MYST

へさぐり

2015/04/01 00:23:56
最終更新
ページ数
1
閲覧数
983
評価数
5/6
POINT
99

分類タグ




「ふぅ~、あったかいですね~」
「そうだな。やっぱり冬は炬燵だ」
「ふふふ、こうしてのんびりするのもいいわねぇ」

 炬燵でぬくぬく。そしてごろごろ。
 ――『彼女』がやらかすまで、あと少し。




  *   *   *




「うぅ~、さむさむっ。ちょっとあんたたち! ずいぶんいい身分じゃないの」

 四つの湯呑みを載せたお盆を炬燵の上に置き、霊夢はくつろぐ三人を睨みつけた。
 台所は寒い。お茶を淹れるのを手伝ってくれてもいいじゃないか。そんな視線だ。

「まあまあ、いいじゃないですか」と受け流す早苗。
「細かいこと気にするとシワが増えるぞ」と煽る魔理沙。
「お嬢様のメイドですが、何か」とズレた受け答えをする咲夜。

 こんな奴らに文句を言ったところで仕方がない。
 霊夢はため息を吐き、四角い炬燵の空いているところへ潜り込んだ。
 霊夢の右隣が魔理沙、左隣が咲夜、正面に早苗がいる。

「で、何の話をしていたのよ」
「いや、別に何ってわけでもないが、冬はやっぱ炬燵だなと」

 魔理沙が湯呑みに手を伸ばしながら答える。
 ずずずっ、とお茶を啜り、ふはぁと息を吐く。

「たまにはこうしてのんびりするのもいいと思ったわ」
「咲夜さんは、お仕事が大変そうですからね」

 霊夢さんと違って、と付け足す早苗。
 霊夢が抗議の声を上げる前に、違いない、と魔理沙が笑う。

「なんだったら霊夢、うちで働いてもいいのよ。お嬢様はきっと歓迎なさるわ」
「冗談。巫女が吸血鬼のところで働けるわけないでしょ」
「あら残念。イメージカラーとしてはぴったりなんだけど」

 紅白だけに。

「私じゃ、そうはいかないですからねー。青白ですから」
「私もダメだな。黒白だから」

 悪乗りする早苗と魔理沙に、霊夢はお祓い棒を振り上げて威嚇する。
 居間に満ちる、さざなみのような笑い声。

 冬の炬燵は楽園である。
 少女たち四人のささやかなくつろぎの場は、どこまでも平和だった。
 その瞬間までは。




 ――――ぷす、ぷす、ふしゅー。




 どこからともなく、微かにそんな音が聞こえた。
 何かが。
 もう少し言えば、気体のようなものが。
 漏れ出るような。
 そんな、音が。




「ん、なんだ?」

 無造作に炬燵の布団を捲った魔理沙が、途端に「うっ!」と呻いて顔をしかめる。
 一拍遅れて、霊夢も魔理沙の反応の理由を知った。

「こ、これは……」
「ちょっと」

 早苗と咲夜も眉をひそめ、鼻に手をやっている。

 沈黙に包まれる室内。
 お互いの顔をじろじろと見合う四人。

 ややあって口火を切ったのは魔理沙だった。

「……で、誰だ?」

 早苗が身を引いて、素早く言う。

「わ、私じゃないですよっ!」

 早苗は咲夜のほうをちらりと見る。
 咲夜は瞬きをして、小首を傾げた。そして目をスッと細める。

「言うまでもないけど、私でもないわ」

 三人の視線が、霊夢に集まる。
 無論、霊夢は自分の仕業ではないことを知っていた。
 なので、うろたえつつもはっきりと否定する。

「私は違うわよ」

 そうして四人は再び牽制し合うように互いの顔を見た。

『…………』

 誰もがそれ以上の言葉を発さず、膠着状態に陥る。

 ひとときの平和は、こうして脆くも崩れ去ったのだった。




  *   *   *




 寒いのはよくない。
 体が冷えるからだ。
 体と言っても色々な部位があるが、腹部は特に冷えやすい箇所だといえる。
 つまりお腹だ。お腹が冷えると、腹を下す。
 ごろごろだ。

 炬燵でごろごろしつつ、彼女のお腹はごろごろしていたのだ。

『ふぅ~、あったかいですね~』
『そうだな。やっぱり冬は炬燵だ』
『ふふふ、こうしてのんびりするのもいいわねぇ』

 ――こんな何気ない会話を交わしつつ、彼女は密かに腹を痛めていた。
 他のふたりは気付かなかったかも知れないが、顔も少し歪んでいた。
 ならばとっとと便所へ行けばいいではないか、と思うかも知れない。

 だがしかし。
 一度入り込んだ炬燵から抜け出すのは、非常に抵抗のあることである。
 台所は寒い。
 そしてそれ以上に、便所は寒いのだ。

 彼女は腹を痛めていた。
 便所へ行くには炬燵から出なければならない。
 お茶を淹れるために抜け出すだけでも嫌なのに、便所など行きたくない。
 彼女は自らの腹を襲う痛みに、そして自らの境遇に、胸を痛めていた。

 とはいえ、神ならぬ身である。
 いつまでも我慢を続けることなどできない。

(――うっ……!?)

 腹が、張る。
 これはまずい。
 まずい。
 まずい。
 波が来た。ビッグウェーブだ。
 今から立ち上がって便所へ行く暇はない。
 どうする。

 実だろうか。
 いや、違う。
 実体なき痛みが生むのは、真実ではなく幻想だ。
 経験上、彼女は知っていた。
 この前触れさえやり過ごしてしまえば、腹痛は案外あっさりと治まってくれることを。

 ならば、と。
 彼女は『覚悟』を決めた。
 炬燵に埋もれた下半身をこっそりと動かし、ポジショニングする。

 そして下腹部に神経を集中させ、慎重に力を抜いて腰を沈め。

 ずずず。


 ――――ぷす、ぷす、ふしゅー。


 そっと放出した。




  *   *   *




「……なあ、こうして睨み合いを続けていても仕方ないだろう」

 肩をすくめて魔理沙が言う。
 その顔には、困ったような笑みが浮かんでいた。

「なにも責めようってわけじゃあない。お腹の調子が悪い時だってあるだろうさ」

 霊夢たちは無言のままで、魔理沙の話を聞く。

「別に恥ずかしいことでもないしな。その、お、おならをするくらい……」
『…………』

 魔理沙は努めて「何でもないことだ」というように振る舞おうとしていた。
 だが、一瞬言い淀んでしまったがため、かえって居た堪れなさは増していた。

 そう、放屁である。
 仕方ないかどうかで言うならば、確かに仕方のないことだろう。
 だが、恥ずかしいことでないかどうかは、また別である。

「……さっきから妙に饒舌だけど、魔理沙」

 静かに口を開いたのは、咲夜だった。

「実は、犯人は貴方……というわけでは、ないのよね?」
「んなッ……!」

 咲夜が「犯人」と言った瞬間、その場に緊張が走った。
 そうだ。
 犯人なのだ。

 おならをするのが恥ずかしくない? そんなことはなかった。
 四人の少女にとって、人前で放屁するだなんて、堪え難いことである。
 微かに音が聞こえたのもあるし、それ以上に、この臭いだ。たまらん。
 認めるわけにはいかないだろう。
 この中の誰が放屁者であったとしても。

「そう言えば、さっき魔理沙さんだけは、否定しませんでしたよね」
「言われてみれば、確かに」

 早苗の指摘に、霊夢も頷く。
 早苗に咲夜、そして霊夢ははっきりと述べた。「私ではない」と。
 だが、魔理沙だけはこう言った。「誰だ?」と。

 自分ではない、と言えば嘘になるが、「誰だ?」と問うだけでは嘘にはならない。
 魔理沙は嘘を吐かずに、犯人を曖昧にして誤魔化そうとしたのではないか。
 霊夢の中にそんな疑惑が湧いた。

 そう思ったのは霊夢だけではなかったようで、早苗と咲夜も魔理沙を見やる。

「あの、魔理沙さん。別に疑うわけじゃありませんが……」

 いや、どう考えても疑っているだろう。
 もちろん早苗にそんな突っ込みを入れる者は、その場にいなかった。

「魔理沙さんが、なんて言うか、この異臭の原因というわけではないですよね」

 今度は「異臭」と来たものだ。
 いよいよこの場の気まずさは増してゆく。
 魔理沙は大きく両手を振って、引きつったような笑みを浮かべた。

「ち、違う。私じゃないぞ! なんだったら、こいつを賭けてもいいぜ!」

 ごそごそと服を探り、青紫色の茸を取り出す。
 気のせいか、傘の部分にドクロのような模様が浮き上がっているようにも見える。

「そ、そうですか……ハハッ」

 早苗も魔理沙に、というか怪しげな茸に気圧されたのか、追及を止めて引き下がった。
 だからといって、問題が解決したわけではない。
 居間に漂う、この好ましからざる臭いが、先ほどから自己主張をしてやまないのだ。

「なにか……そう、なにか、別の原因ってことはないかしら」

 咲夜の言葉に、霊夢は首を傾げる。

「別の原因?」
「ええ。確かに異様な臭いはするわ。でも、それがおならとは限らない」

 真面目な顔つきで咲夜は言うが、話している内容はあくまでも屁についてである。
 ただ、それを指摘する者はこの場にいない。
 全員が当事者であり、かつ容疑者であったからだ。

「……そうだな。この卵の腐ったような臭いがおならとは限らんな」
「……ええ。このタクワンのような臭いがおならとは限りませんね」

 魔理沙と早苗も頷く。
 この臭いを誰かが形容する度に場の重苦しさが増すようにも思えるが、些細な問題だ。
 霊夢はため息を吐き、首を横に振った。

「悪いけど。……あいにく、うちには卵もなければ、漬物も切らしているわ」
「お前……ひょっとして食べ物ないのか? このキノコ食べるか?」
「いらんわ!」

 魔理沙の差し出してくる青紫色の茸をお祓い棒で払い飛ばし、霊夢は続ける。

「それに、音がしたのよね。音が」

 魔理沙たちはハッとしたような顔をする。
 仮にこの臭いが別の原因によるものならば、あの空気漏れのような音はなんなのか。
 タイミング的に、音と臭いとが無関係とは考え難い。
 そこの説明がつかないことに気付いたというような表情だ。

 部屋の中を漂う臭いは次第に薄れてゆくのだろう。
 しかし、四人の顔に浮かぶ疑惑の色は、なおも濃くなってゆくばかりであった。




  *   *   *




 ――――ぷす、ぷす、ふしゅー。

 そんな音が漏れ出てしまった時。
 確かに彼女は「まずい」と思ったのだ。
 本来ならば、下腹に溜まったガスは、無音で排出されるはずだった。
 サイレント・オナラ。俗に言う「すかしっぺ」というやつである。

 しかし、慎重に力を込めた彼女の計算に反し、音は漏れ出てしまった。
 漏れ出たのが音とガスのみであったのは、まだしも幸いだったのだろうが。

 微かな音に過ぎないとはいえ、彼女と炬燵を共にする者たちの嗅覚は馬鹿にできない。
 いくら誤魔化そうとも、臭いの痕跡を辿られては、隠し果せるものではないだろう。
 だから、さり気なく放出して、気付かれる頃には臭いが薄まっていることを狙ったのだ。

 その狙いが、外れてしまった。
 彼女の顔からスッと血の気が引く。
 そして――。




  *   *   *




 霊夢はじっと三人の顔を見つめた。
 自分がやらかしたわけではないことはわかっている。
 さすがに、自分からガス漏れを起こしていて気付かないほど齢は取っていない。
 したがって、この臭いの原因は三名のうちの誰かのはずだった。

 魔理沙。
 咲夜。
 早苗。

 誰なのか。炬燵の中にラフレシアを咲かせたのは。

「……こうしていても、埒が明かないと思わない?」
「おお、犯行を認める気になったか、咲夜」
「ちょっと、やめてよ……!」

 魔理沙が茶化すように言うと、咲夜は本気で嫌そうな顔をした。
 すると、早苗が首を傾げつつ口を開く。

「うーん、咲夜さんって、そういうことしなさそうですよね」
「そ、そうよ」
「でも、だからこそ隠したがるというのもわかると言いますか」

 早苗がそう言いつつ、窺うように咲夜の顔をチラリと見やる。
 霊夢が思わず口を挟む。

「どういうこと?」
「つまり、放屁が露見した時に最もダメージを受けるのは誰か、という話です」
「それが咲夜だって言うの? まあ、わかるけど」

 完全で瀟洒なメイドというイメージと、放屁という要素は共存できまい。
 ネコ耳とロック以上に馴染まないものだ。

「他方、霊夢さんや魔理沙さんなら、笑って流しちゃいそうって言いますかね」
「おいこら待て。私だって乙女なんだぞ!」

 魔理沙の抗議をスルーしつつ、霊夢は考え込む。
 早苗の言うことにも一理ある。この中で一番放屁を隠したいのは、咲夜だろう。
 だが。

「そう言いつつ、巧妙に私に罪を着せようとしているのでは? 守矢の巫女さん」
「な、何を」
「確かに、霊夢や魔理沙なら笑って流しそうだというのはわかるわ」
「おいだから待てって! 私は」
「ですが、神の名を背負う巫女が人前で恥知らずにも放屁というのは、いけないわよね」
「風祝ですから、私は」
「いずれにせよ、貴女だって放屁者だとばれたら少なからぬダメージを受けるはず」

 「放屁者」なる単語がまかり通るこの空間は、異常だ。
 おそらく霊夢以外の三名もそう思っているだろうが、やはり誰もそこには触れない。

 今の咲夜と早苗のやり取りは、微かな違和感を浮き彫りにした。
 霊夢と魔理沙が放屁を笑って流せるかどうかはともかく、だ。
 咲夜だけではなく、早苗も放屁を笑って流すタイプではなさそうなのである。

「そうだなぁ。早苗ってそこらへんちゃっかり誰かのせいにしそうだし」
「なっ! 酷いです魔理沙さん!!」

 早苗のところで祀られている神奈子と諏訪子のイメージも影響しているだろう。

 それに、早苗はこの四人の中で一番の、言うなれば新参者だ。
 プライベートでも完全には馴染みきっていない部分がある。
 それは未だに残る丁寧語口調だったり、一歩引いたような所作だったりするのだが。

 そんな早苗が、おならをしてしまったとしたら。
 しかもやたら臭いおならを。

 言えない。言えないはずだ。
 霊夢でなくても、そう考えるだろう。

「ふふふ、形勢逆転ね、早苗。二対一よ」

 咲夜はそんなことを言うが、別に多数決の問題ではない。
 そもそも勝負をしているわけでもない。

「おっと、別に私はお前の味方じゃないぜ、咲夜」
「あら、裏切るつもり? 魔理沙」
「私にわかっているのは、私以外の誰かがおならをしたってことだけだからな」

 咲夜か、早苗か、霊夢か、と魔理沙はゆっくりとした口調で言う。
 まるで論理パズルだ。
 霊夢は、魔理沙か、咲夜か、早苗がおならをしたと思っている。
 咲夜も早苗も、自分以外の誰かだと思っているのだろう。彼女自身が犯人でなければ。

「ね、ねぇ。さっきも咲夜が言ったけど、こうしていても埒が明かないのはその通りよ」

 意を決して霊夢が口を開くと、三人の視線がこちらに集中する。
 ここは博麗神社だ。魔法の森でも紅魔館でも守矢神社でもない。
 場を収めるのは、霊夢しかいないと思われた。

「だ、だからその……私がやったってことにしてもいいから、ね?」

 これで手打ちにしましょう、と霊夢は言ったつもりであった。
 しかし、である。

「なーんだ、霊夢さんだったんですか」
「そっかそっか、恥ずかしがらんでもっと早く言ってくれればよかったんだぜ」
「霊夢の部屋で、霊夢の炬燵なんだし、仕方ないわよね」

 したり顔で三者三様にそう言われてしまっては、話は別だ。

「……ちょっと。私は違うって言ったじゃない」
「え? だって今」
「そういうことにしてやってもいいって言ったのよ!!」

 霊夢の声に怒気がこもる。
 来客の顔を立てて泥を被ろうとしたのに、臭いをなすりつけられてはたまらない。

「やっぱりここは、誰の仕業か明らかにするしかないんじゃない?」
「そうですね……私も疑われたままじゃ困りますし」

 咲夜と早苗は、譲る気はないようだ。
 霊夢は魔理沙の顔を眺めやる。どことなく困った顔をしているようにも見えた。

「魔理沙……あんた」
「えっ!? ど、どうした?」

 霊夢が思わず名を呼ぶと、魔理沙は顔をバッと顔を上げて返事をする。
 怪しい。

「魔理沙さん、なんですか?」
「ち、違う!」
「魔理沙、首を縦に振りなさい。今度クッキー焼いたげるから」
「何でだよ!」

 霊夢は魔理沙とそれなりに付き合いが長い。
 長く生きた妖怪のように腹の底が見えない奴もいる。
 だが、魔理沙はわりとわかりやすいほうだといえた。

「魔理沙さん、正直に言ってください」
「魔理沙、ついでにパチュリー様の本も返しなさい」
「違う、私じゃない。あと本は死ぬまで借りているだけだ!」

 魔理沙が追い詰められている。いや、わりと余裕ありそうだが。
 霊夢から見て、今の魔理沙は嘘を言っているように思えるだろうか。
 いや……。

「咲夜、早苗。魔理沙は違う気がするんだけど」
「ええっ、かなり挙動不審だったと思うんですけども」
「違うっていう根拠は?」
「……勘、かな」

 霊夢が言うと、三人は押し黙る。
 霊夢の勘の鋭さを、彼女らは知っているからだ。

「それじゃあですよ、私はどうですか? 霊夢さんの勘的に」
「早苗は、その……違う、かな?」
「ふふん」

 その言葉に、早苗がドヤ顔で胸を張る。
 やや鬱陶しい。

「それなら私は?」
「咲夜も、違う……と思う」
「今度クッキー焼いたげるわ」

 咲夜も、胸を撫で下ろす。
 胸を撫で下ろした。咲夜も。咲夜もだ。

「おいおいおい! ならやっぱりおならをしたのは……」
「いえ、ちょっと待ってください、魔理沙さん」

 魔理沙が当然の帰結に至ろうとした時、早苗が待ったをかけた。

「霊夢さんがおならをしたのなら、わざわざ私たちの誰もが違うと言うでしょうか?」
「つまりこう言いたいのか? 霊夢がやったなら、そんなバレるようなことは言わないと」
「敢えて言う必要もないことを言うようなことは、しないでしょう」

 早苗は、確かに常識に囚われない奴だが、卑怯者でもない。
 守矢神社がやって来たあの秋も、正々堂々と正面から霊夢のところへやって来たのだ。

「霊夢が屁を放出したのでないとしたら、答えは一つじゃない?」

 咲夜が腕組みをしつつ言う。

「霊夢は、誰かを庇っている」

 その言葉に、またしても部屋を沈黙が包んだ。
 あと、臭いはかなり薄くなってきており、気にならなくなりつつある。

「霊夢が庇いそうな相手といえば」
「お、おい! 何で私を見るんだ!」
「別に。霊夢と魔理沙って仲が良さそうだなと思っただけよ」

 そう言いつつ、咲夜は薄く笑う。
 だが、霊夢としては聞き捨てならなかった。

「それは違うわ。咲夜、あんたのことだって、庇うわよ」
「え……」

 咲夜は目を丸くする。
 霊夢だって、何も魔理沙だけを庇うわけではない。
 庇いたいと思ったなら、誰だって庇う。咲夜も、早苗も、例外ではない。

「お? 咲夜、頬が赤いんじゃないか? んん?」
「炬燵の中がちょっと暑かっただけよ」

 魔理沙の言葉に、咲夜がぷいっと顔を背ける。
 それを見て、早苗がクスクスと笑った。




 部屋を漂っていた臭いは、ほぼ完全に消えていた。
 どんな強烈な臭いでも、いつかは消えるのだ。

 なんとはなしに皆黙ってしまったので、霊夢はぼんやりと宙空を見つめていた。
 別に大したことではないはずだった。
 おならなんて、誰がしようがどうでもいいではないか。
 ここには少女しかいないのだ。それを騒ぎ立てるような者などいやしない。
 なのに、言い出せない空気ができてしまった。
 放屁者を探すような空気ができてしまった。

 あるいはそれは、この部屋を漂っていた、屁の臭いのせいだったのかも知れない。

「……あのね」

 口を開いたのは、咲夜だった。

「ごめんね」

 そう言って、咲夜は頭を下げる。
 霊夢は驚いて咲夜を見た。
 どこか掠れたような声で、魔理沙が言う。

「じゃあ、咲夜が」
「違うわ」

 違うのかよ。
 とたぶん咲夜以外の誰もが思っただろう。

「そうじゃなくて、色々と疑うようなことを言っちゃったこと」
「ああ……そっちか」

 咲夜は炬燵に入ったまま、もう一度頭を下げた。

「あの、それなら私も。……ごめんなさい。私じゃないですけどね」

 早苗も頭を下げる。
 ちゃっかりと否定することは忘れなかったが。

「そうだな、私も謝るぜ。――すまん。あ、私でもないぜ」

 結局、全員が屁については否定したままだった。
 四人は顔を見合わせ、笑った。
 頑固者ぞろいの幻想郷。
 曲者ぞろいの幻想郷。
 ここまで来て、自分でしたとあっさり認めるようなタマではないということだろう。

 「くせ者」だけに。




「そう言えば、いい考えがあります」

 早苗の言葉に、三人はきょとんとする。
 この期に及んで、いい考えとは何なのか。

「誰の仕業なのかはわかりませんでしたが、ここは幻想郷らしく、こう考えてはどうかと」

 そして早苗は、どこか歌うような節をつけて、こう言った。


――――妖怪のせいなのね そうなのね♪




  *   *   *




「ふぅ~、あったかいですね~」と橙が言い
「そうだな。やっぱり冬は炬燵だ」と藍が頷き
「ふふふ、こうしてのんびりするのもいいわねぇ」と紫が笑う。

 ここは幻想郷のどこかにある、八雲の屋敷である。
 彼女らは、炬燵でくつろいでいた。

 そして紫の身に異変が起きる。
 ごろごろだ。

 紫の頬を汗が伝う。
 共に炬燵に入っているのは、黒猫の妖怪である橙と、九尾の狐である藍だ。
 どちらも嗅覚の鋭さという点では人間を遥かに凌駕する。

 ここで放屁するわけにはいかない。
 己にも大妖怪としてのプライドと、矜持というものがある。
 あと、藍と橙に軽蔑されたくない。

 いや、軽蔑されるだけならまだいい。
 「うっわ……くっせぇ……」みたいに思われつつ、表面的にフォローされるのが辛い。
 思いやりは時に剥き出しの嫌悪よりも鋭く胸を抉るものである。

(――うっ……!?)

 腹が、張る。
 これはまずい。
 まずい。
 まずい。
 波が来た。ビッグウェーブだ。
 今から立ち上がって便所へ行く暇はない。
 どうする。

 実だろうか。
 いや、違う。
 実体なき痛みが生むのは、真実ではなく幻想だ。
 経験上、彼女は知っていた。
 この前触れさえやり過ごしてしまえば、腹痛は案外あっさりと治まってくれることを。

 ならば、と。
 紫は『覚悟』を決めた。
 炬燵に埋もれた下半身をこっそりと動かし、ポジショニングする。

 そして下腹部に神経を集中させ、慎重に力を抜いて炬燵の中に隙間を展開する。
 その中に腰を沈めて。

 ずずず。

 隙間の先は、どこかの家の炬燵の中っぽかったが、それを気にしている余裕はない。
 紫は溜まったガスを、そこに……。




 ――――ぷす、ぷす、ふしゅー。





          ~完~





 Q.この作品に含まれる「嘘」とは何か?

 A.幻想郷の少女たちはおならなんてしないよ!


-----


 こんばんは。
 まずはZUNさんと、お読みくださった方々に感謝を。


 そう言えば、例大祭にて「匂い」をテーマとした合同誌が出るそうですよ。
 どれもこれも一筋縄ではいかない香りばかりだとか。
 (おならはないです)
 興味をお持ちの方は、是非どうぞ。

 今日はエイプリル・フールですけれども。


 ではまた来年辺りにでも。
S.D.
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.40簡易評価
1.14しずはのこ削除
幻想郷のあらゆる場所に屁を送り届けられる程度の能力、と書くと凄そうですね
ところでこの作品を読んで確信しました
貴方にはきっと下品なSSを書く才能があります
2.14無名のプレイヤー削除
紫さま大好きなのに犯人予想が当たってしまった……。
乙女の矜持を賭けた闘い、たいへん楽しく読みました。
特にちょっとズレた咲夜さんが可愛うございました。
3.14無名のプレイヤー削除
なぁ、このコメント欄なんかくさくね?
4.33削除
やられた。
最初から「これはミステリーだ」と踏んで読んでたのに、やられた。
5.14理工学部部員(嘘)削除
紫なにやっとんねんww
スキマ経由で臭いを
送るという発想はなかった