第百十九季 春 十日
幻想郷に流れ着いて幾星霜。やっとこの地にも体が慣れて普通に生活できるようになったので、これを機に日記をつけようと思う。目指すは友達百人だ。魔界時代のお子様とは違う。もう高飛車な態度はとらず、優しく頼れるお姉さんキャラとして頑張ろう。
早速、今日の出来事を書き始めようと思う。
もう春一番が吹いてもおかしくない季節のはずなのに、なぜかまだ雪が降っていた。私の暮らす魔法の森はいつも薄暗くて、茸の胞子のせいで道に迷いやすい。その上春になっても雪が降っているのでは、道に迷う人が出てきてしまうかもしれない。昔の私だったら気にも留めずに炬燵にもぐりこんで神綺様と蜜柑の早剥き競争に明け暮れていたことだろうが、今の私はもう大人。頼れるお姉さんデビューのためにも、迷い込んできた人を導いてあげなければならないと、一念発起してみた。
雪が体に積もるような間抜けな姿を見せないように、雪や雨が体を避けていく魔法を自分にかけてから、寒い寒いと凍えながら外に出る。すると、外はまさしく猛吹雪といった有様だった。頼れるお姉さん、は良いけれど、唇が震えて上手くしゃべれる気がしないと思った。大人になってから口下手になったからどのみち変わらなかったのかもしれないけれど。
そうやってパトロールを始めて半刻。早くも心が折れかけていた私が見たのは、どこかで見たことがあるようなないような気がする魔法少女だった。白黒は伝統美だろうか。
私が危惧していたとおり、彼女は盛大に道に迷っていたようだった。ここは一石二鳥、私の頼れるお姉さんデビューの礎となって貰おう。代償はもちろん、彼女の安全な帰宅だ。
ドヤ顔で近づいて声をかけると、白黒の彼女は盛大に驚いてくれた。家族以外に友達なんか一人もいないぼっち人形遣いの私にとって、その反応は慣れたもの。逆に空気女(自称)の称号を冠してはいないのだ。悲しくなんかない。
一言二言声をかけて、確信する。魔界に乗り込んできた魔法使いではないけれど、たぶん血縁者だ。性格が全然違うけど、顔と声が似ている。ということは、目指す先は人里か。ここは優しく案内してあげよう。
とはいえ、向こうは突然驚いた私に警戒して、話を聞いてくれない。というか話が通じない。こうなったらと、幻想郷ルールで弾幕ごっこ。何事も効率のいい形は美しいという理屈で作り上げた私の超高率厨弾幕で、弾幕ごっこの指導までしてあげた。とりあえず引き分けに持ち込ませて負けたと言ってあげる優しさ。これぞお姉さんだ。
一生懸命説いてあげた私の説得に心が折れたのか、彼女は素直に帰路についてくれた。人里とは反対方向だったが、道はもうわかったというので問題ないのだろう。強がりにも見えなかったし。
最後に、向こうから自己紹介までしてくれた。霧雨魔理沙と名乗った彼女は、自分を普通の魔法使いと称していたのでかなり謙虚な性格なのだろう。好印象だ。
とにかく、デビュー初日にしていきなりの快挙だ。この結果に慢心せずに、頑張って頼られるお姉さんとして成長し、夢子姉さんのような大人友達を作っていこう。
追記。
あの時勝っていたほうが後々頼られたのではないかと気が付いたが、しょせんは後の祭りだ。次から頑張ろう。
春雪異変の章 魔女と人形のロンド
わたしは、人間であり魔法使いだ。そのことを誇りに思っている。
だが時々こうも思うのだ。“人間であり”魔法使いである限り、“本物”には届かないのではないか、と。
季節は春。
だというのに、まだ雪が降り続けていた。前の赤い霧の時と同じ、異変だということは一目見れば直ぐにわかる。博麗神社に寄れば霊夢はおらず、妖精に聞けばメイドが通り過ぎた、などと言う始末。どうやら、わたしは一歩遅れたようだ。
「だが、まだ間に合う」
霊夢も咲夜も、確かに強い。だが二人はそんなに“速く”はない。わたしは自慢の箒に八卦炉をセットすると、雪の降る空に向かって飛び立った。
弾幕はパワーだ。パワーでなにもかもを吹き飛ばす、人間の努力の力。そのすべてを推進力に変えると、轟音とともに周囲の雪が蒸発して道ができた。あとは、道を作り続けて進めばいい。霊夢たちの尻を追いかけるようで不満だが、今は言っていられない。ようは追い抜いてしまえば良いのだから。
「こんなところで、負けてられるか!」
こんなところで、後れを取っていられない。
なにせ、霊夢も魔理沙もわたしと同じ人間。妖怪たちよりも高みに行く可能性のある、極上のライバルなのだから。
そう、わたしはそんな風に考えていたんだ。
引き籠りの魔女では競い合う相手にはならないと、外に目を向けず同じ人間ばかり見ていた。
この幻想郷には、狭い視野の中では計り知れない存在が潜んでいるのだということも忘れて――。
――†――
霊夢たちの痕跡をたどると、わたしは自身の住む魔法の森の上空まで戻ってきてしまった。灯台下暗し。少し、考えてから動けばよかったのかもしれない。
「っち、まずったか」
その上、急な猛吹雪で痕跡を見失う始末。
これでは霊夢たちのライバルを名乗り続けられない。わたしは猛吹雪の中でただ、そんな風に考えていた。
自責の念。だから気が付かなかったのかと問われれば、わたしはそれに首を振ることだろう。確かにわたしの周囲には、“誰の気配”もなかったのだから。
「迷子かしら?」
「っ」
思わず、箒に乗ったまま下がる。
先ほどまで誰もいなかったはずの空間に佇むのは、この場に不釣り合いな洋服の少女だった。
月明かりを溶かしたような金色の髪。
暗い湖の深淵に落としたような青い目。
吹雪の中でもなお生える、純白の肌。
人形のように美しい少女が、空に佇んでいた。
「おまえ、誰だ?」
「私は導き手。霧の中の船頭。闇の中の灯籠。貴女の迷いを絶つものよ」
「はっ。わたしの迷い? 誰が、迷っているように見えるんだ!」
確かに道には迷っている。
だがこの少女の空気を感じ取れるものならば、そんな単純なことを言っているのではないということくらい一目でわかる。
「なにを迷う必要があるの? 貴女も魔女でしょう? なら、窮理を求めるはずよ」
「あなた“も”? なるほど、おまえも魔法使いってことか?」
「そうだけれど、違う。そうではないわ。私は人形遣い。迷える子羊の導き手」
言われて初めて、彼女の周りに人形が浮かんでいることに気が付く。まるであの少女を守る騎士のようでありながら、少女に促されるまでは闇の中に潜んでいた、少女を引き立てる黒子のよう。まるで、生きているみたいな人形だった。
「貴女、迷っているでしょう?」
「迷い? わたしが? そんなこと……!」
あるはずがない。
そう言いかけて、動揺している自分に気が付く。確かにわたしは迷っていた。だがそれは自分自身でさえ気が付かないほど胸の奥深くに閉じ込めた感情だったはずだ。
なのにあの初対面の少女は、見抜いて見せた。あの、ガラス玉のような瞳で。
「っ勝負だ!」
「それで納得するのなら、良いわ」
普段だったら挑まない。そう確信できるほど、彼女は強い。
なにせ彼女の周りの雪は、その魔力に怯えて道をあけ、いびつな空域を築いてしまっているのだから。
それでもわたしは、八卦炉を構えずにはいられなかった。あの、ガラス玉のような瞳から逃れるために。
――†――
勝負はわたしの勝ちだった。
けれどその戦いを見ていたモノがいたのなら、十中八九彼女の勝ちだということだろう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
息を切らせながら思い出す。
計算されつくされた美しさ。
計算されつくされた逃げ道。
計算されつくされた攻撃手順。
なにもかも。そう、勝負の結果さえも計算されて、勝ちを拾えたとは思えなかった。
「さあ、貴女はなにを望む?」
問われて、考える。
操作された結果だとしても、勝ちは勝ち。彼女はわたしの願いを聞き届けることだろう。ならばそんな彼女に、わたしはなにを望むのか。
「名前を」
「え?」
うまく心がまとまる前に、そんな言葉が零れ落ちた。
そして口に出した答えが自分が一番欲しかったものだと気が付いて、笑う。
「わたしの名前は霧雨魔理沙。普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ! おまえは、なんだ!」
霊夢は天才だ。
咲夜は特殊な能力を持っている。
パチュリーは“そういうもの”として生まれ落ちた存在で。
きっと目の前のこの少女は、どこかわたしに似通ったものだと、わたしの勘が告げていた。
「アリス。人形遣い、アリス・マーガトロイドよ」
アリス・マーガトロイド。その名前を、口の中で何度も転がす。
わたしの迷いの正体は、競い合うものがいないということ。目標が、いないということ。なら、わたしはアリスを目標にすればいい。そして、アリスと競い合えばいい。きっと彼女は、わたしが目指すにふさわしい位置にいる。
「迷いはとれたの?」
「ああ」
「また迷ったら、いつでも来なさい」
「その時は、今度こそわたしが勝つ!」
「そう。楽しみにしているわ」
痕跡なんて辿らない。
自分自身の道を切り開くために、わたしは自分で道を作る。
「もたもたして、いられないな」
もうわたしは、迷わない。
新たに見つけた決意のために、わたしは魔法の森から抜け出した。
この出会いを後に振り返って、思う。
この邂逅こそが、わたしとアリスの運命を決定づけたターニングポイントだったのだ、と――。
魔理沙とアリスの出会い話いいね!