て、天邪鬼の悉くをはじき返して鉄壁だった。
誰もが正邪を褒め称えた。誰もが正邪に感心した。誰もが正邪のことを憎まなかった。
純粋なる賞賛の笑みはただただ天邪鬼のみを蝕み、死に至らせる病でしかないというのに。
「もしかして、道に迷ってる? よかったら図書館まで案内しようか?」
「そこはもう行ったわボケェ! 目ぇクリクリさせたアホウドリ二羽しかいなくて何の役にも立たなかったがな!」
「うわぁー!! あなた、もしかしてハカセ達よりも頭いいの!? すごーい!」
また、一撃。
また一撃食らった鬼人正邪の脳が、スプーンで掬われたババロアのように削り落とされる。
「そのすごーい言うのをヤメロォ!! 脳がいてぇんだよ!」
「なんで? だってすごいモノはすごいじゃない!」
「ぬぅがぁあああああぁぁっ!!」
「あ、もしかして身体が弱いの? 気にしなくてもいいよ。私だってよく皆から『全然弱いー!』とか言われるもん!」
「ヤァメロォロオォォォオオ! これ以上私を褒めるんじゃねぇ!」
畜生、畜生とそれだけをただ正邪は復唱する。復唱しながら、ひたすら全力ダッシュで逃げるしかない。逃げるしかできない。
畜生、なんでこの世界には悪意がないんだ。ほんの僅かでも、ほんの一欠片でも悪意があれば、ひっくり返してやれば事足りる。
善意は悪意と成り、悪意は善意と成って、この世の法則は全てそっぽを向いて迷走する。
だが、善意しかない世界はどれだけひっくり返そうともただ善意一色でしかない。
六面全てに六が刻まれているさいころは、どれだけひっくり返したって六の目しか出ないのと同じように。
「なんなんだ、なんなんだよ畜生!」
既にサンダルなどどこかで脱げてしまった素足、木の根も小石も無視せざるを得ない血まみれの素足で正邪は走る。
目の高さほどもある背の高い草をかき分け、押し開く手もまた擦れ、ささくれ、血が滲もうとも、正邪は走る。
畜生、これが間抜けどもに背を向けての逃走であるならば、正邪は毅然と胸を張れるというのに。
騙されたと、生かしてはおけんと。
人の良さそうだった顔を憤怒と恥辱で歪ませた愚鈍たちから罵倒と共に追いまわされているのであれば。
化けの皮が剥がれた善人気取りたちを引き連れ逃げるそれは正邪にとってのウィニングロード、錦が敷かれた花道に他ならないと言うに。
背中に浴びせあられる数々の罵倒、射殺さんばかりに鋭い、血走った眼光。怨嗟の呪詛を輩に逃げるが天邪鬼の生きがいであるというのに、これはなんだ。
「天邪鬼のフレンズってスタミナあるんだね! すごいよ! 私そろそろヘトヘトだもん」
悪意のない世界なんてないと、正邪はそう信じて生きてきた。
どれだけ善人面した奴だって、大衆の前で恥をかかせてやれば即座に変貌する。
そりゃあ狂信に命を捧げ、鋼の意思と言うよりも信仰の抜け殻と化した不変容な生き物も何度かは目にしたことはある。
だが、今正邪を追いかけているけものは違う。狂っているのでもなく、愚かなのでもなく、まさしく筋斗雲に乗るためにこの世に生まれ落ちたが如くに清らかなのだ。まるでどれだけ墨を落しても決して黒く染まることなどない清流のように。
風向きの微妙な変化を、正邪の髪の毛に隠れた短い角が感じ取った。
第三者が来る。だがこの感覚は人間でもなく妖怪でもなく、ましてやフレンズとやらのそれでもない。どこか幻想郷の妖精にも似た――
「クソッ!!」
とっさに霊力弾を放つ。正邪お得意の緩急をつけて強襲するその一撃を、何者かは躱せなかったようだ。
弾体の雨に晒されたそいつはあっさりと爆発四散して――
「すごーい! セルリアンを手も触れずに倒すなんて! あなたもしかしてハンター?」
「ぬうぁわらばああぁあああっ!!」
畜生、と正邪は呻く。咄嗟にやってしまったが何たる迂闊。ゆれる猫じゃらしを目で追う家猫、涎を垂らすパブロフの犬!
ついついいつもの癖で迎撃してしまったが、それをやればまた賞賛の嵐が吹き荒れることなど目に見えていただろうに。
脳が、脳が限界に近い。これ以上褒められたら本当に死んでしまう。
嫉妬、憎悪、侮蔑、怨恨。
その背中に浴びせられる罵倒と怨嗟の声こそが天邪鬼にとっての真の礼賛である。
ぶっ殺せ! 捕まえて牛裂きの刑にしろ!
あいつは魔女だ、火炙りに処せ! その二枚舌を引っこ抜いてやる!
そういった数々の屈辱、もはやモラルなど投げ捨てた元紳士淑女気取りどもの赫怒にケツを向け、あざ笑いながら逃げること。それだけが鬼人正邪の心をゆるりと満たしてくれるというのに。
「畜生、私はどうしてこんな所にいるんだ……」
涙が、涙が溢れて止まらない。拭っても拭っても溢れてくる。
たつき監督ありがとう!
目の前が真っ白になってもう何も見えないや。
私の完全敗北ですすみませんでした。
耳鳴りのように聞こえてくる幻聴が正邪の溶けてぐずぐずになった脳に容赦なく突き刺さってくる。
止めどもなく湧き出でる涙と共に草原を走る正邪は、さながら十字架を背負って苦難の地を走る聖人めいて輝かしかった。
どうすればいい。何をやればこの世界に争える?
その答えを正邪は知っている。この世界を根本から覆すための、いや。あらゆる不幸を振りまくための大原則にして基本中の基本。
金、暴力、セックス。
金、暴力、セックスだ! 何ならドラッグを足してもいい!
これだ。これがあればいい。世界の不幸はおおよそこれだけで説明できる。これらは世界を発展させる上で不可欠な必要悪であり、栄光を望むならば決してなくてはならないものだ。
だがこの世界にはこの三つがない。金の奪い合いがないから貧困がなく、争いはあれど殺し合いはないから悲劇と苦痛がなく、そしてジェンダーがないから陵辱もない。この三つの概念を定着させれば、正邪は晴れてこの世界の天邪鬼として再起できる。
「ふざけるなよ、畜生!」
だが、鬼人正邪は人間でもなくフレンズでもなく、妖怪なのだ。
鬼人正邪は知っている。金も暴力もセックスも、全ては自分が頂へと駆け上がるための手段であり足場である。
勝ち上がるためのカードであり、積み上げて幸福へと至るために行使される、いわば夢を掴むための道具であるのだと。
鬼人正邪は天邪鬼だった。天邪鬼は幸福になりたいから奪うのではない。敵が邪魔だから打ちのめすのではない。遺伝子が指し示す己が拡充のために抱いたり抱かれたりするのではない。
――汝、他人が嫌がることを進んでやれ。
ただ、それだけだ。一切の目的、利益、栄光もなくただそうあれかし。それこそが天邪鬼なのだ。
誰かを幸せにするために奪ったり力を振ったりするなど天邪鬼の道に悖る。
金も、暴力も、セックスも嫌がらせの道からはほど遠い、言わば人の欲望に塗れた人の手段、手管でしかない。そんなものに頼る天邪鬼など三流中の三流、便所の中でのたうち回る寄生虫のその細胞の一片すらの価値もない負け犬のクソだ!
「畜生、だが、どうしろってんだ……」
今現在正邪を追い回している個体のみに限らず、フレンズとやらは総じて煽り耐性というものがずば抜けて高い。
いや、煽られているという認識があるかどうかすら怪しい。だから正邪が振う悪意の一切合切が、まるでただの一人芝居のように滑稽に映るのだ。
真の意味で『言葉が通じない』ということの恐怖。『悪意』とは人にしか通用しない感情なのだと突き付けられる現実。
――動物には、純粋な嫌がらせという概念そのものが通用しない。
この現実は正邪を容赦なく叩きのめした。
自分は人間がいなければ存在意義などない、人あってこその己なのだと徹底的に知らしめられてしまった。
つまるところ、鬼人正邪は人のリアクションがないと生きていることを実感できない、ある種の寂しがり屋でしかなかったのだ。
そんな真実を、それをこんなさばんなちほーのど真ん中で突き付けられるなんて。
「ねぇ、逃げないで? お友達になろうよー!」
「嫌だ! お前たちは私を殺すんだ! お前たちは私を無価値にするんだ! 私のプライドを、私の心を千々に引き千切って、『わーい』とか『たーのしー』とかしか言えなくするんだ! お前たちは悪魔だよ!!」
「悪魔じゃなくてフレンズだよ?」
もうやめてくれ、と正邪は恥も外聞もなく泣いた。涙か鼻水かも分からぬ液体が腕で一緒くたに拭われ、顔全体に広がってグチャグチャだ。
鈍い衝撃に襲われて、正邪はさばんなちほーの大地へと倒れ伏す。サーバルがそのジャンプ力ぅ、を発揮して跳躍、上空から強襲してきたのだと気付く余裕は既に失われて久しかった。突っ伏した顔面は、涙と鼻水とが混じり合ってもう泥だらけだ。
「やめてくれ。もう沢山だ! 私を人の世界へ帰してくれ!」
「もしかして人を探しているの? 私がついて行ってあげようか?」
「いいよ。一人で行く。一人で行きたいんだ。頼むよ……頼む」
もう虚勢を張るだけの余裕も残ってはいなかった。
嗚咽にすすり泣きながらそう言うのが精一杯だ。ただ一刻も早くこの場所から逃げ出したい。それだけしか考えられない。
「辛いときは誰かに頼ってもいいんだよ?」
殺してくれ、と正邪は叫んだ。
己の上から飛び退き、仰向けにして、そして正邪の手を取ったそのけものは女神であった。
決して傷つくことなく、決して諦めることなく、ただ輝く瞳で前を見据えて走り続けるけものだった。
向けられる悪意のない優しさ、友愛、気配り。無条件で誰かの助けとなれるそのこころが、容赦なく正邪の本質を磨り潰して憚らない。
畜生、どうしてこんなことになっているんだ。
畜生、どうして私がこんな目に……
畜生、畜生、
…………
……
わーい。
たーのしー。
◆
「…邪、ちょっと正邪ってば、大丈夫」
はっと正邪は布団の中で目を覚ました。己の肩を揺らす手を掴んで、止める。
掴んだ手の平には、毛皮の感触はない。ただの人肌だ。
「……夢?」
じっとりと、うなじにへばりついた頭髪を拭って、払う。掛け布団を引き剥がすと、まるでおねしょでもしたかのように布団はじっとりと濡れていた。
全身が冷たい汗まみれ。タンクトップもショーツも肢体の輪郭を隠そうともせずくちゃりと肌に纏わり付いていて、鬱陶しい。
「何だよ天邪鬼のくせに夢なんかにうなされて。だっせーなー」
へん、と虚仮にするように赤紫の瞳がつやを帯びる。
そんな侮蔑が、たまらなく嬉しくて、
「……たーのしー」
思わずそんな言葉が、純粋なる歓喜を示す言葉が、意図せずして喉から漏れ出してしまう。
畜生、と思ったが、口に出してみるとそう悪いものでもなかった。
もっともそれは正邪にとってだけの話で、
「頭だいじょぶ? 正邪からそのゲス頭脳取ったら何も残らないんだからさ、大事にしなよ?」
そう宣う針妙丸は若干不安を抱いているようだった。もっとも針妙丸の反応それ自体は何らおかしいところなどなく、正邪が純粋にイカれているだけなのだが。
うるせぇよガキンチョ、と吐き捨てて正邪はベッドから身を起こした。びしょ濡れのタンクトップとショーツを脱ぎすて、カゴに放り投げる。
ああクソ、最高だ。隠すものなき全裸となった己の肢体に――膨らみかけた胸と薄い恥毛に目をやって、次いで自分の身体を見下ろす針妙丸の視線ときたらたまらねぇ。そう含み笑う正邪の態度に、針妙丸も気が付いたらしい。鞘に収まったままの針剣で「おふっ!」正邪の腹を突っつくと「枕、ちゃんと今晩は返してよ」と言い捨てて踵を返す。周囲に漂う薄い味噌の香り。どうやら針妙丸がもう朝食の準備を済ませてくれているらしい――と?
「枕? なんでだ?」
「何よ、忘れてんの? ふざけんなよぉ、正邪が昨日私が新調した枕を『使い心地を試してやる』って奪ったんじゃん」
そういやそんなこともやったな、とボリボリ腹をかきながら正邪は枕へと視線を投げて――そして固まった。
その、可愛らしい獏の意匠が無数に刻まれた、触り心地だけはよかった枕。
「おいがきんちょ」
「なによ全裸」
「てめぇこの枕、どいつから買った」
「は? 町中で屋台出してたコスプレサンタマレーバカからだけど」
クソが、この情弱が、と正邪は床に転がっている、昨日引き剥がしたその枕の商品タグ――『スイート安眠枕』を睨み付けて呻いた。
畜生、畜生、確かに商品名を確認しなかった己も悪いが、つまるところ昨晩の悪夢は全てこの枕のせいなんじゃないか。
パチンと中指を打ち鳴らして鬼火を生み出した正邪は、迷うことなくそれを新品の枕へと投じた。
針妙丸が止める間もなく、ベッドの上の枕だけが綺麗に炎上して燃えかすとなる。
「おいゲスロリ! 何しやがんだよ!」
「うっせぇな。助けてやったんだから感謝しろ――ああくそ、何やってんだ私。ただ返せばよかったんじゃんかよ……」
まだ夢の残滓が残っているのだろう。結果として針妙丸を悪夢から救ってしまった己の迂闊さ、善良さ、考え無さに正邪は頭を抱える。
だがそんな正邪の苦悩など新品の枕をおじゃんにされた針妙丸に分かるはずもない。
手早く懐から板きれを取り出し某かの操作を加えると、その板きれが異音と共に眩しい光を立て続けに二、三度放つ。
その光と音が何を示すのか、お尋ね者として逃げ回っている鬼人正邪はよく知っていた。
「おいクソガキ、写真なんか撮ってどうするつもりだ」
「決まってるじゃん。こいつを里の変態どもに売って枕代を取り返すんだよ、邪魔すんな!」
「するに決まってんだろ!? ふざけんなマセガキ、そいつをこっちに寄越せ!」
「うるせー、匿ってやってる恩を何もかも仇で返しやがって!」
「だから助けてやったんだって言ってるだろ! いいから寄越せっつの!」
取っ組み合いの末、奪い取った板きれを膝に叩き付けて容赦なく粉砕。
針妙丸の悲鳴をバックコーラスに手早く着衣を済ませると、怒り心頭のお姫様を宥め賺しながら正邪はダイニングへと向かう。
「ちゃんと枕代もカメラ代も払ってやるからそう膨れんなよ」
「……嘘吐いたら輝針剣飲ませるわよ。一千回」
「わかったわかった。ちゃんと払うよ」
「ただし博麗神社から盗んだお賽銭でな」と心の中で舌を出しつつ食卓へついた正邪は、味噌汁を啜って、味噌汁の出来に文句を言う。
嫌なら飲むな、と返される針妙丸の苛立ち。まったく、世の中はこうでなくてはいけない。人のいない世界、悪意のない世の中などまっぴら御免である。
「ああくそ、人の世ってのはまったく素晴らしいな。何処を見回してもクズしかいねぇ。実に素晴らしい楽園だ」
もっともそのクズ筆頭が正邪だけどね、なんて針妙丸に馬鹿にされながら、さて今日はどいつを虚仮にしようかと。
そんなことばかり考えながら、正邪は菜の花の煮浸しに箸をのばすのである。
不思議と現実世界をポジティブにとらえられる結末が大変に好きです。
針妙丸の口が悪い仲なのも大変にほっこりパート2。
東方界隈だったことを考えるとめちゃくちゃ悔しいんだか複雑なんだかよくわからない気分になる
しかし面白い作品でした
競争心や向上心がある一方で嫉妬心が全く無い人間、
善意を拒否されても全く傷つかず怒らず恨まない人間、
自分が好きなものを貶されても反撃したいという気持ちが毛ほども沸かない人間、
そういうのは非常に不自然だと思う。
もちろん、そういう気持ちをむき出しにして相手のことを考えずにぶつけるのは良くないことだけれども。
あまりにもおきれいでお上品すぎるのも、人間に取っては居心地が悪いし、理想郷たり得ないと思う。
「すごーい!」