竹林には悪意がいっぱいだ。
“諸悪の根源”因幡てゐが作り出す落とし穴に通算328回落っことされたわたしなら断言できる。
いい加減学んだらどうか、と言われてしまうかもしれないが、わたしはいつだって失敗を教訓としているつもりである。
なのに、てゐの作るトラップもまた、わたしの成長に合わせて進化していく。
いたちごっこなのだ。
「今日こそは絶対落ちないわよ」
地面を凝視しながら、永遠亭に向かって竹林を進んでいく。
“お師匠さま”こと八意永琳の一番弟子として、里に薬を売り込みにいった帰り道だ。
もしも落とし穴に落ちれば、その日の売り上げ金やら売れ残りの薬やらが一緒にばら撒かれてしまうので、なんとしても回避していきたいのだが。
「鈴仙おねーちゃん!」
地面ばかりに目を落としていたわたしへ、正面の方から黄色い声がかけられた。
声の方向へ向き直ると、わたしの前方10メートルくらいに、ひとりの幼女が立っている。
一昨日、毒草を食べて永遠亭に担ぎ込まれた若い女性――その娘だ。
母親が治療を受けている間おもりをしていたのだが、それで変になつかれてしまったのだった。
「今日もいっしょにあそぼー」
とてとてと、危うい走りでわたしに近づいてくる。
一瞬、落とし穴の存在を危惧したものの、流石に無いだろうと判断した。
わたしと幼女の間を結ぶ地面は、乾いた土色がまんべんなく広がっている。
奇妙な落ち葉溜まりだとか、土の色が一部違うとか、そういった違和感はまったく感じられない。
「転ばないように、気をつけて――……っ!」
落とし穴とは違う、嫌な予感がしたのは、ちょうどそのときだ。
わたしの左前方から”何か”が、物凄い勢いで突っ込んでくる。
人間や獣のたぐいではない、この気配――妖怪!
「だめ、止まっ――」
幼女に大声で制止するが、もう遅かった。
わたしの幼女の間に、妖怪の黒い影が突撃してくる。
悩んでいる暇はなかった。妖怪を迎え撃つため、身体中に魔力をまとい、体当たりで応戦する――
――はずが、妖怪の影は接触する目前で視界から消えた。
「……へ?」
わたしの足元を覆って、もうもうと砂煙が立っている。
先ほど妖怪のいた場所には大穴が空いていて、その対岸には幼女がぽつりと立っていた。
ふと、幼女が大穴をのぞき込んで、怪訝そうに声をあげた。
「うさぎのおねーちゃんだ」
うさぎのおねーちゃん。
落ち着いて、大穴に落ちた妖怪の気配を確認する。
先ほどは唐突なことで気づかなかったものの、今では正体がすぐに分かった。
「……てゐ、大丈夫?」
大穴の底でネットに引っかかりながら、全身砂まみれのてゐは、自嘲するように苦笑した。
◆
「ちょ、痛い、痛いよ鈴仙! もっとやさしく」
「わがまま言わないの。自業自得でしょ」
てゐの擦りむいた右肘へ、ガーゼに沁みこませたヨードチンキを押し当てる。
治療がやや乱暴なのは、わたしへの日頃の行いに対する報復があったりなかったり。
「まさか、自分で作った落とし穴に自分でハマるとはなあ」
「ばーか。……でも、あそこに落とし穴があるとは思わなかった」
「最高傑作だからね。ここぞのために取っておいたんだけど、こんな結末になろうとは」
くう、と頭を抱えててゐは悔しがる。
これに懲りて、もう竹林に悪意をまき散らすのはやめてほしいものだが。
と、不意に襖の先から声が聞こえてきた。
お世話になりました、という女性の声と、いえいえと応対するお師匠さまの声。
おそらく、毒草で中毒を起こした女性が、治療を終えて里に帰るところなのだろう。
「ということは、あの女の子も帰るのかな」
「そうだろうね」
てゐとふたり、襖から玄関をのぞき込む。
すっかり元気な様子の母と、手をつながれて笑顔の幼女が立っている。
「あの娘、昨日父親に連れられて帰ったはずよね。お母さんに会いたくてここまで来ちゃったのかしら」
「さあ」
「でも、竹林をあの子ひとりで歩き回ってたのは危ないなあ。もうしないでほしいけど」
「ほんとだよ。あーあ。最高傑作だったのになあ」
大きくため息をつくと、てゐはわたしに答えさせる間もなくどこかに歩いて行ってしまった。
もう一度、てゐが落ちた落とし穴のことを思い出してみる。
本当に、まったく違和感のない出来栄えで、まさに最高傑作といえる代物だ。
わたしも、幼女も、その存在に気付けなかった。
きっと、あのときてゐが飛び出してこなかったら、幼女があの落とし穴に落ちていただろう。
「思いのほか、いいところもあるんじゃん」
ほんの少しだけ、てゐのことを見直した、かも。
そして翌日、わたしはてゐ作329個目の落とし穴に落っこちた。
しかし待って欲しい、本当にこのSSはそれだけで終わって良いSSなのだろうか?
なにせ相手は「あの」因幡てゐ、絶対に裏があるはずだ。
そこで我々は、このSSを徹底的に解剖することにした。
すると、驚愕の事実に辿り着いてしまった!
まず、冒頭の段落を見て欲しい。
「落とし穴に通算328回落っことされたわたしなら断言できる」
一見、何でそんなのを数えているんだ、と思ってしまうような文章だが、
ここは今まで食べてきた食パンの枚数を数えてる人間が居る世界なのだ、
落し穴に落とされた回数を数えてるウサギが居ても不思議というほどではない。
問題なのはその次だ。
「そして翌日、わたしはてゐ作329個目の落とし穴に落っこちた」
何がおかしいのか?
そう、我々も一瞬その違和感に気付かなかった。
328の次だから329だろう……自然な発送、自然な帰結。
だがしかし、果たして本当にそうだろうか?
ヒントは本文の中にある。
てゐは、自らの作った「最高傑作」という落し穴に自ら落ちていった。
そして、この落し穴はまだ一度も使われたことがない。
つまり……この落し穴こそが、「329個目の落し穴」のはずではないか?
しかし、鈴仙は329個目の落し穴に落ちた、と言っている。
これは一体、どういうことだろうか。
このようにしか考えられない。
「鈴仙は、てゐが作っててゐ自ら落ちた329個目の落し穴に、落ちた」
鈴仙がこのような行動を取ったのはなぜだろうか。
これはおそらく、「てゐのことを見直した」鈴仙が、
てゐに対して見せた彼女なりの優しさなのではなかろうか?
仮にそうだとすれば、このSSは実は
「悪戯で鈴仙の気を惹きたいてゐ」というだけでなく
「そんな悪戯もまんざらでもないと感じている鈴仙」という双方向に⇔が出てるSSだったのだよ!