くーりえの掲示板

遠きにありて思うもの

2014/04/01 01:03:19
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 目を瞑れば昨日のように思い出せる。
 従者としての役目を終えた日の夜。私は後継者である彼女を自室に呼び出し、銀の懐中時計と自分の日記を渡した。
 どうしてそんな大事な物を私に、と驚く彼女に、私はこう言った。
 あなたが持っている時間――人生は有限だ。そして、その長さはお嬢様が持つ時間に比べたら遥かに短い。
 だからこそ、あなた自身の時間を決して無駄にしないでほしい。
 そして、少しでも長く、お嬢様に寄り添ってほしい。私がお嬢様に仕えた時間よりも一分、一秒でも長く。お嬢様が抱える悲しみや寂しさを、少しでも癒すために。
 私との時間が、やがて思い出として語れるように。
 懐中時計を渡したのは、私の教えを忘れさせないため。
 そして、私の願いを受け取ってほしかったから。
 お嬢様には、常に高貴で、誇り高き吸血鬼であり続けてほしい。私の死で、お嬢様の――レミリア・スカーレットの時間を止めてはならない。
 私はある計画を彼女に話した。
 お嬢様は身近な人を亡くす悲しみを知らない。それと向き合って生きていくことはなかなか難しいだろう。死者の思いが生者の生を支えてくれるとはいえ、それは生者が死者の死を受け止めてこそ。
 しかし、ありのままの死を受け入れるには、お嬢様も、私も、プライドが高すぎた。普通に迎えたはずの結末は未だに迎えられないまま、私の時間が止まろうとしている。交わせたはずの言葉は、今も私の胸の中に取り残されている。
 お嬢様の時間を動かすには、回りくどい方法をとるしかない。人と吸血鬼が持ちうる時間はあまりにもかけ離れている。私の時間が刹那なら、お嬢様の時間はいくつもの時代を超えていく。
 だからこそ、私は時代を超えてあなたに会いに行く。
 私が話した計画に、彼女は静かに頷いてくれた。
 表情は引き締まり、姿勢、所作には一分の隙もない。彼女には私が持ちうる全ての技術を叩き込んだ。何の能力を持たない人間をここまで育て上げるのには苦労したが、今では立派なメイド長になってくれた。
 彼女なら、私の代わりとしてお嬢様に忠誠を尽くしてくれるだろう。
 そんな光景が見られないのは実に残念だが、彼女なら上手くやっていけるはずだ。
 彼女に全てを託した日の翌朝。
 誰にも気づかれることなく、私は紅魔館を後にした。

1.

 中有の道。
 それは死者が三途の河を目指すための通り道だ。昔は死者が通るにふさわしく、ひどく寂れて暗いところだったが、今ではすっかり様変わりしている。
 道の両端には出店が並び、死者だけではなく物好きな生者までやってきては、毎日が縁日のような賑わいを見せている。祭りの喧騒は死者の生前の輝きをあぶり出し、暗色に染まった旅立ちを鮮やかに彩る。正に死者の門出を明るくするための、ある種の優しさと滑稽さがこの道にはあった。
 その日、あたいは三途の河に近い屋台で遅い昼食をとっていた。もちろんこうなったのは四季様の長い長いお説教のせいだ。とはいえ、あたいに非があることは否定しない。一昨日は博麗神社で開かれた宴会で飲んだくれ、その翌日にひどい二日酔いで無断欠勤すれば誰だって怒るに決まっている。
 問題は朝っぱらから説教を聞かされたことにある――朝食抜きで。
「それはあなたが悪いんだから仕方ないわね」
 店主が苦笑いを浮かべながら言う。確かに仰る通りだが、物事には限度というものがある。
「どう考えてもパワハラだよ、パワハラ。あたいの生活事情ガン無視だよ? 空きっ腹に説教はきつすぎるって」
「二日酔いのときに説教されないだけマシでしょう。地獄に落ちたら、そんな寝言いえなくなるわよ」
 呆れ顔の若き店主に、あたいは苦笑いを浮かべる。彼女が中有の道の端っこに店を開いて以来、あたいはここに通い続けており、今やお互いの過去を語り合うぐらいの間柄になっていた。
 中有の道で店を出すのは皆地獄の罪人で、ここは地獄を卒業する試験も兼ねている。真面目に働き、その行いが閻魔様に認められれば、めでたく地獄からおさらばし、輪廻転生できる仕組みだ。もっともこの卒業試験にたどり着くまで、何十年という長い年月がかかる。最低でも人間の一生分の時間を要する。また、途中で屋台の売り上げをちょろまかして再び地獄に落とされる者が多く、輪廻転生できる者はごく僅からしい。
 卒業試験に合格するため、店主達はあの手この手で客を引き寄せようとする。ただ、彼女のように喧騒を嫌って何もしなかったり、辺鄙なところに店を出す変わり者もいる。彼らの目的が道楽であれ何であれ、そんな屋台は大抵閑古鳥が鳴いているのだが、のんびりと過ごしたいあたいにとっては、心地よい空間だった。
 遅い昼食を済ませると、あたいは立ち上がって財布を取り出す。
「ごちそさん。また来るね」あたいは彼女に小銭を渡す。
「次からはメニューに書いてあるものを頼んで頂戴。リクエストに応えるこっちの身にもなってほしいわ」
「ここの住人達の口に合わないもの出しても仕方ないだろう? それに、せっかくの腕前を和食とか他のジャンルで披露しないのはもったいないってもんさ」
「別にいいのよ。私がやりたいようにやるから」
 店主の頑固さに呆れつつ、あたいは片手を振って店を後にした。
 のれんをくぐり抜けると、すれ違うように一人の女性が屋台に入っていく。
 白い着物を着ていたから、すぐには誰かわからなかった。だけど、老齢ながらピンとした背筋。引き締まった表情には見覚えがあった。
 あたいは声をかけようとして、彼女の体の向こうが透けて見えることに気づいた。
 ああ、そうか。
 紅魔館のメイド長は亡くなったのか。
 
 三途の河へ行くと、岸辺に彼女が立っていた。白の着物にくるまれた後ろ姿でも、凛とした雰囲気は変わらない。
「今生の別れは済んだのかい?」
 あたいが声をかけると、彼女はこちらを振り向いた。本来喋れないはずの幽霊と会話できるのは、死神の専売特許だ。テレパシーとはちょっと違うので、念話というべきか。
「あら、誰かと思えば死神さんじゃない」
「久しぶりだねえ。ついにお前さんもここへ来てしまったわけか」
「ええ、おかげさまで無事、天寿を全うしました」
 閻魔様の教えのおかげですよ、と紅魔館のメイド長はにこやかに言った。
「そいつはよかった。四季様の説教も役に立つことがあるんだねえ。なにしろ――」
「幻想郷じゃまともに聞く住人がいない」
 二人揃って笑った。四季様の説教はスキマ妖怪ですら嫌がることで有名だった。
「まあ、お前さんの話はおいおい聞くとしよう。その前に、船渡しについて説明するよ」
 三途の河を渡るには死者の全財産が必要だ。死者の財産は銭に変わり、船賃として徴収される。あまりにも財産が少ない者は、途中で河から投げ出されてしまう。
 メイド長から銭を受け取る。幸いにして彼女が持っていた銭の数は多く、これなら一時間ほどで対岸に着くだろう。
 あたいは彼女を舟に乗せると、そっと漕ぎ始めた。
 色も音も呑みこむ河の上を、深い霧と死神の舟が静かに這う。
「お前さんは」とあたい。「あのわがまま吸血鬼に振り回されて大変だったんじゃない?」
「ええ、それはもう」あたいに背を向けたまま、彼女は話し続ける。「本当に我儘で奔放で意地っ張り。いつもやりたい放題で周りを巻き込んでばかりだったわ。でも」
「でも?」
「誰よりも気高く、美しいお嬢様でしたわ」
 彼女はさらりと言い切る。口調は老婆と思えないほど、若々しかった。
「お前さんは」とあたい。「この世に未練はないのかい?」
 逡巡があったのか僅かな沈黙を経て、老婆は体ごとこちらを振り向いた。死んだというのに、彼女は笑みを浮かべている。
「そりゃあ、ありますよ。色々とね」
「彼岸に着くまで時間はある」優しく声をかける。「それまでは、あたいに全てを話しなよ。あの世まで後悔や未練を抱え込んでも仕方ないだろう? お前さんの話を聞くのは、何も閻魔様だけじゃないのさ」
「そうね。それはそうかも」
 まるで自分に言い聞かせるように、彼女は言った。続けて、妙な質問をした。
「ねえ、人間と妖怪が、お互いのこと分かりあえたとして、人間が先に逝ってしまうことをどう思う?」
「そうさね」あたいは少し考えて答える。「せっかく人と妖怪が分かりあえても、共に生きる時間がほとんど短いのは残念だと思う」
 でもさ、とあたいは続ける。
「共に生きた記憶と人への想いは妖怪の中で残り続ける。だから、決して悲しいことばかりではないさ。少なくとも、あの吸血鬼が従者との思い出を踏みにじるような愚か者とは思わないね」
「紅魔館の住人でもないのに、知ってるような口ぶりね」
「そう何度も会ってはいないが、吸血鬼のお友達にはあたいの知り合いも多くてね。紅白の巫女や白黒の魔法使いから色々話を聞いたのさ――丁度お前さんと同じようにね」
「そう……」
 考えるように少しの間を置いて、メイド長が言った。
「じゃあ、逆に人の思いが妖怪にとって重荷にしかならないのだとしたら? その人がいなくなれば、誰が救ってあげるのかしら?」
 静かだが、力のこもった声にあたいは押し黙った。
 そういった話はごまんと聞いてきた。もっとその人に気を使っていれば。その人の思いを察していれば。死んでから初めて、死者は生前にやり残してきたことを悔やむ。だからこそ、死神の舟の上で死者は心の内を言葉で語り、自らの過去を整理し、見つめ直していく。葬式が生者のためにあるのなら、三途の河渡しは死者のためにある。
 私はね、と老婆は言った。
「お嬢様を傷つけてしまったの」

2.

 遠くからでも、紅魔館の姿は目立つ。周りの風景との同化を拒否するかのごとく佇む真紅の館は、まるで主の自尊心の高さを表すかのようだ。
 幻想郷ではまるで役に立たない門の前で、あたいは地上に降りた。門番――紅美鈴は門扉の傍らで寝転がっていた。ご丁寧にアイマスクまでしている。何故クビにならないのか不思議でしょうがない。
 そのまま通り過ぎようかと思ったが、せっかくだから彼女にも話を聞いてみることにした。
「おい、門番、いつまで寝てるのさ」
 彼女の体を二、三度揺すると、「うーん」と呻いた後、がばっと飛び起きた。
「わひゃあっ! ごめんなさい咲夜さん!」
「何寝ぼけてるんだい、お前さんは」
「へ?」
 アイマスクを外し、あたいと目が合うと、彼女は顔を真っ赤に染めた。
「えーと、何の御用でしょうか?」
「相変わらずだねえ、お前さんは。クビにならないのかい?」
「死神さんには言われたくないですよ」
 門番は身体をはたきながら立ち上がると、改めて用件を聞いてきた。
「十六夜咲夜のことで、吸血鬼のお嬢様に聞きたいことがあってさ」
「え? 咲夜さんが?」
「彼女が葬式をしたがっているのさ」
 彼女が首を傾げる。そりゃそうだ。一か月前のあたいだって同じような反応をしていたのだから。
「ちょっと待ってください、それってどういうことですか?」
「どうって、そのまんまの意味さ。他意はないよ」
「咲夜さんはもういないんですよ? まさか化けて出てきたんですか」
「まさか。あたいがちゃんと彼岸まで運んで差し上げたさ」
 反応から見るに、どうやら美鈴は何も知らないらしい。
「おや? 咲夜からは何も聞いてないのかい? 遺言とか生前の頼みみたいなもんは」
 門番は指で右のこめかみを叩きながら考え込む。たっぷり十秒かけて考え込んでいたが、やがて、彼女は首を振った。
「うーん、少なくとも私には何も。せいぜい、私の後輩をよろしくね、ぐらいでしょうか」
「他には?」
「だいぶ過去を遡ったんですけど」と門番。「他に気になるようなことはないというか、昔過ぎて覚えてないですよ。お嬢様や妹様、パチュリー様はどうか知りませんけど」
 それにしても、と彼女は言った。
「どうして、そんなことを?」
「あたいの仕事は?」
「死神」
「そう。死者の魂を彼岸まで運び、眠らせるのがあたいの仕事。現世に化けてこられちゃ困るんでね」

 レミリアが目を覚ます夕刻まで時間があったので、先に地下の図書館を訪ねることにした。新任のメイドはお嬢様の食事の準備にかかりっきりらしい。
 美鈴に案内され、床から天井まで赤色に統一された廊下を進む。窓が少ないせいか館内は薄暗く、それが一層の悪趣味さとグロテスクさを増長させていた。長居すると精神衛生上よろしくないだろう。
「咲夜さんがいなくなってからは、門番以外の仕事が増えちゃって」
 あたいの隣を歩きながら、美鈴がぼやく。
「今になって咲夜さんの偉大さが身に沁みますよ」
「後任のメイドも大変だったろう? 時間を操ることなんてできないから」
「それを皆でカバーし合うようにしたんです。咲夜さんが後任のメイドを育てるだけでなく、お飾り程度の妖精メイドも徹底的に鍛えてくれたおかげで、今では人並みに家事をこなせるようになりましたよ」
 館に支障が出ないように引き継ぎとアフターケアを万全にする辺り、さすがは完璧で瀟洒な従者といったところか。
「後任のメイドさんは時間を操る能力や弾幕勝負はできないけど、ちゃんと仕事をこなせちゃう人でしたから」
「なるほど。咲夜だったら何でも抱え込んじゃいそうだもんねえ」
 あたいが言うと、門番はうんうんと頷く。
「確かにそうですね。やっぱりそう思います?」
「そりゃあね。咲夜からは色々と苦労話を聞かせてもらったから」とあたいは言う。「お前さんから見て、十六夜咲夜はどんな人間だったのさ?」
「お嬢様のそばにいるときはほとんど感情を表に出しませんでしたけど、本当はすごく人間味があって優しい人でしたよ」
 時間を操るなんて超人みたいな能力持ってましたけど、と紅美鈴は言った。
「それ以前に咲夜さんは一人の人間でしたよ。私の前では笑ったり、怒ったり。時には耐えられなくて泣きついてきた時なんかは、こうギュッと抱きしめたくなるようなかわいさがあるんですよ」
 そう言って彼女は照れくさそうに笑う。
「思い返せば、そっけない態度の中にも、私を気にかけてくれたんだなって思うんです。あのときはこうしてたとか、こんなことを言ってくれたなとか」
「亡くなったって知った時は辛かったんじゃないのかい?」
「ええ、突然、紅魔館からいなくなった時はびっくりして、その後で後任のメイドから知らされた時は本当にショックでした」
 さぞかし辛かったに違いない。彼女はさよならの一言も言わず、いなくなったのだから。
「私はまだいいですよ。妹様が泣きわめきながら暴れ回ったときなんかはもう」
「それは恐ろしいねえ。想像したくもない」
 あたいはおおげさに体を震わせてみせる。
「今は大丈夫なのかい?」
「ええ、咲夜さんのことはちゃんと受け止めていますし、新しいメイドの言いつけも守っていますよ。ただ……」
 途端に、門番は目を伏せた。
「最近、お嬢様の様子がおかしくて」
「あの吸血鬼が?」
「覇気がないというか、ここのところ気落ちしているみたいで。本人は気丈に振る舞っているつもりなんでしょうけど」
 他者に弱みを晒すことを、高貴な吸血鬼としてのプライドが許さないのだろう。あるいは、館の主としての責務が彼女にそんな暇を与えないのか。どちらにせよ、十六夜咲夜が危惧していたことが現実になっている。
「あの、小町さん」
 門番が何か言いたそうな表情で聞いてくる。
「小町さんは亡霊に会ったことはありますか?」
 突然の質問に面食らったが、あたいはすぐに答えた。
「そりゃあ、あるよ。仕事柄、迷子になった亡霊や悪霊に出会うことはあるね」
 それどころか亡霊の知り合い――白玉楼の主がいるくらいだ。
「もしかして、お前さんも亡霊を見たのかい?」
「いや、そういうわけじゃないですけど……」
 自分で発した言葉に納得していないのか、美鈴の声が尻すぼみに消えていく。
「まさか、咲夜さんの亡霊でも?」
 あたいの言葉に門番は小さく頷く。
「見たのは私じゃないんですよ。見たって言ったのは」
 門番は僅かに逡巡した後、口を開いた。
「お嬢様なんです」

3.

 あたいと向き合って、老婆は過去を語り始めた。
「お嬢様に仕えることになったとき、人間の自分が紅魔館の一員としてやっていけるのか不安で仕方なかったわ」
 あたいに昔話を聞かせるものとは思えない、淡々とした口調で老婆は語る。
「なにせ人外達の集まり。吸血鬼姉妹に魔法使い、妖怪や妖精メイド。しかもお嬢様を中心に結束している。部外者の自分がお嬢様たちの不興を買ったら殺されるんじゃないかって思ってたもの」
 赤子の手をひねるが如く人間を殺してしまう連中に仕えるのだ。恐怖を抱かないほうがおかしい。
「初めて、お嬢様にお会いした時は、とにかく怖くて逃げ出したかったわ」
「そりゃそうだ。殺されるときは骨すら残らないだろうね。葬式すらさせてもらえない」
 それもそうね、と老婆はくすりと笑った。
「でも、緊張と恐怖で震えてた私をお嬢様は優しく受け入れてくれた。あの時かけてもらった言葉は今でも覚えている」
「ほう、レミリアはあんたにどんなことを言ったんだ」
「秘密」
「はい?」
「秘密。私だけに贈られた言葉だもの。誰にも教えないわ。それに」
 私が言っても陳腐になるだけ、と老婆は言った。
「あの言葉を聞いたとき、私はお嬢様に一生仕えようと思ったわ」
 運命を操る程度の能力を持つだけに、さぞかし魅力的かつ蠱惑的な言葉を囁いたに違いない。
「どれだけ我儘に振り回されようと、どれだけ怒られようと、必死でお嬢様についてったわ。とにかくお嬢様のお役に立ちたくて、必死に働いたの」
 でもね、と彼女は寂しそうに呟く。
「心細かったのよ、正直。相談できるような住人はいないもの。皆自由気ままにいるから、何だか自分のやっていることに意味を見出せなくなってきて」
「妖怪なんて自分勝手だからねえ。人間の常識なんか通用しないよ」
「ある日、ぷつんと糸が切れちゃってさ。気づいたら、廊下の片隅でしゃがみこんで泣いてたわ」
 しばらく泣いていると、妖怪の気配を感じ、顔を上げたら、目の前にハンカチが差し出された。
 ――大丈夫ですか?
 紅美鈴の戸惑ったような顔が目の前にあったという。
 一人で右往左往している彼女を心配して、門番の仕事をサボっては様子を見に来たのだという。
「美鈴がいなかったら、心が折れてたでしょうね」
 思わず門番に抱きついて、彼女はしばらく大泣きした。
「しばらくして落ち着いたあと、正直に理由を話したの。そうしたら」
 ――なんでも一人で背負いこむのはやめてください。私を頼ってかまいませんから。
 在りし日の思い出に浸っているのか、老婆は嬉しそうに目を細める。
「その言葉を聞いて、すごく嬉しかった。私のことを気にかけてくれる妖怪がいてくれたから。ああ、私はここにいていいんだって、そう思えたから」
 それ以来、美鈴とはよく話を交わすようになった。仕事の愚痴から他愛ない日常の話まで開けっ広げに話した。
「心に余裕が出てきたのかしら。それからはどんなことも受け止められるようになったわ。美鈴には本当に感謝しているわ。さすがに居眠りは許さなかったけど」
 そう言って彼女は薄く微笑んだ。
 紅美鈴とは数えるぐらいしか会ったことはないが、個性的な幻想郷の妖怪達の中では、まともな性格を持った妖怪だったのを覚えている。
「妹様もパチュリー様も小悪魔も、話してみると個性的なだけでいいひとばかり。一緒に過ごしていると、なんだか家族の一員みたいですごく居心地が良かった」
 これだけ聞けば、幸せな人生を送ったように見える。でも、老婆の寂しそうな表情からは、そんな幸福さは全く見えなかった。
「でもお前さんは、お嬢様を傷つけてしまったんだよね」あたいは問いかける。「何故なんだい」
 あたいから目を逸らし、老婆は何も映らない川面を眺めながら、独り言のように話す。
「お嬢様の様子がおかしい、と思ったのは、私が年寄りになってからかしら」
 外の散歩や食事時など、ふとした時、彼女の表情が曇ることがあったという。
「私が何度尋ねても、なんでもない、大したことじゃない気にするな、と返すだけ。そういわれると私も引き下がるしかなかったわ」
 しかし、日を追うごとに吸血鬼が思いつめる表情を見せることが多くなっていったという。
「お嬢様の部屋で二人きりになった時、思い切って問い詰めてみたんです。そうしたら」
 五月蠅いっ。
 レミリアは激昂し、腕を振って従者を払いのけた。
「あんなお嬢様を見たのは初めてだった」
 床に叩きつけられた彼女はどうして、と問おうとしてお嬢様の顔を見た。
「お嬢様も、自分のしでかしたことに驚いていたわ」
 見つめあったのは一瞬で、すぐにレミリアの方から目を逸らし、「すまない」の一言を残して、そのまま部屋を出て行ったという。
「お嬢様を追いかける気になれなくて、私はそのまま自分の部屋に戻るしかなかった」
 老婆は何かを否定するように首を振った。
「次の日にはお互い何事もないように振る舞っていたけど、やっぱりどこかで遠慮しあっていたわね」
 何事もなかったことにするほど二人は無神経ではなかったが、かといって向き合うほど強くはなかったか。
「結局、どうしようもできないまま、私は寿命を迎えたの」

 4.

 幻想郷に亡霊が存在する以上、吸血鬼が亡霊を見たという話に何ら驚きはしない。問題なのは、その亡霊はあたいが彼岸まで運んだはずの魂であることだ。
「レミリアが亡霊を見たのはいつの話なんだい?」
「葬式が終わって一週間くらいだと思います。お嬢様がテラスでお茶を飲んでいた時に」
 ――咲夜の霊を見たわ。
 一瞬、場の空気が凍った。隣で読書していたパチュリーも傍にいた紅美鈴も驚いたようにレミリアを見た。
「ずっと私のことをつけているような気がするんだ」
「その亡霊はどこで見たの? レミィ」
 パチュリーが聞きとがめると、レミリアは軽くため息をついた。
「咲夜が死んでから、何度も見たわ。全部紅魔館の中で」
 美鈴は困惑しきっていたが、パチュリーは何でもないかのように言った。
「どうせ、妖精メイドの悪戯か見間違いよ。レミィ、いつまでも死んだ者のことを考えてはいけないわ」
「そうね。それもそうだわ」
 レミリアは自分に言い聞かせるように呟いた。それきり、彼女が亡霊を見たという話は聞かなかったという。
「それ以降も、お嬢様が思いつめるような顔をするんです。あんなお嬢様を見たことがなかったので、正直心配です」
 主を憂う門番に、あたいは言った。
「お前さんまで気落ちしてどうする。ここは従者が主人を盛りたてなきゃ」
「はあ」
 レミリアが死者の魂に囚われてしまったのは、死の間際に彼女と言葉を交わすことができなかったからか。咲夜の死を直視せず、心の奥底に閉じ込めようとしても、ふとしたことで彼女への想いは溢れ出しそうになる。
 咲夜は自分のやったことを後悔し、あまつさえ、主人のことを救おうとしている。この世とあの世を行き来できるあたいを頼ってまで、彼女は敬愛するレミリア・スカーレットを救いたいと考えているのだ。
「まあ、死者のことでお嬢様がお悩みなら、死神であるあたいの出番さ。大船に乗ったつもりでいてくれ」
 らせん状の階段を下りると、廊下の突き当たりにひときわ大きな扉があった。
「ここが地下図書館になります。パチュリー様はおそらく、奥にいらっしゃると思います」
「ありがとさん」
 扉に手をかけたとき、後ろから美鈴の声が飛んできた。
「あの、お嬢様のこと、お願いします」
 あたいは片手を挙げて応えると、そのまま観音開きの扉を開けた。
 扉を開けると、湿っぽい、澱んだ空気があたいを包みこむ。五階まで天井をぶち抜いたかの如く広大な空間には、あたいの二倍の背丈はある本棚が規則正しく、部屋の奥までずらっと並ぶ。二階、三階部分には、壁際に通路が設けられ、そこにも夥しい量の本が隙間なく本棚に収まっていた。
 空を飛んで奥まで移動すると、部屋の一角に大きな書斎机と平積みされた本の山が見え、そこには椅子に座って読書する紫の魔法使いと本の整理をする使い魔の姿が見えた。
 声をかけようとしたら、むこうから気づいて、本から顔を上げた。
「あら、珍しいわね。死神がここにやってくるなんて」
「ああ、レミリアに用があるんだけど、お前さんにも耳に入れておいた方がいいかと思って」
「私に?」訝しげにあたいを見るパチュリー。
「ああ、レミリアのために咲夜の葬式を上げてやろうと思ってね」
「咲夜の葬式?」魔法使いが顔をしかめる。「今になって白骨死体でも出てきたのかしら? 亡霊を葬るにはその方法が良いといわれているものね」
「違うって。お前さんもおんなじこと言うね」
 あたいはうんざりしながら答える。
「咲夜の魂はあたいが運んだんだから、亡霊なんて出やしないの。これはアフターサービスみたいなものさ」
「なるほどね」そう言って紫の魔法使いは再び本に目を落とす。「死神をクビにされて葬儀屋に転職したと」
「あのなあ」これ以上言い合っても仕方ない。あたいは首を振って、話題を変える。「そういえば、レミリアが咲夜の亡霊を見たって言ってたろ。そのことで聞きたいことがあるのさ」
「美鈴が喋ったのね」パチュリーは本から目を上げずに答える。「レミィがそんなことを言いだしたのには驚いたわ。あそこまで弱っていたなんてね」
 パチュリーは小さくため息をついた。
「ただ、あの時以降、レミィが亡霊を見たなんて話は聞いていないし、私も咲夜の亡霊なんて見てないわ。私の知っている範囲では、だけど」
「どうしてレミリアはそんなことを言い出したんだろうね?」
「知らないわ」あっさりと答えるパチュリー。「でも、レミィは咲夜のことを家族の一員のように思ってたのよ。短い間だったけど、私も彼女のことはすごく評価してる」
「それだけに、レミリアは悔やんでいるのかい。咲夜を自分の従者にしたことを」
「まさか。レミィはそんな『たられば』の話は好まないわ」パチュリーは首を振った。「でも咲夜を吸血鬼にしてやりたいくらい、長くそばにいてほしいとは思っていたでしょうね。咲夜本人は断ったらしいけど」
 吸血鬼の眷属に置きたいくらい、かわいい従者だったのだろう。お別れの言葉を交わすことなく、咲夜を亡くしたのは相当辛かったに違いない。
「そういえば、咲夜は何度か図書館に足を運んでたわね」
「咲夜が?」
「ええ、なんでも後任の従者を育てるって言って何冊か借りていったわ」
「どうしてそんなことを? 咲夜は死期を悟ってたのかい?」
 魔法使いは少し考えた後、あたいの疑問に答えた。
「今思えばそうでしょうね。館を出ていく一年前に後任のメイドを雇ったのは、それを見越してのことね。周りの反対を押し切ってまでやったことだから。まあ、咲夜が新人と二人きり、部屋に籠って徹底的に鍛えてくれたおかげで、なかなか優秀なメイドにはなったから文句はなかったわね」
「へえ、咲夜が何を借りていったのか覚えているのかい?」
「貸出記録を見ればわかるけど、それは利用者のプライバシーの侵害に当たるから答えられないわ」
「白黒に本を盗まれる図書館に、プライバシーもへったくれもあるか。だいたい、咲夜はとっくに亡くなっているだろう」
「それとこれとは別よ。天狗にでも喋られたら、何を書かれるかわかったもんじゃないわ」
 死人に口無しなのだから、他人の憶測で死人の名誉を傷つけたくないのはもっともな理由だ。
「わかったよ。ただ、これとは別にあと一つだけ確認したいことがあるんだけどさ」
 なおも疑いの目を向けるパチュリーに、あたいは言った。
「咲夜は自分が持つメイドとしての技術を、後任のメイドに全て叩き込んだんだよね?」
「ええ、そうよ。それが?」
「そのメイドが働き出してから、まるで咲夜がもう一人いるような感覚とか、印象を持たなかったかい?」
訳が分からない、という風に首を傾げるパチュリー。
「そのまんまの意味だよ。そのメイドが咲夜と被って見えたか、ってこと」
 しばらく考え込んでいた魔法使いだったが、やがて「そうね」と頷いた。
「時間を操れないことを除けば、咲夜を彷彿とさせるような働きぶりだったわね」
やはりそうか。間違いない。答えを確信したあたいは小さくため息をついた。
 彼女はただ、後継者を育てただけなのだ。自分とほぼ同じ、完璧で瀟洒なメイドを作り上げれば、お嬢様に満足していただける。主人の為の行動が、まさか裏目に出てしまうとは。あたいはなんだかやるせない気分になった。
「多分、それがレミリアが見た亡霊の正体だと思うね」
「私もそう思うわ。だとしたら、咲夜は従者失格よ」
「随分と手厳しいね」
「主の気持ちを慮るなら、何も言わずにさよならなんてもってのほかでしょう?」
 主を強く想うあまり、周りが見えなくなってしまったのは仕方ないのかもしれない。敬愛する主を残して逝ってしまうのは従者にとっては辛い。
「咲夜もそのことを後悔しているよ」
「本人が反省しても、レミィはどうするつもりなの? 死神は咲夜の葬式なんかでレミィを立ち直らせることができると思ってるの?」
「葬式は生者のために行うもの。自分の過去を見つめ、現在を考え直し、そして未来へ向く。いつまでも死者の思いに囚われてはいけないのさ」
「立ち直るかはレミリア次第だと?」
「それと、咲夜もだ。あたいはあくまでもお膳立てするのだけさ」
「そう。上手くいくことを願ってるわ」
 パチュリーは片手で図書館の扉を指し示す。開いた扉の前に、案内役らしきメイドが立っていた。
「死神の葬式なんて勘弁してよ。縁起でもないんだから」
「まあ、大船に乗ったつもりでいてくれ」
 冗談とも本音ともつかない言葉に苦笑いしつつ、あたいは図書館を後にした。

5.

 メイドに案内され、最上階へ赴く。短い廊下の先に扉が一つあるだけだ。
 従者が扉をノックする。
「お嬢様、小町様をお連れしました」
 入れ、という声が扉越しから聞こえた。メイドは扉を開けて、「どうぞ」と中に促す。あたいが部屋に入ると、背後で扉の閉まる音がした。
 窓にカーテンが引かれているせいで、明かりの消えた部屋は夕暮れ時と相まってかなり薄暗い。クローゼットにベッド、テーブルに椅子が二つと素っ気ない調度品の数々が、より寂しさを際立たせていた。
 レミリアは部屋の奥で、窓際に置かれた椅子に座っていた。無表情のまま、彼女はあたいに言う。
「今度は誰の魂を運ぶ気? 死神」
「誰も運びはしないよ。ただ、お前さんに憑りついた亡霊を祓いにきただけさ」
「なんの話?」
 こちらに向ける視線はあたいを捉えていない。彼女は未だ咲夜の姿を探し求めている。
「知らないなら別にいいさ。それと、隣座っていいかい? ずっと立ってるのも辛いんでね」
「好きにしなさい」
 空いている椅子に座り、あたいはテーブルを挟んでレミリアと向かい合う。彼女はあたいと目を合わせず、カーテンのしまった窓を見ていた。
「まさか、世間話のつもりで来たわけではないんでしょう? 用件は何」
「あたいはね、お前さんを咲夜のお葬式に連れて行くために来たのさ」
「葬式? 何故今になってやる必要があるの?」
 咲夜という単語に反応したのか、レミリアはあたいに視線を向けた。
「お前さんがいつまでたってもそこを動こうとしないからだ」
「閻魔の説教の真似事でも始めたの? 結構なことね」
「咲夜はお前の情けない姿なんて見たくないはずさ」
 一瞬で部屋の温度が下がった気がする。僅かに顔を覗かせた感情に向けてあたいは話しかける。
「お前さんだってわかってるはずさ。人間と吸血鬼、いや妖怪達の寿命の差はどうあがいても埋められない」
「ええ、よく知っているわ。まさかあんなに短いものになるとは思わなかった」
「だったら咲夜がお前さんに何かを遺そうとするのは自然なことだと思わないかい?」
「亡霊を遺したのなら、私に恨みがあったということになるわ」
「それは違う」
「違う?」
レミリアは虚を突かれたように繰り返した。
「咲夜は自分が死んだ後も、お前さんに最高の奉仕を捧げようとしたんだよ。一年かけて後任のメイドを育てたのも妖精メイドを鍛えたのも、自分がいなくなっても紅魔館を維持できるようにするためにさ」
 目を伏せ、黙り込むレミリアに、あたいは言った。
「本当は聞きたかったんだろ? 吸血鬼の自分に仕えてくれた、最高で瀟洒なメイドの気持ちを」
 彼女は肯定してほしかったのではないか。吸血鬼のわがままに付き合ってくれた従者に、レミリアが謝罪と感謝の気持ちを抱いてたとするのなら。
 彼女は知りたいのだ。
 あなたは私に仕えて幸せでしたか? と。
「なあ、お前さんは聞きたいと思わないかい? 咲夜が何を思っていたか」
「どうやって聞くのよ? 咲夜はもういない」
「大丈夫。咲夜ならまた会える。そのためにお前さんを葬式に連れて行くんだからね」
「どういう意味?」
 レミリアが首を傾げた。
「そのままの意味だよ。あたいが咲夜に会わせてやるって意味さ。そこでお前さんに巣食う亡霊を成仏させる」
 あたいが言葉を終えても、レミリアは黙ったままだ。結局のところ、それはレミリア自身の問題であって、あたいは答えを待つしかなかった。もしダメだったら、弾幕勝負で勝ってでも引きずり出すしかない。
 長い沈黙の後、レミリアは小さくため息をついた。だが、彼女の表情からは固さが取れていた。
「一つ聞いていいかしら? どうして、そこまでやろうと思ったの?」
「こう見えても神様だからね。死者の願いを叶えてやるのも、死者の想いを届けてやるのも、あたいの仕事なのさ」
 あたいの答えに、レミリアは苦笑いを浮かべた。
「ふん、一生出世できなさそうね」
「生憎と、今の仕事が好きだからね」
「で、どこに行けば咲夜に会えるの?」
「そう慌てなさんな。お前さんにも咲夜にも心の準備ってのが必要だろう?」

 翌週、あたいとレミリアは中有の道を訪れた。
「神社の宴会ほどではないけど、なかなか賑わっているわね」
 中有の道の賑わいを見て、レミリアはそんな感想をもらす。
「あっちは単なるバカ騒ぎだろう。比べるのがそもそも間違いさ」
 あたいの言葉に、レミリアは僅かに顔をしかめたが、結局何も言わなかった。
三途の河に近づくにつれ、人の賑わいも減り、暗く寂れた雰囲気を醸し出している。生と死の境界に近いだけあって、どこか重く、冷たい空気が漂っていた。
「本当にこんなところに咲夜はいるのかしら」
「大丈夫だって。もうすぐ咲夜に会える」
落ち着きがないのか、横で歩いているレミリアの羽がせわしなく動いている。
「着いたよ。ここさ」
 あたいが立ち止った場所を見て、レミリアは困惑した。
「ここって……、まだ岸からは遠いじゃない」
「何言ってるのさ。咲夜はここにいるんだよ」
 そう言ってあたいは、よく通っている屋台の暖簾をくぐった。
「やあ、咲夜。レミリアを連れてきたよ」
「あら、いらっしゃい」
カウンターにいた店主はいつもの調子であたい達を出迎えてくれた。
「咲夜……」
 呆然と立ち尽くすレミリアに、屋台の店主――十六夜咲夜は笑顔で言った。
「お待ちしておりました。お嬢様」
 彼女は若くして亡くなった頃と変わらず、恭しく礼をした。
「どうしてお前がここにいる」
「お嬢様に伝えたいことがあって、私は地獄から舞い戻ってきたのですわ」
 咲夜はひざまずいて、レミリアの手を取った。
「私はお嬢様に仕えることができて、本当に幸せでした。だから、お嬢様が気に病むことはありません。これからも、強くて我儘で誇り高いお嬢様でいてください」
 レミリアは顔を俯かせると、絞り出すように言葉を紡いだ。
「……当たり前だ。馬鹿者」

6.

 老婆を彼岸に運び終えた後、中有の道に戻ったあたいは、再び屋台へ直行した。
「あら、死神さん、どうかしたの? 忘れ物かしら」
 屋台に客がいないことを確認すると、あたいは店主である十六夜咲夜に言った。
「どうして、彼女にあんな重荷を背負わせたのさ?」
 一瞬、咲夜が動きを止めたが、すぐに彼女は何事もないように仕事の手を動かし始めた。
「……私の後輩を運んだのね。話も全部?」
「ああ、聞いたよ。レミリアを傷つけてしまったことも」
「そう……」
 仕事を終えると咲夜は暖簾を下ろし、準備中の看板を表に出してから、カウンター席に座った。あたいも彼女の隣に座る。
「私の余命が短いと悟った時、真っ先にお嬢様のことが思い浮かんだの」
 たまたま受けた永遠亭の健康診断の結果から、自分の余命が残り一年だと永琳から告げられたという。
 主の為、咲夜は自身が持つ能力を使い、忠誠を尽くしてきた。いつしかその日常は当たり前になり、誰も疑問に思わなくなった。
 その能力が、他でもない咲夜自身の時間を、命そのものを削ることになることも。
 そのことにレミリアは気づかない振りをしていたし、咲夜もまた、ずっと先送りにしてきた。 そのツケが、余命一年の宣告だった。
「お嬢様は、私が突然いなくなることに耐えられない。だから、館を支える意味でも、お嬢様を支える意味でも、私の代わりになる人がどうしても必要だったの」
 永琳に固く口止めをすると、咲夜は、時を操る程度の能力を持たない点を除いて、自分自身とほぼ変わらない、完璧で瀟洒なメイドを作り上げることにしたのだ。
「図書館で本を借りたのも、その一環なのかい?」
「そうよ。とにかく私の持てる技術を彼女に叩き込めるために、私自身が他人に教えられるよう、本を借りて勉強したの。とにかく短期間で彼女を私のようなメイドにしなければならなかったのよ」
 彼女はメイドとしての作法からスペルカード、手品まで自分に関わりのある本を読み、自分の能力を理解することに時間を費やした。
「彼女は呑み込みが早くて本当に助かったわ。一年で全て物にしてくれたのよ」
「いくら技術や知識を教え込んでも、彼女はお前さんにはなれないだろう?」
「閻魔様にも同じこと言われたわ」咲夜は小さく笑う。「本当にどうかしてたんだと思う。もっと長い時間、お嬢様に仕えたかった。だから、もう一人の自分を作ったのよ。お嬢様と長い時間を共に過ごすことができる、ただの人間として」
 一秒でも長く、大切な人と一緒にいたい。それは人として当たり前の感情であり、願いなのが、あたいにはわかった。
「あなたの分身をつくることは、あの吸血鬼にも後任のメイドにも重い枷をはめてしまう」
「え?」
「裁判の時に閻魔様が言った言葉よ。最初は何の意味かわからなかったけど、地獄に落とされて、そこでじっくり考えて、やっと意味が理解できたわ」
 咲夜は淡々と言葉を続けていく。
「中有の道に来て、彼女から生前の話を聞いたときは申し訳ない気持ちでいっぱいだったわ。結果的に彼女もお嬢様も傷ついてしまったから」
「だけど、彼女はお前さんに対して何の恨みを抱いてなかったよ」
 その言葉に、咲夜はわずかに感情を表したが、すぐに元の澄まし顔に戻った。
「彼女はレミリアに最大限の忠誠を尽くした。それは決して紛い物なんかじゃないさ」
彼女は彼女なりに頑張っていた。たとえ、彼女が咲夜の代わりだったとしても、お嬢様の幸せを願う気持ちに、嘘偽りはなかったのだと思いたい。
「だったら、なおさら後輩の想いを無駄にするわけにはいかないわね。それに」
「それに?」
「元はといえば、私がお嬢様に何も言わずに死んでしまったのがいけなかったのよ。だから、けじめをつけるのも私の役目」
「どうするのさ?」
 あたいが問うと、彼女は悪戯っぽく微笑みながら、あたいを見た。
「鈍いわね。私が何の考えもなく中有の道にいると思う?」
 あたいが答えを見つけられずにいると、彼女は正解を教えてくれた。
「ここは死者と生者が交わる場所。ここでなら、お嬢様と会うことができるでしょう?」
 咲夜の答えにはっとした。
 死後、地獄に落ちても罪を償えば、中有の道まで這い上がることは可能だ。しかし、這い上がるまでには長い長い年月が必要だ。
 だが、紅魔館の面々は人間の寿命をあっさり超えるほどの時間を生きる。咲夜が最短で中有の道まで来れば、天寿を全うした後任のメイドに会うことも不可能ではない。
「だから、私は罪を償って、ここにやってきたの。彼女がお嬢様を救えなかった時、私がお嬢様の枷を外すためにね」
 館に支障が出ないように引き継ぎとアフターケアを万全にする。どこまでも完璧で瀟洒な従者に、あたいは感心するほかなかった。
 咲夜はあたいに言った。
「そのためには死神さんの協力がほしいのよ」

7.

 葬儀の準備は淀みなく進められた。
 あらかじめ四季様に許可を取り、命蓮寺に頼んで、中有の道が開く前の早朝に咲夜の屋台の前で葬儀を営むことになった。
 黙々と手慣れた様子で命蓮寺の面々が祭壇を組み上げていく。誰の手も借りずに、作業をこなしていく彼女たちを見て、あたいは感心するしかなかった。
 レミリアを始め、フランドールやパチュリー、美鈴や小悪魔と紅魔館の面々が一堂に揃った。死後、地獄に落とされながらも罪を償い、中有の道へとたどり着いた咲夜との再会に 彼女達は驚きながらも、嬉しそうに話を交わしていた。
 ――かなわないわ。
 賑やかな面々を見て、あたいは咲夜の後任だったメイドと、舟の上での話を思い出していた。

「結局私は、咲夜さんの代わりになんてなれなかったの」
 諦めを通り越して、どこかサバサバとした顔で老婆は言った。
「咲夜さんは私を自分の代わりにしようとしたけれど、いくら私が咲夜さんになろうと努力しても、それは似て非なるもの。所詮偽者にしかなれなかった」
 彼女は時間を操る程度の能力を持ってない以前に、彼女は彼女だ。咲夜ではない。
 それでも咲夜は彼女を自分の代わりを育てようとしたのは、他でもないレミリアの為だった。
「咲夜さんは誰にも気づかせないようにしていたわ。だけどもう限界だったみたいね。失踪する前夜に私を呼んで、こう言ったの。あなたが私の代わりとして、お嬢様を支えてほしい、と」
 それだけが咲夜の心残りであり、願いだった。今生の別れを言おうとすれば、平静を保つことができない。瀟洒で完璧なメイドであるが故に、彼女はレミリアに感情をさらけだすことを許さなかった。だから彼女に技術を、願いを、託した。
「能力の使いすぎで自分が死んだってことになったら、きっとお嬢様は自分自身を責める。だから、私に全てを託したの」
「咲夜の代わりになることで、少しでもお嬢様の悲しみを癒そうと思ったのかい?」
「きっとどうにかなる。咲夜さんも私もそう考えたわ。それくらい私たちは若かったから」
 彼女が咲夜になれば、レミリアはいつもの我儘吸血鬼に戻る。彼女が忠誠を尽くせば、きっとお嬢様の傷は癒えるはずだ。
 そう考えた若い二人の気持ちはわからないこともない。わからなくもないが、それを何十年も演じ続ければ、必ずどこかでボロが出る。そして、その結末がどこに行きつくのかも。
 レミリアも気づいていたはずだ。だけど、彼女は今まで以上に傷つくことを恐れ、今までの過去と向き合うことを恐れた。何事もなかったように蓋をし続け、そのまま長い時間を共に過ごしてしまった。
「お嬢様が私を払いのけた時、本当にショックだったわ。自分の力ではお嬢様を癒せないことに気づいたのよ」
「そりゃそうさ。誰だって他人様の代わりになんてなれないよ」
「でも、私が死ぬ間際になって、お嬢様は謝ったわ。お前に咲夜としての役割を押し付けて済まなかったって」
 老婆は淡々と言った。だが不思議と彼女の顔に陰りはなかった。
「だけど、その後こう言ったのよ。だが、お前なりの最大限の奉仕を受けた、それには本当に感謝している。ありがとう、と」
 最初から否定すれば良かったのだ。聡明で強い心を持つ吸血鬼なら、彼女をありのままの姿として受け入れることができたはずなのに。
「お前さんは、咲夜を恨んだりはしていないのかい?」
 あたいの質問に、老婆ははっきりと首を振った。
「恨んでなんかいないわ。自分の人生が幸せだったのか、意味があったのかはまだわからない。でも」そこで老婆は微笑んだ。「お嬢様がどれだけ素晴らしい吸血鬼なのかを特等席で見ることができただけでも、十分お釣りがきたわよ」
「そうかい。それはよかった」
 気の利いた答えは見つからなかったので、あたいはそれだけ言った。
 彼岸に着き、彼女が歩き去っていく姿に悲壮感がなかったのは、自分なりに整理がついたんだろうと、あたいは思っている。

 しばらく待つと聖白蓮が来て、あたいは現実に引き戻された。
 彼女は長々とお経を唱えてくれた。棺はなく、咲夜は祭壇に飾られた遺影の横に、黙って立っている。お経が流れている間、彼女はずっと目をつむっていたが、彼女の体は、何かに耐えるように震えていた。
 鈴を鳴らし、白蓮はお経をやめた。尼僧らしい文句は一切なかった。レミリアに一礼すると、彼女は言った。
「それでは、ただいまより仏様をお送りいたします。皆様、合掌でお送りください」
 紅魔館の住人達と命蓮寺の面々が手を合わせた。あたいも静かに手を合わせる。レミリアは寅丸星から遺影を受け取ると、それを胸に抱え、聖白蓮、咲夜に続いて、中有の道を歩き始めた。
 開店前だけに中有の道に人影はおらず、静寂に包まれている。しかし、話を聞きつけたのか、何人かの罪人が道端に立ち、合掌して見送ってくれた。皆咲夜の知り合いの店主達だった。
 中有の道の入り口まで来ると、四季様と西行寺幽々子があたい達を迎えてくれた。
「お待たせしました」
「お忙しい中、いらしてくださいまして本当にありがとうございます」
 四季様が恭しく頭を下げる。
「いえ、これが私の役目ですから」と白蓮が言った。
 レミリアに一礼し、それでは、と言って白蓮は来た道を戻っていった。仲間達と撤収作業をするためだろう。
 四季様は咲夜に告げた。
「本日をもって最終試験を終了とし、十六夜咲夜、あなたを合格とします。これより、冥界へと案内し、そこで転生を待つことになります。よろしいですね?」
  四季様の言葉に頷く咲夜。冥界に連れていかれれば、咲夜はレミリアと会うことができなくなる。
 咲夜が幽々子に歩み寄ろうとしたとき、レミリアが呼んだ。
「咲夜」
 咲夜は足を止め、静かに振り返る。レミリアは何か言おうとして、すぐに口を閉ざした。
 それでも咲夜は何も言わずに、静かに待った。やがて、意を決したようにレミリアは口を開いた。
「もしお前が生まれ変わったら、その時はもう一度、お前を従者にするわ」
 レミリアの言葉に彼女はきょとんとする。
「そこで、咲夜とその後輩のことを自慢してあげる。羨ましいと思わせるぐらいにね」
 その言葉に、咲夜は静かに微笑えんだ。
「はい、楽しみにしております、お嬢様」
「またね、咲夜。またいつか会いましょう」
「はい、お嬢様」
 きっとレミリアは二人との思い出を宝物として大切に抱えながら、生きていくのだろう。彼女と再び出会った時、そこで自慢できる思い出として語れるように。そしてそれは彼女の未来を支えてくれる。
 幽々子に連れていかれる咲夜を、あたい達三人で見送る。
 その後ろ姿は、瀟洒で完璧な従者そのものだった。
東方×中島みゆき合同より処女作を投稿しました。元ネタ楽曲:中島みゆき「時代」
東方らしさを生かした本格ミステリを味わっていただけたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
町田一軒家
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ベネ