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Domina, quo vado?

2013/04/01 01:53:55
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※書きかけです。終わる予定はありません。
※というか、書き終わる予定があれば出しません。
※携帯でうちこんだまま、推敲も全くしてません。ので、章の区切りなどがぐちゃぐちゃです。
※こんぺ作「かがみのうさぎ うさぎのかがみ」の重大なネタバレがあります。読んでない人は、そっちをまず読んでね。でないと、「かがみのうさぎ」の魅力は半減します。間違いなく。
※全く明るくもない、というか暗い話です。






















AD MEA AMATAM SOROREM, REMILIAS SCARLETEM
 この書を最愛の我が姉、Remilia Scarletに捧げる。


















 何より大切なのは、(紅魔館を)守ることであって自分を守ることではない。もし私よりも(当主に)相応しい者が見付けられたならば、即ちスカーレット(の家督)は進んで彼女に帰せられるべきであり、その時が(私の)死が訪れたと言える時なのであろう。
Remilia Scarlet "Remiliae Libelli de Domu Sanguinariae Diabolae" (tr. Flandre Scarlet)

















Domina, quo vado?
ドミナ、クオウァド
姉さま、私は何処に行く?















書籍版まえがき
 書きはじめたころは、おおよそ読者に愛想尽かされるか、射名丸さんに呆れられるか、私が飽きるか、そんな事で連載はすぐ止まると思いこんでいた。しかし、それが気付けば、これだけ長く続きあまつさえ出版されるとは、驚きの限りである。こればかりは、私が最も驚いた人妖であると誇って差し支えないだろう。
 このような望外の喜びを得られたのは、このような場を与えて下さった文々。新聞の射命丸文さん、取材に快く応じてくれた皆さん、公私に渡って執筆に協力し支えてくれた紅魔館の皆、そして大切に読んで下さる読者の皆さんの御蔭である。改めて御礼申し上げたい。

 さて唐突ではあるが、ここで、ひとつ読者の方々にお聞きしてみたいことがある。皆様は"quo vadis"という言葉をご存知であろうか。読者の中には、この名を持つ小説を知っている方も多いかもしれない。外の世界の小説『クオヴァディス』である。
 しかしこの言葉に出典があることは、耶蘇教が広まっていないこの幻想郷では、或いは余り知られていないだろう。この言葉は、元はラテン語。古典式には"クオ ウァーディス"と発音する。して、聖書外典『ペトロ行伝』にある以下のような話が出典である。

 耶蘇教がちょうど広がり始めた頃のこと。使徒ペテロが、迫害甚だしきローマから逃れようとした。その道中、ペテロは磔死したはずのキリストを見る。驚いたペテロはこう聞くのだ。
"Domine, quo vadis?(主よ、何処に行かれるのですか?)"
 キリストはこう答えた。
"Quia relinqui populum meum, Romam vado iterum crucifigi.(あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ)"」
 これに打たれたペテロは、再びローマへと戻り、ついに皇帝ネロによって殉教したという。

 聡い読者はすでにお気づきだろう。この本の題名"Domina, quo vado?"は、この文言を借りているのである。
 私には運命は見えない。もし見えていれば、きっともっと上手く生きてこれたはずだ。しかし現実はそうも上手くは行かなかった。そして今も同じだ。しかし、運命を見る者がいた。私の姉であったRemilia Scarlet。御姉様は、きっとキリストやペテロよりもずっと能く運命を知っていたはず。
 だからこそ、もはや叶わぬことながら、聞いてみたいのだ。「クオウァド(私は何処へ行くのか)」と。そうした時、果たして御姉様はどちらを指し示すだろう。幸運で平坦の未来へ導くか、試練と栄達の運命へ向かわせるか。もしくはキリストのように、名誉の死へ歩ませるだろうか。はたまた、地獄への坂道へと突き落とすだろうか。
 そんな思いをこめて、こんな題名をつけてみた。聖書からの借用というのも、悪魔の書たるこの本にはいっそ似合うだろう。






 気付いたら、こうして新聞連載の企画を持つ羽目になってしまっていて、途方に暮れていることは否定しない。少し前まで、まさかこの私が新聞連載を持つなんて全く想定していなかった。だから、というわけでもないのだけれども、きっと読みにくいものになってしまっているに違いない。
 射命丸さんからは、自由に書いてください、という許可をもらってはいる。だから、書き出しは悩んだ挙句の言い訳になってしまったのだけれども。自由に書け、といわれてみると、書くことはいろいろと多いのだ。まあ、他の方よりは幾分平坦ならざる生を送ってきたという自負もある。たとえば、495年にわたって閉じ込められていた経験というのは、それだけで書くに値するような珍しいものであるだろう。紅魔館の主の生活だって、きっと新聞連載として笑えるような面白いことが書けると思う。
 でも、基本的に書くことは決めている。せっかく射命丸さんから頂いたこの場所であるので、あの事件についてもう一度じっくり振り返ってみようと思うのだ。どうしてあの事件が起こってしまったのか、私は未だに判然としないところがある。確かにやったのは私自身であり、だからこそ私は今、紅魔館の長に身を窶している。しかし、私が本当に御姉様を憎み抜いていたのかと問われるとそれには疑問が残る。
 今だからこそ言えるけれども、私は御姉様を何よりも尊敬し、愛していた。立派に紅魔館をまとめあげる御姉様はとても輝いていて、血を分けた唯一の相手として私の憧れであり続けた。なのに、だ。
 それでも、私は私がしたことを後悔していないし、後悔してはいけないと思っている。自分で決めて自ら為したことなのだから、それに不平を言っても仕方ない。それに、自らを否定しても自分が惨めになるだけなのだ。
 何より、御姉様に対してあまりにも無礼だろう。
 また、だからこそ私は、考え直さねばならないと思うのだ。一体自分がどのような思考を経て、御姉様――Remilia Scarletを殺害してしまったのか、最愛の姉をこの手に掛けることになったのはなにゆえなのか。そして、私は何を失い何を得たのか。考え直して見つめなおす必要があるし、私自身知りたいと思っているのだ。すでにあの事件からはかなりの年月が流れたから、少し遅すぎるきらいもあるかもしれない、とは思う。これは内心あの事件に向き合うことを拒んでいたということなのだろうし、要するに私の怠惰のなすところだろう。だが、あれからある程度の時間が経ったからこそ見えてくるものもあるはずだ、とも考えているし、また時間とともに風化し行く御姉様やあの頃の幻想郷の記憶を少しでも長生きさせるには、ちょうど良いのではなかろうか、と開き直ることとした。
 それでは、これからしばらく私の文章が毎日届けられることになるわけだが、どうぞお付き合い頂きたいものである。


 まず、あの事件を語る前段として、私が元々どのような立場に居たのかについて書いてみようと思う。御姉様の手で特殊な立場に置かれていたということは、間違いなくあの事件への影響を与えているし、その立場にあったことが私自身に与えた影響も計り知れないように思うからだ。
 およそ500年もの間、私は狂った子供としてほとんど地下室に閉じ込められたままだった。人間との接触なんてまるで無く、私は"人間"というものはハンバーグとかフライとか、そんな形だと認識していた。私の前に現れる"人間"とは全てが料理として加工されたものだったから、人間が2本の足と2本の腕を持った動く存在だなんて知らなかったのだ。
 私の部屋へ世話に来るのは妖精のメイドだし、紅魔館の住人はほとんどが妖怪。当時のメイド長・十六夜咲夜は正真正銘の人間だったのだけれど、私は咲夜が人間であることを知らなかったから、やっぱり私は生身の人間を"人間"として認識したことがなかった。

 それだけに、紅霧異変の後に霊夢や魔理沙が私の所へ迷い込んで来たことは私の生においてとても大きな変化だったと思う。彼女達を"生身の人間"として始めて認識したこと。彼女達と弾幕ごっこ――これより前に咲夜から教えてもらって、あの時に夢中になってた遊び――をしたこと。そして彼女達に負かされたこと。今から見ればこんな些細なことで、世界は大きな広がりを持って私の目の前に立ち顕れた。
 私は、自分が認識する"世界"が大きなこの世界の中の極一部分にしか過ぎないということを初めて知ることとなったのだ。井の中の蛙に過ぎなかった私が、大海を知ることとなった。それは私にとって紛れも無く大きな進歩であったに違いない。
 その異変の御蔭か、私は紅魔館内なら歩き回ってもよいということとなって、少し世界が広がることとなる。広い世界の中の極一部とはいえ、自らの見聞きする世界が少しでも広がったということは、私にとって大きな喜びだった。


 これから私が書こうとする事象に於いて、その始まりを定義するのは難しいらしい。正史『幻想郷縁起』の内、9代御阿礼の子による加筆部分、通称「求聞続記」によれば、それは紅魔館と永遠亭の衝突だというし、あの事件に関しては最も信頼できる史料である『朱鵬妖境通鑑』によれば、博麗結界敷設だという。また、歴代の博麗の巫女の実録である『博麗社誌』は、博麗の巫女の横死を始まりとする。
 本によって論が斯くも別れていると、どれが正しいとも言えない問題かもしれない。私が思うに、該博な知識をベースに卓越する論理力を以て初めて語るに足る問題なのだろう。少なくとも、私の乏しい知識では裏付けに困窮するばかりで、とても論を組み立てられない。
 だから、ここでは博麗の巫女の死を以て一連の事件の始まりと為してこそいるけれども、それの裏付けはあくまで私の感性だけで、学問的なものはなにもない。そういう学術的な論は先に挙がった竹林の蓬莱人による著『朱鵬妖境史攷』に詳しい。彼女の論は古今東西の著作への広い知識に基づいて巧妙に論理構成され、格調高いながら迂遠さを纏うこともない漢文の名調子も相まって、幻想郷一の名著とも呼び慣わされている。
 閑話休題。

 さて、私が当代の博麗の巫女・博麗霊夢の死を知ったのは咲夜に聞いたからだったと思う。咲夜を通して聞いた話によれば、霊夢が突然いなくなるのはいつものことで、この時の行方不明もさして注視されなかったらしい。けれども、山の風祝である東風谷早苗が血に染まった霊夢の右袖を見つけたことがその暢気な空気を吹き飛ばしたという。結局、検証によって博麗霊夢はあろうことか妖怪に襲われて食われたということが明らかになった。
 博麗の巫女が妖怪に喰われるなんて話は、博麗の巫女が存在するようになって以来初めてのことで、幻想郷史上でも随一の大凶事だという話だった。御姉様も咲夜もパチェも、霊夢横死の情報が入ってすぐは大混乱に陥っていた。けれども私はいまいち霊夢が「死んだ」という事象が理解できていなかったから、大して騒がなかった気がする。私はまだ「死」という概念自体を理解していなかった。

 やっぱり、霊夢の死が全てに於いて画期になっていた、というのが一般的な感覚だと思う。紅魔館が永遠亭と対立を深めるようになったのも、霊夢の死によるものだったからだ。
 霊夢の葬式がとても盛大に執り行われたことは、私の記憶には鮮烈に刻まれている。幻想郷中の妖怪、とりわけ八雲紫を初めとした有力者が一堂に会し、また守矢の神も二柱揃っていた。残念ながら閻魔と死神はいなかったから、霊夢を返すよう脅すことはできなかった、と御姉様が悔しがっていたのを覚えている。
 そして今となっては笑い話とさえ言えるけれども、私はこの場で魔理沙から"霊夢が死んだ"という意味を聞いて、始めて理解した。"霊夢"という人間がもう二度と帰っては来ないということがわかって、私は暴れた。霊夢に二度と会えないということが信じられなくて、感情が抑え切れなくなったのだ。或いはもしかすると、暴れれば霊夢が退治しに来ると思ったのかもしれない。
 暴れたものの当然霊夢は現れない。その場には私よりもずっと強い者達もたくさんいたから、私は直ぐさま抑えつけられ、そのまま地下の私の部屋へ放り込まれた。
 今からすればその行動は、全くその場と言うものを弁えない愚行に外ならない。その場は幻想郷の実力者が集まる場でもあったから、御姉様の顔へまさに泥を塗りたくる行為だ。けれども当時の私は、霊夢に二度と会えないという事実に耐えられなかったのだ。

 霊夢の葬式なのだから、皆当然、霊夢に対しての慟哭に呑まれていたのだけれど、今改めて考えてみると、既に葬式の内から何となしに妙な空気が漂っていたように思う。勿論、後に何があったかを知っている私が考え直したが故の、脚色が入ってしまっているのかもしれない。でも、ただ喪失の悲しみ以上のものがあるように感じられたような記憶もあるし、やはり霊夢への弔意以上の何かがあったのだろう。
 こう書くとまるで他人事のようだけれども、私が暴れたのもそんな不穏な空気を敏感に捉えたからかもしれない。少なくとも、そこはただひたすらに霊夢を追悼する場ではなかった。

 後に輝夜へ聞くに、それは妖怪同士の牽制であったらしい。
 霊夢――博麗の巫女が妖怪に殺された、なんて事実はまさに妖怪の統制が機能不全に陥ってしまったということを示している。となれば、互いに互いが幻想郷で生きるためには、自らの権力を示すしかない。もう妖怪は統制されないので、示さねば容赦なく攻撃されることも想定せねばならなかったのだ。自分一人ならばともかく、それぞれ組織として多くの命を預かる身。そうであれば、常に最悪を想定して行動するのが長としての勤めなのだ。例えそれが、良くない流れを生み出すとしても。
 その点、妖怪の有力者が集まる霊夢の葬儀は威を示すに丁度よい場だった。既にそこは妖怪同士の交渉の場と化していたわけだ。

 ともかく、紅魔館の面子に泥を塗った私は再び地下へ幽閉されることとなった。と言っても、あんな所で暴れたことが悪いことであるくらい、当時の私もよく理解していたから、当然であるものとして捉えていた。
 それに御姉様としては、紅魔館は厳格な秩序によって統制されているということを明確にしたかったのだろう。霊夢の葬式という"厳粛な場"を壊したことに対して、たとえ妹でも厳罰を辞さぬという姿勢を見せれば、人妖たちへ紅魔館に秩序維持機能があることを見せ付けられる。つまり、幻想郷の秩序維持を八雲紫に代わって為し得ると示すことができるのだ。

 御姉様は、我々の実家である地獄へ帰るその日まで、ほぼ欠かさず日記を残している。それは、近世欧羅巴の貴族らしく端麗なラテン語(パチェに言わせれば若干英語訛りのラテン語ではあるらしいが)によって記述されていて、御姉様の教養と矜持とをよく示すものであると思う。500年に及ぶその記録は、当時の御姉様が何を考え如何に行動したか、ということばかりでなく、私が御姉様と対話するための重要な道具でもある。何か困ったことや、悩むことがあれば、この日記を繰って御姉様に"相談"するのが常だ。今回、この本を書くに当たって、この御姉様の日記"Remiliae Libelli de Domo Sanguinei Diabolum(レミリアの紅魔館日録)"を全面的に参照している。御姉様がそれを聞いたら、渋い顔をする気もするけれど。

 さて、話を戻そう。実際に御姉様があの時どこまでを予測していたかということであるけれども、それはなんともわからない。御姉様の日記にも、その頃の思考についての記述はないのである。そればかりか、美鈴・パチェの日記を読んでも御姉様の思考がわかりそうな記述はない。御姉様は考えているようでいない所があったから、もしかすると無意識のうちに抜群のセンスで行ったのかも知れない。御姉様にはそういう妙な交渉センスがあった。運命を操る才を持つし、無意識に感じるものがあっても不思議ではない。
 今となっては、私の仮説を証明する方法なんてないのだけれど。

 ともあれそれから暫く、私は暗い部屋に一人で過ごすこととなった。でも誰かに会いたいとか、寂しいから出してとか、そんなことは少しも思わなかった。
 なにせ私は、"死"という概念に初めてぶつかり、その衝撃から戻って来れていなかったのだ。
 霊夢の葬式で、魔理沙が私に向かって言った一言、"霊夢は壊れたから、もう治らない"という一言が、あのころの私を専ら支配していた。壊れたら戻ってこないというくらい、私にもわかっている。でもそれには実感というものが全くといっていいほどなかった。私が普段接していたメイドはいずれも妖精だったから、壊したところでまたしばらくすれば元に戻るし、物を壊しても私にはあまり感慨がなかった。
 だから、私にとって近しい(と思っていた)存在である霊夢が"壊れ"、二度と戻って来ないという現実はあまりにも厳しい現実だったのだ。私は物を壊すということがどれほど恐ろしい事実であるかということを、嫌というほど思い知った。
 "死"という概念の怖さ、そして何気なく感情に任せて振りかざしていた自らの能力の恐ろしさに私が立ち震えていた。



 この頃から、私の食事が次第に減っていた。私はあんなことをした罰だと思い込んでいたのだけれど、どうやらそれは違ったらしい。
 詳しい話は他の事情通や書に任せるとするけれど、紅魔館自体に入ってくる食料が減っていたという。きっかけはどうやら人里での反妖怪派の台頭らしい。よく考えれば全く無理ない話しで、妖怪と人間の調停者としてある種の尊敬を受けていたであろう(残念ながら当時の私にはそんな難しいことがわからなかったので、又聞きである)霊夢が殺されたのだから、それに人間達が怒るのも当然だ。
 とはいっても、妖怪だって物を食べなければ死んでしまうのもまた道理である。
その結果として、ますます妖怪は食べ物を求めて暴れ、人間はそれを見てより強硬となる。
 この悪循環を止めるはずの八雲紫ですら、人間側から"妖怪"として排除されてしまったというからどうしようもない。話を聞くに、八雲紫も懸命に努力して人と妖怪との融和を図っていたらしいけれど、結果として上手くいかなかったそうだ。詳しい理由は知らない。けれども、きっと八雲紫も霊夢を失ったことに動揺を隠せなかったのではないか、と私は思っている。それに霊夢を守れなかったという事実が八雲紫の求心力を奪っていたのもあるだろう。八雲紫も元来は妖怪なのである。つまり妖怪と人間の対立においては八雲紫もまた、一方の当事者であると言わざるを得ず、そんな彼女が調停役として介入すること自体に無理があったのかもしれない。調停とは、その対立の利害に関わらぬ上位者によってなされるものだからだ。
 考えてみれば、むしろそのようなことを紫が要求されること自体に問題を孕んでいたといえるのかもしれない。この世とは如何なるべし、という問いに繋がるわけで、簡言すれば、妖の立ち位置の問題である。この世における人妖という存在の定義、などという哲学的問いには答えるべくもない。しかし、ひとつわかるのは、そもそも妖怪に定義される者の力量である。
 私は吸血鬼である。つまりは妖怪の中でも強大な部類に入る。しかし、私には世そのものを治めることは、とても叶わないだろう。能力がどうこう、という問題ではない。その気になれば、私も神の一柱二柱、瞬時に握り潰してだって見せるが、世を治めるというのは余りに私の器を隔絶する。全ての秩序を安定に導くなぞ、まさに神の所業に他ならないわけで、私にはとても行いかねる。しかしながら、八雲紫という偉妖は、還暦を二度歴るの間、幻想郷という世を統べ得た。その一事を以てしても、八雲紫の力量の大なるを知る。と同時に、幻想郷の不安定さをも知ることができよう。
 紫自身の言によれば、所詮妖怪の範疇にある以上、本来的に世を統べるだけの力を持ちえない、という。実際に治めていた彼女をしてかく言わしめるのは、むしろ世を治めることの難しさ、それを行う神の畏ろしさを示すと言えまいか。



 結局のところ、食料を含めいろいろと人里に依存していた紅魔館が貧窮することとなった。私のみならず皆の食事が節約されたというのは紛れも無い事実なのだ。
 いくら妖怪が人間よりも裕福な生活を送っているとはいっても、やはり妖怪が人里からの物資に依存している部分はある。それは特に、妖怪たちならばわかっているだろう。
 同じように人里へ依存していたところに、永遠亭がある。彼女らもまた人里からの物資で生活しているから、人里からの物資が途絶してしまえば、永遠亭も死滅するしかない。不死の二人を除いて。
 けれども永遠亭は私たちよりも賢かった。幻想郷全体が霊夢を失ったことに対する悲しみに包まれているその間に、永遠亭は――八意永琳はこの状況を見越し、物資の買い占めと先買いに動いていたのである。
 結果として人里の中で妖怪に対して物を売る人間が減ったとき、その物資のほとんどは先買いした永遠亭へと流れていって、紅魔館へと入ってこなかった。これは御姉様の日記を見ればすぐにわかるし、永遠亭の輝夜もこんなことを言っていたからおそらく間違いない。

 紅魔館としてはこのまま物資がないと死んでしまうから、意地でも物資を手に入れないとならない。そのために御姉様を始めとした紅魔館は、人里へと圧力をかけていくこととなる。そうすれば一応物資は手に入るけれども、ますます反紅魔館感情が高まってしまう。
 紫も止められない悪循環に紅魔館はすっかりはまってしまった形になっていたのだ。
 その点、永遠亭はそもそも"妖怪"として認識されず、人里で薬売りとなっていたこともあって人間からの信頼も得ていた(私が思うに、因幡てゐの交渉能力も少なからず影響すると思う)。つまり、妖怪である紅魔館や八雲紫は排斥され、永遠亭だけが相対的に人里への影響力を強めていったのである。

 そんな状況の中で、紅魔館では永遠亭への反感が強まっていった。御姉様の失策だといえばそれまでだし、だから永遠亭を恨む義理なんて本当はなかったのかもしれない。しかし、私たちの得る物も全て永遠亭に持っていかれてしまうように紅魔館は捉えていた。それに、霊夢の死に慟哭するその隙を突いた物資確保は、紅魔館にしてみれば非道に他ならない。だから、紅魔館の物を取ってしまう永遠亭が許せなかったのだ。
 或いは、そう標榜することで内の支持を得ようとしたのかもしれない。不満を鬱屈させた妖精メイドに逃げられては困る。つまり永遠亭を仮想敵として、紅魔館の団結を狙ったということだ。

 そしてもう一人、永遠亭の勢力を警戒している者がいた。妖怪として人里から排除されていた八雲紫である。彼女は人里での権力回復を図ると共に、永遠亭が人里を独占することへ大きな嫌悪感を示したのである。結局勢力の均衡で平和を保っていた幻想郷の中で、もし永遠亭が完全に人里を握ってしまうようなことは避けたい。その均衡を保つのが紫の役割だから。
 そうして御姉様は八雲紫を味方に引き込んだ。紫に紅魔館が人里を占領することさえ認めさせ、紅魔館は幻想郷の何に憚る事なく人里へ多大な圧力を掛けられるようになる。
 それに人里は猛反発することは想像に難くない。『朱鵬妖境通鑑』によれば拡大していた反妖怪派が爆発。妖怪排斥運動は頂点に達したという。半妖であった寺子屋の教師が殺されたのはこの頃だとか。
 かくて人里が反妖怪派の手に落ち、とうとう物資は差し止められてしまうこととなった。これまで物資をこちらへ送ってくれていた人間達――妹紅曰く、半妖の教え子だったらしい――は悉く立場を失うこととなったのが、最大の原因である。。
 これには御姉様も動いた。永遠亭にばかり物資が流れる事実を見過ごすのは御姉様の矜持が許さなかったのだろうと、容易に想像できる。

 咲夜が霊夢の残骸の近くで笹や兎の毛を拾ったと称して、紅魔館は永遠亭を霊夢殺害犯と断じたのである。

 御姉様の上手いところは、これを永遠亭弾劾の材としなかったところである。紅魔館はあくまで証拠を積んで新聞に示しただけ。それに対して声高に追及したりはしなかった。紅魔館を表に出したわけでもない。
 その報は天狗の新聞を伝って一挙に広まった。すでに天狗と交渉を持っていたから、新聞は次々と永遠亭糾弾へ動く。それは反妖怪である人里も動かした。彼らは永遠亭をも妖怪と見做すようになったらしい。一方で紅魔館は以前程の反感を買わぬようになり、物資の調達がたやすくなった。
 これには辟易したのか、永遠亭を実質的に采配する八意永琳は紅魔館へ講和を申し出た。だが紅魔館は受け入れなかった。霊夢殺害犯の永遠亭を倒せと大義名分を立てた以上、今更後戻りできなかったのだろう。それに、講和したところで食料の調達が見込めるわけでもない。そして何より、紅魔館にいる妖精メイドたちや、紅魔館に庇護された妖怪達が、永遠亭撃滅を唱えてやまなかったのだ。
 そして講和叶わぬと断じた永遠亭の反応も早かった。紅魔館の宣伝を免れ得ぬと知るや、紅魔館以上に説得力のある証拠を集めて紅魔館による人里襲撃計画を叫んだのである。不気味なほどに的を射た紅魔館の内部情報と共に流されたそれは、紅魔館に傾きかけた人里の評価を致命的なまでに変化させた。人里は妖怪と思われるものすべてを完全に謝絶するようになり、則ち、"鎖国"状態へと突入した。その流れはもはや紅魔館はおろか、紫にすら動かし難かったのだ。
 紅魔館が敵に回したのは、正真正銘、月を采配する程の"天才"であったということを紅魔館の皆々は改めて思い知らされたのだった。
 かくて紅魔館――レミリア=スカーレットは、一つの決断を下す。これはまさに幻想郷を大混乱に陥れる決断であった。



 いい加減調べ事をするのも飽きて来たから、私について、また徒然と記そうかと思う。
 幻想郷内の状況変化から、紅魔館が苦しい情勢に巻き込まれ、永遠亭との対立を鮮明にし始めたことも、私には何の変化を齎すことはなかった。私は霊夢の葬式以来これまで出してもらえなかったし、出ようとも思わなかった。
 だから、というわけではないが、私は本を読み耽っていた。御姉様に懇願してパチェの図書館に入る許可をもらったから、本をあさり、片端から読む。本から知り得るものかどうか甚だ疑わしいのだけれど、そうして"死"というものの意味をなんとか知ろうとした。図書館でパチェやこあと話し、また時に会う紅魔館の住人達と会話を交わす程度には精神的に落ち着いていたけれども、それでも当時の私はとにかく得体の知れない"死"なる存在に恐れ慄いていた。
 そうして本を読み始めると、自分が如何に無知であったかを知る。別にソクラテス的意味で無知を知ったという話ではなく、単純に、私が文字を知らず読解力がないという事実を知ったのだ。
 それと同時に、私はさらに広い世界があることを知る。書籍にある広い世界に私は浸った。知らないことを知る、知らない概念を得る。読解力に欠ける私はゆっくり、じっくり考えながらではあったのだけれども、新しいものを得る喜びを感じていた。 そんな喜びの中で私は"死"というものの意味付けせんともがいていた。

 そんな風に過ごすある日、私は1枚の手紙を部屋の前で拾った。封筒の表には筆で達筆に「For Flandre Scarlet」と書かれていて、その裏には何も書いていない。誰から送られたかわからないから、不審に外ならない代物ではある。けれども、"狂っている"私宛ての手紙なんてほとんどない。だから私は興味津々にそれを開けて読んだ。
 送り手こそ不審そのもの。一体誰がなんのために出した手紙かまるでわからない代物であるし、中身も少し変わっていた。
 時候の挨拶もそこそこ、もしよければ文通しませんか、と、まるで活字のように癖のない楷書で書かれている。そして最後に記名されていた。「雲丹美」なんて妙な名前の人妖はおそらく幻想郷にいないだろうから、これはペンネームなのだろう。私は未だにその正体を知らない。そも、なんて読むのだろうか。「くもにみ」か「うんたんび」か、はたまた「うにび」か、今だにまったくわからない。
 けれども、癖なく真っ直ぐな字、そして素直そうな文体を見るに、相当誠実で正直な方なのだと思う。あれだけの混乱の中を生き延びられなかったのか、ある日手紙を送ったっきりになってしまって、それで終わりだった。
 ともあれ、その手紙に興味を持った私は返事を書くことにした。これまで文章を書いたことなんて全くなかったから、きっと随分酷い手紙であったに違いない。けれども私のところにその文面は残っていないから詳しいことは覚えていない。ひょっとすると、この本よりもずっと名文を書いてたかもしれない。
 こうして私は四苦八苦しながら返信を書いたわけだけれども、そこで一つの問題に気付く。私は一体どうすればこの手紙を相手に届けられるのだろうか?
 困った私は、とりあえず手紙を拾った場所に置いてみることにした。あの場所に行くことの出来る者――もしかしたら紅魔館の者だったのかもしれない――ならば、元あった場所に返事を置いておけば気付くはずだ。
 そんな私の予想は見事なまでに当たった。手紙を置いた翌日には再び「For Flandre Scarlet」と記された手紙が置かれていたのだ。
 かくて、私と誰かとの文通は始まった。最初のうちは浅いやり取りに過ぎなかったけれども、手紙を重ねるうちにその中身は深まっていった。結局のところ、私は他の者とは会いたくないと常々思っていながらも、心のうちにあるものを打ち明ける場を欲していたのだ。だから私はその打ち明け先として、顔も名も、住んでいる場所さえ知らない相手を選んだ。
 今思えば、これは短慮と言わざるをえまい。この世のどこに、あまりにも唐突かつに現れ、不審窮まりない手紙に返信を書き、文通を始め、あまつさえ自らの悩みを打ち明ける者が居ようか。いや、居るまい。悩みを打ち明けるとは弱みをさらけ出すこと。霊夢死後の混乱にある幻想郷、弱みをさらけ出す等愚行に外ならない。
 こんな短慮はただ私の不才によるわけで、こうして書くことさえ恥ずかしい。けれども、僅かながら付記したい。
 とりあえず、当時の私はとても正常な心理状態にあったとは言い難い。表層的な付き合い以上のものを行わず、考えたことは全て心のうちに溜め込んでいた。私はずっとこれを吐き出したくて仕方なかった。けれども忙しそうな紅魔館の皆に付き合ってもらうのは憚られたし、そうでなくとも私は面と向かって吐き出せるほど心は強くない。だから匿名性のある手紙は非常に都合がよかった。咄嗟に言い表せないことでもじっくり考え、自らの思いと向き合っているうちに書き表すことができる。手紙は、私の考えを表現し悩みを表すにはぴったりだったのだ。
 手紙の相手、「雲丹美」氏の文章が非常に上手かったことも上げられる気がする。あの方の手紙は読んでいて穏やかな気持ちになれるものであったし、私が不思議に思っていたり悩んでいたりすると、的確に答えを与えてくれた。何に悩んでいるのかわからないときには、その悩みを鋭く言い当ててくれた。だから私はついつい彼女に頼りがちになってしまったのだ。吐き出したいことを一方的にぶちまけても、きちんと対応してくれる。そんな知り合いは彼女くらいしかいなかったから。
 かくて私は文通にのめり込み、「雲丹美」氏によって鮮やかに描かれた外の世界を自分で見てみたいという希望を次第に強めていった。



 この頃から、魔理沙がこの紅魔館へ転がり込むようになった。あの悲惨な霊夢の死以来、魔理沙はあちこちを回っていたらしいけれども、結局、付き合いの多かった紅魔館に転がり込んだのである。
 私にとって、魔理沙は英雄である。それはこのころから、今までずっと変わらない。なぜならば、私をあの暗い地下の底から引きずり出してくれたのは紛れも無く魔理沙に他ならなかったのだ。
 最初にあの地下室へ踏み込んだのは、霊夢である。しかし、霊夢は誰にとっても中立であった。喜怒哀楽は激しいけれども、その活動は受動的だ。だから私の部屋を開きはしたけれど、それだけだった。
 しかし魔理沙は違った。霧雨魔理沙は、その持ち前の行動力と快活さとで、全てを巻き込んでいく。閉じ込められていた私だって例外ではない。私は、魔理沙に巻き込まれたことで初めて、外の世界を見たのだ。
 ところが、霊夢の死を境にして魔理沙は変わってしまっていた。私がこの時に会った魔理沙は、とても魔理沙とは思えない表情だった。まず、眼が濁っていた。幻想郷の何よりも美しかった、その金色の瞳が、すっかりその色をくすませていたのである。魔理沙だって当時は人間だったのだから、瞳の色が変わることはありえないのかもしれない。或いは、私の勘違いだったのだろう。しかし、私がそう勘違いしてしまう程に、魔理沙の雰囲気は様変わりしていた。
 その時に魔理沙が一体何考えていたかについては、霊夢への哭文を見た方が早いだろうし、私が何かを言うべきではないだろう(もっとも、魔理沙がこれを書いたのは、あの騒動が一通り収まってだいぶ後のことになるが)。
 ともあれ、私にとって英雄であった魔理沙はそこにはいなかった。そこにいたのは陰気な一人の小娘である。だから、私はすっかり落胆してしまったものだ。当時の私は魔理沙を魔理沙と認めさえしなかった。
 魔理沙は、霊夢の仇を討つために紅魔館へ来たも同然であった。少なくともこの当時、永遠亭によって霊夢が殺されたことを信じている人妖は多く、魔理沙もまた例外ではなかったのである。そして魔理沙の目から見ても、永遠亭に対抗する者として、この紅魔館が映っているのは疑いないことだった。
 つまり、魔理沙を受け入れたということは、ただその一点のみで、永遠亭との溝が広がったことを示している。御姉様もきっと、そのことを意識していたにちがいない。もう永遠亭との関係修復はならない、という運命が見えていたのではないだろうか。

 これを書いていて、私は一つ思うことがある。永遠亭との対立をどうにかして収める方法はなかったのだろうか、と。輝夜に聞いても、八意永琳に聞いても、最初から紅魔館を潰そうとしていたわけではないという。既に亡い御姉様には直接聞くことなんてできないけれども、日記を読んだり、よく相談相手になってくれていたというパチェに話を聞いたりする限りでは、決して永遠亭と喧嘩したいとは思っていなかったようであった。
 要するに、当事者達は誰もがこの対立を望んでいなかったというわけだ。だから、もしこの段階で致命的な状況に至るまでの間に上手く話し合いができていたとするならば、この後の悲劇は避けられたのではないか、と。
 しかし、実際には対立は既にどうしようもない段階に入りつつあって、誰も止められる状況ではなかった。皆が皆、最悪を想定して動かざるを得なかったからだ。何も、個人的にそれぞれがそれぞれを信用していなかったわけではないし、まして恨みなんて持ってはいなかった。しかし、それぞれが守るべき者を持っている状況に於いては、そういった個人感情に則ることは無理であったのだ。だからこそ、悲劇がある。
 それでも私は、そう思わずにはいられないのだ。

 魔理沙は、昔と打って変わって内向的であった。紅魔館へ来てからはすっかり外に出ることもなく、大概が図書館で読書しながら過ごしているかパチェに習って魔法の修業をしているようだった。
 相変わらず、本をパチェや小悪魔に選んでもらっては、地下室に帰ってそれを読むという生活をしついた私は、しばしば魔理沙と遭遇することもあった。けれども、魔理沙が私に話し掛けて来ることはまずなかったし、私も魔理沙を"魔理沙"として認めていなかったから、結局魔理沙が紅魔館にいる間、友好的に話す機会は一度も持たなかった。

 今も、当時の話を魔理沙とすることはない。私はこのころの魔理沙を考えると、申し訳なくなってあまり会話が続かないし、きっと魔理沙としてもこのころの話は封じておきたい話なのだろうな、と思っている。



 ある晴れた夜。私は御姉様に呼び出された。御姉様と顔を合わせるのは霊夢の葬式以来。実に3ヶ月ほど経っていた。そしてその3ヶ月での御姉様の変わり様に酷く驚かされた。目の下には隈が出来、険しい顔付きは以前よりも痩せてしまったように見える。優雅な威厳に満ち溢れ、私がこの世で一番(とは言っても、私にとってのこの世とは私の部屋であり、紅魔館のことであるが)尊敬していた御姉様はそこにいなかった。そこにいたのは上であがく自分そっくりの少女だった。
 きっとそれは御姉様が変わったからではなく、私が変わっていたからなのだと思う。自分と真剣に向き合っていた私は、同じ様なものを御姉様へも感じていたのだろう。

 そんなこと考える私に構わず、御姉様は私に遊び相手をくれる、と言った。壊してもいい"玩具"がたくさんあるから、喜びなさい。
 けれども私は、もうそんなことでは喜べなかった。というのも、私は自分の能力への恐怖を拭い去れてはいなかったからだ。壊してしまえば二度と戻ってこない。その事実を正面から受け止めることなど、霊夢の死をきっかけに、"死"というものの存在を知ってしまった私には無理な注文だったのだろう。
 いらない、と告げた私に御姉様は驚愕したようだった。御姉様だけではない、その場にいた咲夜もパチェも美鈴も皆一様に驚きを隠せない様子を見せた。これまで私は壊して遊ぶことを何よりの楽しみにしていたのだから、その反応は至極当然のものだと言えるだろう。
 しばらくの沈黙の後、御姉様はその理由を問うた。けれど当時の私はまだ自分が何故自分の能力を恐れるのか、その理由がわからなかったから答えようがなかった。そうして私はいつまでも答えなかったから、御姉様も皆も黙りこくって、重い空気だけがその場に残っていた。
 長い沈黙の果て、とうとう御姉様は立ち上がる。その動きに私は怯えた。自分の能力を使うことは恐ろしかったけれども、御姉様に失望されるることもまた空恐ろしかったのだ。もし要らないと断じられたが最期、私は御姉様に引導を渡されるに違いない。
 御姉様は地上に立つと、そのまますたすたと私に向かって歩いてくる。無言で御姉様が歩いてくるから、きっと怒っているに違いない。大層叱られるだろう。否、叱られるだけならよい。きっと御姉様は私を要らないものと決めただろう。ならばあるいは殺されてしまうかもしれない。
 けれども御姉様は、私の首を刎ねるわけでも、私の胴を蹴り飛ばすわけでもなかった。御姉様は立ち尽くした私の隣に立ち、肩に手を置いた。不可解な行動に固まる私をよそに、御姉様は一言告げたのだ。

 今紅魔館は危機に立たされてる。これを脱するために、貴女にも協力して欲しいの。紅魔館の皆の命を守るためには、フランが必要よ。お願いだから、協力して頂戴。

 私はその言葉にしばらく動きを失った。こんな私が御姉様から何かを頼まれるなんてことはまずなかったし、御姉様のために役に立てるなんてこともなかった。そんな私が今ここでは御姉様に必要とされている。私はそんな驚きと喜びで頭がいっぱいいっぱいになってしまっていた。
 けれども、ふと御姉様の表情を垣間見たとき、私はその事の重大さを改めて認識することになる。御姉様の顔は苦汁も伺えたし、些かの悲壮感さえそこには垣間見えた。決して遊びではないということを、本当に紅魔館の皆の明暗が掛かっていることを、私は自覚しないとならないようだった。。
 かくて私は決心した。私も御姉様に協力するということ。協力して、紅魔館を守ろうということを。


 こんな夜に限って全く月がないのか、と嘆息したのを今でも覚えている。空は雲によって隠され、星とて見ゆることなき闇に包まれ、不気味な程の静けさが辺りを覆う。そんな夜に、竹林を紅魔館の皆や魔理沙と共に抜けていく。紅魔館の皆がこうして全員で動くのはとても久しいことのように思えた。それがこんな物騒なことであるのが私には残念でならなかった。
 そのまま私たちは竹林の合間に潜んだ。斥候がうろついているとはいえ、斥候が私たちを見つける前に私たちは斥候を見つけられる。見つけた斥候を返さなければ、発見は遅らせられる。当たり前の話だ。
 かくて、そうして遅延工作を行っている間にこちらの斥候を行っていた美鈴から連絡が届く。その赤い弾は的確に御姉様の右翼に迫り、消えた。"テキエイミユ。カズスクナシ"。敵は少なく好機だということだ。とはいえ、これは元々わかっていたことである。この日、八意永琳と因幡てゐとがいないということは、既に把握していた。幻想郷きっての実力者の二人さえいなければ、紅魔館の勝利は決まったようなものだったのだ。
 時は戌刻だったように思う。丁度、雲に月が覆い隠されて、辺りが暗闇に包まれた一瞬、御姉様のグングニルが永遠亭に向けて投擲され、それが全ての悲劇への鏑矢となった。

 奇襲することに成功した私たちは、何が起きたかすら把握できていない敵を余所に、中央へ深く突入した。目標は輝夜の確保と永遠亭中枢部の徹底破壊。八意永琳が帰って来るまでに永遠亭の勢力を回復不能にするのが目的である。上に挙げた二つは、目的を達するための最低条件。永琳が帰って来る前にやり遂げるのが必須だ。
 しかし、本来なら永遠亭の護衛として戦うはずの兎達は、碌な抵抗とて見せずに逃げ惑っているばかり。そんな連中、紅魔館の皆の敵ではない。まして、スペルカードルールなんて全く適用されない、本当の殺し合いであるこの状況に於いて、逃げ惑うだけの兎は私たちにとって恰好の獲物でしかなかった。

 つい先まで、あらゆる物を破壊する能力の恐ろしさにうち震えていたはずの私は、気付かぬうちに兎の屠殺に喜びを覚え始めていた。大好きな紅魔館の皆のため、という名目で始めた戦いはいつしか自分のためとなり、率先して兎の血を浴びるようになる。
 私の能力は理性をも破壊するのだろう、に思い返したものだ。もっとも、それは私の能力とはあまり関係なかったのだろう、と今では思っている。結局、私の理性がまだ未熟で自分の破壊衝動を押さえるには足りなかった、というだけの話なのだ。
 さて、兎の血に塗れた私は気付かぬ間に永遠亭の最奥部に入り込んでいた。一際美しい襖を片手で薙ぎ倒した私は、その先に絶世の美人が座っているのを見つける。私は一目見て、それが最終目的の蓬莱山輝夜であるということに気付いた。その美しさと、満ちる力に並ならぬものを感じたからであった。
 今でこそ、互いに勢力の領袖であるという以上に、私的な友人として親しく付き合っているけれども、初めての出会いはこのようにとても殺伐としたものだった。
 その時にどんな会話をしたか、あいにく私は全く覚えていない。輝夜も同様らしく、少し前に輝夜と会った時に延々一刻も二人で考え込んだけれども、ついぞ思い出すことはならなかった。
 けれども、この時に始めて会った私達は後に、ここまで親しい付き合いをするようになるなんてまったく思いもしない。この時の私にとって輝夜とは紅魔館へ仇為す、許せざる敵であったし、きっと輝夜にとっても私は永遠亭を害する憎敵だったに違いない。かくて、私と輝夜はそれぞれの大切なものを賭けて、そこに鎬を削ることになる。その場にスペルカードルールなど存在せず、自らの存在を巡った凄惨な戦闘が現出したのだ。戦いの美しさ、弾幕の華麗さなどというものは全く考慮されず、只々相手を撃墜し、撃砕することだけを目指した攻撃がその場を支配していた。泥臭い殺し合いである。

 もし全くの対等な場で輝夜と本気で殺し合いをしたとすれば、果たして私が勝てるかどうか非常に疑問である。今では私も幻想郷の中での有力な妖怪の一として数えてもらえている。けれども、輝夜に勝てるか、と言われたらやはり首を振るしかない。彼女は不死身だ。元々アタッカーとして優秀な能力を持つ吸血鬼に生まれた私は、おそらく序盤で彼女を圧倒できるに違いない。けれども不死身の輝夜を殺しきる事は決して出来ず、その結果攻撃の隙を突かれてじわじわと傷を負わされ、結局反撃を支えきれずに私が負ける。
 今ですら輝夜に勝てないのだから、この当時の私が輝夜に勝てるはずはない。ところが、私はこの時輝夜を圧倒し続けた。決して輝夜が弱かったわけでも、輝夜が傷を受けていたというわけでもない。それ故に、とても私は不思議であった。どうしてこの時、私は輝夜を圧倒し続けられたのか、ということが。

 新聞への連載を決め、あちこちであの時のことを話に聞くにあたって、私は輝夜にも様々な話を聞いた。永遠亭関連のことはほとんど輝夜に聞いた事を元にまとめているのだけれども、その際に思い切ってこの"輝夜との出会い"の時についても聞いてみた。
 そうして初めて、当時彼女はその後ろに子兎の小屋を抱えていた、ということを知った。
 紅魔館による永遠亭強襲という事態を真っ先に理解した輝夜は、自らより何より、永遠亭にいる子兎を思い浮かべたらしい。故に最奥部に存在し、最も安全であった自室を捨て、敵中を貫いて子兎小屋へ至り、そこで私と遭遇したのだ。
 後ろに子兎小屋を抱えた輝夜は、正しく背水の陣にあったということである。私は何を気にすることもなく乱雑に攻撃をし放題であるのに対して、輝夜はそうもいかない。もし私の攻撃を後逸してしまったら、後ろに控えている子兎に被害が出てしまう。それ故、守備せねばならぬ範囲は莫大であり、例え身に代えても守り通そうとしたのである。

 さきほど私は、私が輝夜を圧倒し続けた、と書いたけれども、こう考えてみるとそれはやはり間違いであったと言わざるを得ないかもしれない。輝夜はそれだけ不利な条件を背負わされながらも私の攻撃を受け流し続けたのだから。そして結局、私は輝夜を倒し切ることができなかった。殺しても殺しても生き返って立ち塞がる輝夜を攻めあぐねたのである。次第に疲労からか動きが鈍くなる輝夜であったけれども、それでも決して諦める事なく襲い掛かってくる。その執念には驚いたし、7回殺したあたりからは恐怖感さえ抱いた。
 結局17回殺したところで、私の方が時間切れとなった。斥候を担当する小悪魔から八意永琳が山を出たという連絡が入ったのだった。八意永琳を何よりの脅威と捉えていた紅魔館として、八意永琳を直接相手するのは甚だ拙い。それ故、永遠亭の撃滅は八意永琳が帰って来るまでに遂行すべきで、帰って来るという情報が来た今、速やかに撤退するしかないのだ。
 勿論、当時の私にはそんなことがわかっているはずもない。ただ撤退の指示を聞いて、私はホッとしていた。いつまでも倒れ伏す事なく立ち向かってくる輝夜が、化け物のようで恐ろしかったからだ。私は輝夜に渾身の一撃を撃ち込んで、一気に逃げ出した。

 あの惨劇の中で、たった一つだけ不幸中の幸だったことがある、と輝夜は語ってくれた。それは子兎小屋を守り切れたことだ、と。私は結局、輝夜の防衛線を終ぞ崩すことはならなかったのだった。
 そして何より皮肉だったのが、その時私と輝夜との争いを眺めていた一匹の兎の言葉だった。今ではすっかり大人になって、八意永琳の側近さえ務めるようになってしまった彼女だが、当時はまだ右も左もわからないような子供だったという。その彼女は、輝夜と私に向かって美しい笑顔を見せながら一言告げた。あの時の弾幕勝負はとても華麗で何か感じさせるものがありました。あれ以来数え切れない程の弾幕勝負を見ましたが、あれほど美しいものはありません。
 美しさを大切にするスペルカードバトルよりも、凄惨な殺し合いのほうがずっと美しいというのは、なんとも滑稽なこと。つまるところ、美しさなんてものはそんなものなのだろう。思い返すようにうっとり語る彼女に、輝夜と私は顔を見合わせるしかなかった。

 さて、もしこの時ほんの少しだけ永琳が山を出る時間が早かったら、後の事態はどれほど変わっていただろうか、と誰もが思っているだろう。彼女が僅かに早ければ、永遠亭襲撃も"許せざる凶行"で済んだはず。しかし、現実は、非情であった。
 私が子兎小屋を守る輝夜を攻めあぐねていた頃、御姉様もまた最奥部に入り込んでいたらしい。八意永琳の居室に到達し、部屋を背をする月兎と相対したという。八意永琳の弟子である月兎・鈴仙=優曇華院=イナバは、月からの逃亡兵で意地も力もない、つまり戦力として数えるに値しない、と紅魔館で判断されていた。ところが、月の逃亡兵であるのは本当だけれど、その判断は間違っていた。自らの師匠の居室の前に立った鈴仙は、御姉様へ決死の戦いを挑んだのだ。
 まさかそこまで骨のある戦いはしない、と思っていたのか、その場にいた御姉様も咲夜も油断していたのだろう。御姉様はいきなり攻撃を浴びることになったようだ。
 元々、波長を操って相手を撹乱させる術に長けた鈴仙は守りに向いた兎だった、とは輝夜の言であるが、事実だったらしい。私同様、高い身体能力を生かした速攻・強攻を得意とした御姉様と、時を止めることで敵の攻撃を受け流し、カウンターで仕留める咲夜。ひたすら撹乱に徹する鈴仙とは相性が悪かっただろう、と容易に想像がつく。
 故に、力の差からいえば圧倒的であったはずなのに、御姉様と咲夜が存外の苦戦を強いられた。紅魔館としては、主力を釘付けにされた形となる。
 それでもやはり、最終的には御姉様の方に軍配は上がった。序盤こそ油断から押されていた御姉様達も、次第に鈴仙を圧倒するようになる。奇策を力攻して打ち破るだけの力を御姉様は持っていたのだ。それでも鈴仙の粘りは驚異的であったのだろう。そうでなければ、御姉様と咲夜があそこまで苦戦することはない。
 結局、御姉様と咲夜が鈴仙の抵抗を排除したのは小悪魔からの連絡が来る少し前であったということだ。

 撤退するために私が御姉様達と合流したとき、御姉様は妙に静かだった。まだ鈴仙との激闘の話なんて知らなかったけれども、何か機嫌が悪いのかな、と思ったものだ。
 御姉様がこの時に一体何を思っていたのか。当時の私には思いもよらないものであった。けれども今ではそれを知ることが出来る。御姉様が付けていた日記には、この時のことが詳しく記されているからだ。

   その月兎(鈴仙=優曇華院=イナバ)は逃亡兵であった。(しかしながら)私の思惑とはおおいに異なって、我々に対して頑強な抵抗を示し、満身創痍になって猶膝を屈することはなく、(我々の降伏勧告に)従うこともなかった。遂に意識を失っても、(八意永琳の)部屋――そこは永遠亭の基盤を支える(情報や器具の揃った)場所であり、だからこそ(私たちにとって)最も攻撃すべき――の扉を背にして倒れることはなかった。(鈴仙の)忠義は敵ながら称賛に値する。まさに臣の鑑と賞するべきだ。(彼女の)運命を(私が)得られなかったことは誠に残念であった。彼女を斃さずに済めばどんなによかっただろう。果たして私(の家人)には、こうして(忠を)示してくれる者がいるだろうか。

 一体、御姉様は鈴仙に何を見たのだろうか。鈴仙と御姉様との戦いを知る兎によれば、御姉様は幾度にも渡って鈴仙へ降伏を奨めたらしい。しかし、鈴仙はそれを全て蹴り捨てて、最後まで御姉様へ抵抗し続けたということだ。こう言っては故者に失礼かもしれないが、鈴仙には逃亡の前科があるわけで、この場を逃げるという選択肢は十分に含まれてよかったはずだ。ささっと逃げるのが、むしろ前科のある彼女の行動としては当然である。御姉様もまた、こう考えたに違いないだろう。しかし現実には、彼女はそれを選ぶことはなかった。
 御姉様は、とことん貴族だ。だから、騎士道的な話を割と好んでいたようだし、御姉様自身、それを少し意識していたきらいがある。そしてなによりも、上に立つとはどういうことかを理解していた。だからこそ、逃亡することなく最期まで戦いつづけた忠臣には、賛美を与えるのもよくわかる。敵だろうと賞賛すべきは賞賛する。そういうことが出来たわけだ。
 が、この日記を見る限りでは、必ずしもそこに留まらぬ感情を持っていたのではないか、とも思える。「果たして私(の家人)には、こうして(忠を)示してくれる者がいるだろうか」とわざわざ御姉様が書いた所以は、一体奈辺にあるのだろう。
 さらりと考えれば、"それに比べてうちのときたら"とでも言いそうなところである。だが、私にはそんな簡単な話とも思えない。というのも、この紅魔館で、御姉様を見捨てるような者は一人とていないのは明らかだからだ。そして、御姉様はそんな紅魔館の皆を誇りに持っていた。だから、ああやって卑下するとは少し考えにくいのだ。
 となると、一つの仮定が思い浮かぶ。御姉様は、すでに死を、そしてその理由さえも見通していたのではないか。もし肉親である私が叛した際に、紅魔館の皆がどのような行動をとるのか、不安を感じていたのではないか。
 ただ御姉様が、愛する紅魔館の皆に殉死して欲しいと思うわけもなさそうであって、やはりこの記述は疑問も残る。結局、真意は御姉様のみ知る所なのだ。
 一応だが、所詮私の拙いラテン語読解力を以て翻訳したものであるので、原文からの翻訳を間違えているかもしれない、ということを付記しておく。

 ともあれ、私達は一定の成果を挙げて永遠亭を後とした。紅魔館は永遠亭中枢部の破壊と常備薬・カルテの破棄を成功させた上、蓬莱山輝夜を沈黙させ、また鈴仙=優曇華院=イナバを殺害することに成功。永遠亭防衛の兎の大半を地獄へと蹴落とし、永遠亭の勢力を一気に削った。私達紅魔館としてみれば、文句の付けようのない大勝利である。私達は、勝利に歓声を挙げながら紅魔館への帰途についたのだった。
 かくてパンドラの箱は開かれてしまったのである。この事件は、多数の地兎と一匹の月兎の死に留まらぬ悲劇であり、また哀しいまでに喜劇であった。




  勝負のこと、六分七分の勝は十分の勝なり、八分の勝はあやうし、大合戦は殊さら右の通り肝要なり、九分十分の勝は、味方大負けの下作なり。

 外界で無類の名将と称された男の言葉らしい。その男の名前は忘れてしまったけれども、この言葉は尤もだと言えるだろう。大勝は驕りを生み、いらぬ警戒を生み、そして癒えぬ傷を敵に与える。この勝利はまさにこの典型となっていた。
 この当時の幻想郷は八雲紫一人によって全て采配されていた。妖怪同士の勢力均衡や人間と妖怪の関係は、紫によって調整されてきたのである。
 当然、勢力均衡を動かす事件である紅魔館による永遠亭襲撃も、八雲紫による許可があった。月攻略作戦等を通して元来より月人の勢力削減に力を注いでいた八雲として、紅魔館による永遠亭襲撃は丁度よかったのかもしれない。それに人里が大きな力を持ちつつあったこの時期、人里に近い永遠亭を傘下に置きたいと思ったのだろう。紫は先の飢饉の時にこれといった改善策を出すことが出来ず、その威信を削っていた。だからこそ、なんとしてでも幻想郷の統制を取り戻したい、という発想もあったかもしれない。
 しかしその判断は、今思えば、やはり間違いだったと言わざるを得ない。当時居合わせたわけでもない私が、八雲紫の取った行動を批難することは出来ないけれども(正しく言えば、"居合わせてはいた"と言えるかもしれない。とはいえ、判断する能力も立場もなかったのだから、やはり批難する資格があるとはとても言えない)、八雲の行動が八意永琳をして動かしめたのは紛れも無い事実だろう。

 自分の愛弟子を失った八意永琳は、輝夜の忠実な従者という立場を捨てた。八意永琳はこれまで、輝夜に合わせて力を抑え、あくまで輝夜を立てて来ている。幻想郷を荒らしたくない、という輝夜の意思に従い、幻想郷の中で妖怪を刺激せぬよう、あまり力を表すこともなかった。だが、永琳は怒りからそのような立場をかなぐり捨てた。永琳はこの時から、"月の賢者"となったのである。

 手始めに八意永琳は、たった一矢で魔法の森を焼き払った。その爆心は魔理沙の家。紅魔館の永遠亭襲撃に協力していたが故の報復である。これによって魔法の森は魔理沙の家を中心にその80%が跡形なく消滅。それは焼き払われたというより、蒸発という表現が近いような、壮絶な有様だった。今では玻璃床と呼ばれる、地面が光沢を持つ辺りが、その現場である。矢に込められた迦具土の火の熱で、地表が溶けてガラス化してしまったのである。

 この一報には、幻想郷中が驚愕した。魔法の森を跡形もなく吹き飛ばす程の力を持ち、かつ行使する者なぞこれまでの幻想郷ではありえなかったからだ。今までであれば、たとえ少々の揉め事であってもそれはスペルカードルールに基づく決闘で収められた。またその制定前も、決闘とて個人同士の殺し合いに留まり、幻想郷の地形を変えるほどの力を行使した者はいないし、行使しないのは暗黙の了解であった。
 確かに、殺害・壊滅を目的とした紅魔館による永遠亭襲撃もこの時期の幻想郷にしては異例であるといえた。けれども、それにしてもスペルカードルール制定前に戻っただけ。幻想郷の習慣を大きく逸脱するものではなかった。
 対して八意氏は、その力を幻想郷中へ示したのだ。たかが一矢で幻想郷の地形すら変え得るということを。故に幻想郷の住民は、誰もがその示威行為に驚かざるを得なかったのだ。

 もはや周知の通り、八意氏は本来土着神、それも土地を司る鎮守神である。輝夜によると、土着神出身ながら天津神となり、国津神の封印に協力していたという。ともあれ、彼女の力は神そのものである。神であれば、とりわけ鎮守神の出身であるとすれば、斯の如く魔法の森を焼き払うことくらい造作もなかっただろう。だが、まだ彼女が神であるということを知らなかった私達は、存外な月人の力に目が点となった。
 そして同時に、八意永琳があれ程の力を持っていたというこの状況は、私達の永遠亭襲撃が完全に失敗したということも意味していた。なぜならば、私達は目的である永遠亭の勢力漸減を全く為し得ず、むしろ力を増大させてしまったと言えるからだ。
 ところが御姉様は、この状況にも危機感をおくびにも出さなかった。全く危険など感じていないと言わんばかりである。そもそも何かを――例えそれが神であったとしても――怖がっている、警戒している御姉様なんて、私にしてみれば思いも付かないものだ。御姉様を殺して随分経った今も、怖がる御姉様を想像することはできない。 そういうわけであるから、私は御姉様を信じ切って、例え八意永琳が攻撃して来ようと紅魔館は大丈夫なものだと思っていた。八意永琳の力も御姉様には及ばないし、御姉様がその程度のことに悩むとは思えなかったのだ。
 そんな話を後にパチェへしたら、鼻で笑われたものだ。フランはまだ何にも見えていなかったのね、と。
 この頃から御姉様の顔は次第に険しくなっていた、という。顔色も悪く、咲夜もいたく心配してパチェへ相談を持ち掛けていたそうだ。
 結局、御姉様とて敗北を認めざるを得なかったということだ。苦悩の末の決断だったろう永遠亭襲撃は、結果として八意永琳の赫怒しか齎さず、紅魔館は自らの立場をいっそう危険に曝すのみに終わった。御姉様がそれを知らぬはずはない。おそらく御姉様はそれを誰よりも理解し、その上で紅魔館の皆に要らぬ心配を掛けぬよう、自信満々の体を為したのだろう。
 紅魔館はここにきて完全崩壊の危機に曝されていた。



 そんな危機にあった紅魔館で、私は一人呑気に暮らしていた。御姉様の自信満々な様子をすっかり信じ切って、紅魔館の危機をきちんと認識していなかった、ということは先にも述べた。また、私は紅魔館にとって所詮"戦力外"だった。私は理非も弁えぬ破壊魔に過ぎないのだから、永遠亭攻撃という軍事行動が終わったこの時点で、私の役割は既に無くなっていたのだ。
 危機に曝された紅魔館では、なんとか巻き返しを目論む策が様々に講じられていたという。天魔氏との交渉や、八雲紫との連携強化、命蓮寺や白玉楼を通じた和解工作。
 とりわけ正一位の神階にあり、鎮守神としてはこの日本でも一・二を争う力の持ち主である守矢神社との交渉には最大の努力が注がれたという。当時はただの門番であり、戦闘要員でしかないはずの美鈴ですら守矢神社には幾度となく通ったというのだから、その真剣さが伺える。

 しかし、私はそのどれに駆り出されることもない。紅魔館に於いて既に私の出番は残されていなかった。それどころか、危険に瀕していることさえ、私には告げられない。私は毎日、自分のことばかり考えた。それしかできなかった。
 そんな状況にあった私はますます文通にのめり込むようになったのだ。不思議なことに「雲丹美」氏は、紅魔館が危機感から警備を強化しても構わず、私の部屋の前に手紙を置いた。こう考えると、やはり紅魔館内部の者ではないかと疑いたくなる。一度手紙を置く場面を見てやろうと2日程、部屋の入口を覗き続けていたことがあるけれども、結局見ることはできなかった。
 ともあれ私は、今や唯一の外とのやり取りとなっていたこの手紙がなによりの楽しみだった。文通は回数を重ねてすっかり打ち解け、私にとって「雲丹美」氏は気軽になんでも相談することのできる相手となっていた。自分がああして495年間も封印されていたということさえ、話すようになっていた。
 いったい何故私が封印されなければならなくなったのか。当時の私はそのことに疑問を持ち始めていた。たしかに自分は理もわからぬただの破壊魔であるかもしれない。だからといって封印されねばならぬ理由はなかったのではないだろうか。もし封印されなければ、私は破壊魔になっていたのだろうか。或いは、本当に自分がこれほど無力な存在であるのかどうか。全く何も仕事を与えられぬような、ただとにかく無力な存在であったかどうか。自分だって、何か一つくらい、役に立つことが出来るのではないか。
 そういうことを考え始めると、キリがなかった。今だに陰湿な地下室を塒としている私は、陰鬱なことを考え始めるといつまでも囚われてしまって抜け出せない。
 だからそういった鬱屈したものを、私は雲丹美氏へ手紙を書くことで発散していたのである。
 そんな私に「雲丹美」氏は嫌がりもせずに向き合ってくれた。役に立たぬと落ち込む私を或いは励まし或いは慰め、それが私の心へ一つ一つと染み込んでいった。

 そんな中で、私は次第にこの封印から、解放されなければならないのではないかという思いを持ち始めていた。自分が地下室に置かれる限り、紅魔館の厄介者に甘んじる限り、自分はいつまでも外を見ることができないのではないか。
 これは勿論、雲丹美氏の手紙によって勇気付けられていた。雲丹美氏は、私を自立できる存在として扱ってくれていたし、そんな私が封印の憂き目にあっていることに対して憤ってくれてもいた。手紙にはしばしば私を封印した"理不尽な姉"への非難や、その状況から脱するべく努力するよう勧める旨が書かれていた。姉を倒せ、などというのは所詮戯れ事だ、と全く相手にしなかったけれども。
 けれども結局、外の世界を知り、自らを知ることで、知らぬうちに鬱屈してきていた封印されることへの不満、さらにいえば、自我の自立に対する要求が噴出しつつあったのだろう。だからこそ、雲丹美氏の書簡に影響される所、大であったのではなかろうか。自分の中のもやもやした不思議な感情を、雲丹美氏がうまく言い当ててくれ、そのために私はより感情をうまくまとめ、思考して手紙を書く。その繰り返しが、私の自我形成欲求を大いに刺激したのは、間違いなかろう。
 かくて私は、無我夢中ともなって手紙を書いた。このころの私の部屋は、反故紙と空になったつけペンのインク壷とで、雑然としていたのだった。



 怒りに呑まれた八意氏の動きは、留まるところを知らなかった。八意氏はその元凶である八雲邸へさえ攻撃を仕掛けたのだ。
 八雲紫とも言えば、幻想郷の維持者とて多くの人妖から認められる存在だった。だからこそ妖怪の賢者とて尊敬されていたし、それを攻撃すべきではないという考えが一般的だったようだ。
 だが八意永琳は八雲邸へ強襲を掛けた。鈴仙を討たれた恨みというのは、かくも大きかったらしい。
 八雲紫は、その式の藍も動員し、これに抗したという。紫は藍に打ち込んだ数多くの式を一つ残らず剥がし、藍がその実力を発揮し、かつ紫も最大の力を出せるように図ったという。
 藍もまた、東洋に名を知られる大妖であり、それを押さえ込む紫の力も推して知るべしである。おそらく、紅魔館が束になったって勝てる相手ではないだろう。
 後に藍へ聞く所によると、紫が藍へ助けを求め、あまつさえその式を解いたのは、これが最初で最後のことだったそうだ。

 だが、それでも勝つことはならなかった。考えてもみれば当然の話で、妖怪は鎮守神に決して勝つことをえない。人間は妖怪によって脅かされ、妖怪が人間によって討伐されるものである。そのように、鎮守神とはその土地の人妖の均衡を保つものであって、それ故力は人妖を超越している。だからこそ、いくら神に匹敵するとさえ言われる八雲紫であったとしても、そして九尾狐を帯同していようとも、鎮守神たる八意氏に勝つこと能わなかったのだ。

 紅魔館が八雲紫と八意永琳との戦闘があったのを知ったのは、藍の式神である橙が紅魔館に飛び込んできたからである。戦闘の開始より、すでに勝利すること能わぬと断じていた八雲紫は、予め退避先を確保せんと手を回したのである。
 そんな橙の頼みを、紅魔館は快く受け入れた。すでに八意氏との対立がいかんともしがたいものとなっている以上、それと対立する八雲との対立をわざわざ深める必要は全くなかったし、むしろ八雲を取り込んで少しでも仲間を増やす必然性があった。 かくて、八雲紫と藍は、共に重傷を負いながらも、なんとか八雲邸から紅魔館へと逃れ来たることとなったのである。
 それは、露骨な反永遠亭策の一貫に他ならない。たとえ、敵わぬことが明白であったとしても、永遠亭との関係は決定的に断裂していて修復は望むべくもないのだ。となれば、あと紅魔館の――お姉様に選ぶことのできる方策はこれしかなかったのである。
 そしてもし永遠亭が、八意永琳が実際に紅魔館へ強攻してきたとしたら、全滅するしかなかった。美鈴と小悪魔とパチェと咲夜と御姉様と、そして私も、みな束になって掛かったって勝つことはできない。弾幕ごっこだったら、勝つことは容易だったろう。あれならば、あの頃から私の得意分野だったから、一人でも八意永琳に勝つ自信がある。
 だが、この時は全くワケが違う。鎮守神とは、片手で妖怪を消滅させられるもの。じゃんけんでグーがパーに敗れるように、妖怪は鎮守神に敗れるのである。
 故に、この時点で鏖殺されなかった時点で、既に紅魔館は幸運であった。




 この事件より少し前、魔理沙が地底と交渉を持って、地霊殿から紅魔館への協力を取り付けていた。その詳しい理由を、私は知らないのだけれども、永遠亭・八意永琳のあまりに強大なその力を恐れたということは、想像に難くない。そして地霊殿が私たちの元へついてくれたことは、そのおかげで紅魔館は孤立状況から逃れた。
 つまるところ、この段階で次第に永遠亭包囲網が完成しつつあったのである。
 こうして紅魔館は見かけ上は大きな立ち位置を得ることになる。今や紅魔館は、幻想郷の"持ち主"である八雲紫を庇護し、地霊殿の協力を得て、永遠亭に背く旗頭となっていたのである。
 しかし、決してそれは絶対の立場ではない。やはり依然として八意永琳の力は皆の恐れる所であったし、山の支援が全く得られないのも大きな痛手であった。
 天狗の長である天魔という妖怪は、私の敬愛する妖怪の一人とさえいえる。様々な点で世話になっているという面もあるが、それ以上にその卓越した手腕には度々驚かされるからだ。今ではすっかり、妖怪の賢者として八雲紫と並び立ったことも、彼の手腕を考えれば頷かざるを得ない。
 同時に、今だからこそ言えるが、最も警戒する存在でもあった。単純な戦闘力ならば、たとえ天狗が数多かろうとも対抗しえる。しかし、天魔の手に掛かれば、紅魔館を潰すこともたやすいように思えていたからだ。
 今では、西行寺幽々子と並ぶ幻想郷歌壇の重鎮として呑気に歌を詠んでいるばかりだが、しかし今猶、独立心高き天狗を統べているのだから、その手腕は推して知るべし。
 しかし、この天魔を筆頭とする天狗は、紅魔館と行動をともにしなかった。永遠亭に対抗しなければならない紅魔館として、天狗はやはり欠かせなかったから、美鈴や咲夜が代わる代わる山に向かったが、駄目だったらしい。山を引き入れれば、それは諏訪神と近づけることを意味しており、永遠亭とも対抗するだけの力を手に入れられるはずであった。

 ついでなので、幻想郷についての調べ事をもう少し続けてしまうことにする。
 人里近くに存在していて、これより少し前に人里から放逐されていた命蓮寺は、永遠亭の庇護を受けるようになっていた。この頃、命蓮寺の開創である聖白蓮は既に成仏していた。ムラサによれば生入定というらしい。なんでも、生きながらにして解脱し、肉体と精神とが一体化して弥勒来迎の時を待つのだそうだ。もう私が書いていてまるでわからないので、これ以上説明できない。要するに、仏になったということでおおよそ間違いないのだろう。
 私が白蓮のことを知ったころには、既に白蓮は入定していたので、詳しい事情はわからない。ムラサに聞いても教えてはくれなかった。きっと、何か言いにくいことなのだという推測しかできない。

 とまれ、こうして白蓮が入定して眠り続けてしまっている以上、命蓮寺はその長がいないという状況であった。互いに白蓮への帰依でつながっていたのだから、その白蓮が裁断できなくなれば混乱して当然だ。まして、表面的には和解してはいても、神霊廟との対立を抱える命蓮寺としては、統制の取れぬ状況が続くことは望ましくなかったようである。
 結局、この時はナズーリンが采配を振るい、うまく命蓮寺を纏めつつ永遠亭に庇護を求めたらしい。寅丸星の従者という立場ながら命蓮寺を巧みに導くナズーリンの手腕はやはり相当なものがあるといわざるを得ないだろう。
 聊か意外であったのは、神霊廟もまた同様に永遠亭との協力関係を締結したことである。神霊廟としては、表面上でこそ和解し共存していたとはいいながら、一度は廟の封印を企図した白蓮氏やその弟子達をそのまま許すとも思えない。白蓮入定という話の際に、いち早く命蓮寺分裂を策動しようとして八雲紫に警告されたのも、彼女らだったらしい。
 そんな神霊廟が、命蓮寺と同じ永遠亭へ従うのは考えにくいこと。しかし、何より野心の深い豊聡耳神子にしてみれば、八意氏を神に据えつつ俗世を握ろうとしたのかもしれない。彼女らは、"妖怪風情で世を差配する"八雲が許せなかった、というフシがある。
 今や一人しか残らぬ神霊廟の思考は、イマイチわかりにくいが。

 こうして、完全に幻想郷は分裂した。中立を守りつづける山を除く全ての勢力が、紅魔館と永遠亭との二勢力に分裂し、睨み合う結果となったのだ。こういう対立を調停すべき八雲紫さえ既にその立ち位置より蹴落とされて対立に加わる羽目となって居たのだから、もはやいかんともし難い。
 ここに、悲劇の基盤は組み上がった。


十一

 さしもの私も、八雲紫と藍とが瀕死で運ばれるに至って、状況が簡単ではないということが理解できた。この時、八雲紫に直接会ったのは初めてで、既に少女の形――形而下的な形を留められないような有様であったけれども、常々私は八雲紫の話を霊夢や魔理沙から聞き及んでいたし、なにより形而下に囚われぬという時点でその膨大な力は伺えたからだ。とにかく得体の知れない恐ろしい妖怪だと、私はその吸血鬼としての勘で感覚していた。
 そんな八雲紫が、こうもズダボロになっていることに、私はまた驚かされた。まだどこか自らの能力に恐れを感じていた私ではあるけれど、しかし自分の能力が強力であるとも自負していたし、また吸血鬼の矜持もある。だがその自覚あってなお勝てぬと、八雲紫には思わされた。今だって勝てないと私は思っている。その八雲紫を打ち負かす程の妖怪が、この世には存在している。
 幸か不幸か、私は八意永琳が神たることを未だ知らなかった。
 それでも私は、自らの知る世界がまだまだ狭いことを、ただこの一事にも、強く思い知らされたのである。

 そんな中にあってなお、私は何も為すことがなかった。できなかった。紅魔館の皆が、一人残らず紅魔館のために立ち働く中、私は御姉様に独り「なにもしなくていい」と言われ、自分の部屋へ引きこもるしかなかった。
 となれば、私は無力感ばかりを募らせていくしかない。紅魔館が未曾有の危機に曝されているこの状況で危機に備えて皆が働くのに、自分はこうして毎日暢気に過ごしている。言いようのない寂寥感・焦燥感が私の暢気の裏に渦巻いていた。尤も、この時の私にはこの感情が一体何か、ということがわかっていなかったけれども。

 だから私はその得体の知れない感情を、文通の中にぶつけて行く。結果ますます、私は雲丹美氏との文通に依存していくのである。書簡を書きなぐり書きなぐり、その抱えた思いを吐き出さんとした。皆が働いている中で自分だけが全く役割を持たぬ存在で、堪えようのない無力感に支配されているということ。果たして自分がこのままでいいのか、ということ。自分は本当にここまで無力かということ。それが私を捉えて決して離すことなかったのである。
 雲丹美氏は、そんな状況に対して酷く憤ってくれた。私の力は決して無力ではないと断言してくれ、紅魔館の誰よりも力があるはずだ、と述べてくれたのである。その上で雲丹美氏は、私が紅魔館に囚われている理由を問うた。曰く、紅魔館から離れられれば、貴女も立派な妖怪として認められるはずだ、と。

 幾度も手紙をやり取りする中で、私も段々そう思うようになってゆく。まだ、私は所詮分別が出来たかできないかくらいの、未熟な妖怪だった。雲丹美氏の巧みな話術に乗せられてしまうのもすぐだったというわけだ。
 以前より次第に抱いてきた封印解放に対する思いは、こうしていやにも高まる。私が解放されればきっと紅魔館の役に立つことができる。咲夜やパチェや美鈴や、御姉様の役に立つことができるはずだ。そういう思いを溜めてゆく。自分だって紅魔館の一員になりたいと、そう思いたかった。


十二

 そのころ、私は次第に鬱屈した感情を抑えることができなくなりつつあった。私自身は、決して無力ではないのだという矜持がある。だが、現状は紅魔館がどのような状況かを詳しく知ることさえ出来ていない。そんな中で、私の感情は屈折して行くしかないのである。もはや文通のみでどうにかなるものではない。無力感と矜持に挟まれて、私は既に息の詰まる寸前でさえあるといえた。
 かつてなら、それを暴れる形でしめしただろう。しかし、既に私はそれはならないということがわかっている。私の力が強すぎることを――全てのものを容易に壊してしまえることを知ってしまったからだ。
 結果、私は紅魔館を出ようと、そう思いはじめた。とにかく、とにかく紅魔館からでれば、この独り封じられたこの状況から抜け出しさえすれば、こんな思いに耐えずとも良くなるのではないか。そう思いはじめるのは時間の問題だったわけである。

 しかし、私は外に出ることすらままならぬ状況におかれていた。外に出ようとすれば、パチェが雨を降らせてしまう。そうすれば、私は吸血鬼なのだから忽ち動け無くなってしまう。私が外に出るには、先ずこの問題をどうにかして解決せねばならない。
 そこで、私は一計を案じることにする。私はまず妖精メイド達を集め、一緒に遊ぼう、と提案した。
 このころ、実際に私は妖精メイドの皆と遊ぶことが多くなっていた。以前とは異なり、地下室の外へしばしば外出していたからそれほど皆から変に思われることもない。
 その上で、皆で砂のお城を作ろう、と言った。実際に咲夜に頼んで、庭まで出ることを認めてもらい、庭で皆を集めて大きな砂の城を作り上げた。妖精メイドたちは思ったより頑張って働いていて、私は少し驚いたくらいだ。
 それからまもなく砂のお城作りは、爆発的に流行り始めた。元来無邪気な妖精メイドたち。砂の城づくりはそんな彼らの心を捉えたらしい。我こそはよりよい城を作ってやろうとばかり、砂のお城が林立しはじめたのだ。それは最初妖精メイドだけであったが、瞬く間に湖の妖精たち皆へ広まった。妖精たちの城作り競争はだんだん熾烈となり、そのうち巨大で手の込んだ城を作るようになっていく。それは何も知らぬ人妖の度肝を抜く代物で、また度肝を抜くこと自体が妖精たちの意欲を増大させた。
 今でも時折、湖の近くには小さなお城が突如として出現するけれど、それも妖精たちの仕業だ。
 こうなってくると、妖精たちにとって雨は天敵になる。意地でも雨が降られたら困るという状況となった。どんなに凝った城でも、砂上の楼閣に過ぎぬ。つまり一雨降ってしまえばそれで崩れてしまう。実際、一週間程の後に雨が降った時は、殆どの城が半壊し、全壊した城も多かったらしい。
 さて、そんなことが起きたのを見計らって、私は悲嘆にくれる妖精メイドたちに雨の降らない策を教えてあげた。妖精たちは元々自然に近しい存在。天気だってさっと変えてしまう奴がいるというのは、前から聞いていた。上手くやれば妖精たちがパチェの術を変えられるのではないかと思ったのである。


十三

 そしてそれから二日後、私は御姉様に外出許可をもらいに行った。紅魔館に出たい、と言ったのはこの時が初めて。これまでそんなこと敵わないと思っていたし、外に出ようという意欲さえなかったから、そこからすればだいぶ成長していたのかもしれない。
 この時に会った御姉様は、ますます痩せて蒼くなってしまったように感じられた。眉間の皺も深くなっていて、紅魔館を守るために苦闘している様子は簡単に見て取れた。私の無力感はこの姿にますます募る。なんとか御姉様の役に立ちたい。そのためには紅魔館を離れなければならない。今思えば、全く矛盾していて理解できないのだけれども、それでもこの時はそんな考えで凝り固まっていた。
 外に出たいのだけれどもよいか、と問うた私に対して、御姉様はますますその眉間に皺を寄せた。今考えれば、運命を知る御姉様だから私がそんなことを言い出すのもわかっていたと思う。ならば、眉間に皺を寄せたのは一体何の故であったのか。
 この時に限らず、御姉様が一体どの程度まで"運命"を見通していたのかはわからない。全てを理解していたのかな、とも思う一方で、こうして皺を寄せたりする仕種を見ると、あまり先を見えているように思えない時もある。御姉様の日記も、このころから段々簡潔になってきていて、読みやすい一方で御姉様が何を考えているのかわかりにくくなっている。ただ、簡潔な日記ひとつ取って見ても、御姉様が切羽詰まっていたことが伺えるようだ。すくなくとも「紅魔館に関する(de Domu Sanguinariae Diabolae)」なんて名前を付けているにしては、あまりに簡潔すぎる。
 とまれ私はこの時、そんな御姉様に外出の許可を貰うことができた。但しそれは美鈴の同伴付きで、という条件の元ではあったが。御姉様がどうして外出を認めてくれたのか。今となっては、わからない。
 かくて、私は久方振りの外に踊り出た。
 晴れやかな気分に包まれて門を潜った私に対して、美鈴は幾分暗い顔つきをしていた。
 美鈴にとって、幻想郷の現状は憂うべきものあったのは間違いないし、にも増して唐突に私が外に出たい、なんて騒いだことが不吉な予感を齎したのだろう。
 或いは、既に美鈴は私が次第に独立傾向を強めていることがわかっていたのかもしれない。それについては、何度聞いても美鈴ははぐらかしてしまうから、確証はない。けれども、この紅魔館が出来るずっと前から生きている美鈴のこと。何らかの形で感じていたのだと思っている。
 しかし、いざ外に出ると美鈴は殆どそういった表情を見せることなく、はしゃぐ私に付き合ってくれた。
 本来、私ははしゃいではならないつもりだった。目的はただ外に出ることではなく、それを通して逃亡を図らんとするためなのだから。
 だが実際の所、私はやっぱりはしゃいでいた。なにせ自分の意思で外に出る経験なんて殆どなかったのだ。気分が高揚しない方が不思議というものである。私は、あちこち美鈴を引いて歩き回り、妖精達が湖の辺に作った砂のお城を見ては、その出来に驚嘆した。
 だが、こうして浮かれながらも、同時に私はきちんとやらねばならぬことも把握していた。外の様子を確実に掴むことと、砂のお城の立ち位置を把握すること。あくまでこれは、紅魔館から離れるための下調べであることを忘れるわけには行かなかった。
 私は外の世界を堪能しながらも、きちんとやるべきことをやり遂げ、紅魔館を脱出する計画を本格的に立てはじめた。


十四

 紅魔館を脱出した日の事は、今でもよく覚えている。雲一つ無い、青く高い空が目の前に広がっていて、破牢するには絶好だと喜んだものだ。それを"破牢"なんて言ってよいかわからないけれど、この時は紅魔館こそ牢であると思い込んでいた。だから私にとって、紅魔館から出ることはまさに破牢だったわけだ。
 ともあれ、事前に様々な策を講じていたその目論見は難無く成功した。私が外に出たのは丁度、美鈴が防衛から離れたその瞬間で、気が逸れたのを見計らってから。妖精の御蔭か、いつも通りの雨が降ることもなく、私は建ち並ぶ砂の巨城を目印にして、傘を片手にとにかく紅魔館から離れた。後ろから何匹かの妖精がおっとり刀で追い掛けてきたけれども、そんなものはすぐに撒けた。いくらメイド妖精たちと私とが遊ぶようになったとはいえ、メイド妖精たちは私の能力の危険さを認識しており、だから彼女達は私を恐れてあまり近付こうとしなかったのだ。そんな有様の追っ手に付かれるほど、私は間抜けでも鈍重でもない。元来、吸血鬼というのは身体能力の高さによって名を馳せた種族でもあるし妖精の十匹やら二十匹、撒くことは造作も無い。
 そう言っていたら、この間紅魔館を抜け出そうとした時に、見事に嵌められてエントランスに宙吊りとなったのだけれども。最近はすっかり行動を読まれるらしい。

 初めて独りで出た外は、とても広い世界だった。飛んでも飛んでも、先が無いのだ。当たり前かもしれないが、それは私にとっては珍しいこと。周りの世界の広大さに半ば呆然としつつ、飛ぶしかなかった。
 結局私には、目先のことしか見えていないのである。確かに、私は念入りに紅魔館脱出の計画を練った。だが、そうやって脱出した後のことについては、何一つとして考えていなかったのである。つまり折角脱出したとしても、そのあとの私には行く場所自体がなかったのだ。飛んでいるしかなかったという言葉には、そういうニュアンスも含まれている。
 そしてその状況が如何なる事態を呼ぶか、私にはなんとなく推測することができた。吸血鬼という種族は、野生生活を送ること能わざる妖怪なのである。雨やら日光なぞで死んでしまうのであるから。もしこのまま私が何もできずにさ迷っていれば、すぐに灰を路頭に撒くことになってしまっただろう。いくら当時の私でも、それくらいは頭の片隅にあった。
 それでも、まず外に出られたということただそれだけが、私にとって大きな大きな変革であって、喜ぶに値する出来事には違いない。ただ空を飛んでいられるという自由に浸っていたかったのも事実であった。飛びつづけるしかなかったことは、飛んでいたくて仕方なかったことの裏返しでもある。


十五

 正確な日付だったかは覚えていないが、私は今でも韶霞との出会いについては、きちんと覚えている。彼女との出会いは、私にとってとても大きい出来事であった。もし彼女と出会っていなかったとしたら、私はここでこうしていることはなかったに違いない。
 いまではすっかり、紅魔館の執事として定着してしまった韶霞であるが、元々永遠亭で生まれた生粋の妖怪兎であり、かの鈴仙=優曇華院=イナバの愛弟子なのだ。つまり紅魔館は、韶霞にとって師の仇ということ。
 そしてその通り、彼女はすぐに復讐のために動きはじめたらしい。御姉様によって鈴仙が討たれた後、八意永琳が紅魔館へ一向に手を出そうとしないことに憤り、永遠亭を抜け出して独り紅魔館を潰そうとやっきになったという。
 が、どだい無理な話である。たとえ永琳を酷く恐れているとはしても、この紅魔館が妖怪の中でも随一の力を誇っていたのに違いはない。如何なる妖怪であろうと、一匹の妖怪に遅れを取るなぞありえない。況や妖獣をや。並どころか上位の範疇にすら入らない、八雲藍みたいな論外でもなければ、妖獣の襲撃は歯牙にもかからない。
 事実、この時紅魔館への突入を謀った韶霞は美鈴によって打ちのめされたという。美鈴だって、御姉様や咲夜からこそ"ザル門番"扱いされていた。けれども、その実力は門番にしておくのが勿体ないと御姉様にいわしめるもの。並の妖怪でも、突破することはできないはずだ。
 ともあれ、韶霞は結局美鈴に敵わぬということだけを強く思い知らされるのみに終わってしまったわけである。

 初めは、韶霞が突如として攻撃を仕掛けてきたことに始まった。私があてもなく空に浮いているところへ、弾の嵐を浴びせたのだ。私はそれを慌てて躱しながら、敵のいるあたりに向かって全力で弾を叩き込み返した。私の弾を躱すべく彼女は浮かび上がってきて、そこで私ははじめて彼女のことを視認することになったのである。
 彼女の姿に、私はいくらか安堵した。相手に空恐ろしい怪物を想定すれば、何のことはない。一介の兎に過ぎなかったのであるから。はっきり言って韶霞の姿はとても頼りなく見えたのである。
 そして実力も隔絶していた。いくらあの鈴仙に教えを受けていたとは言っても、所詮は妖獣に成りたての兎でしかない。吸血鬼の私に勝ち目はないのである。そして事実、私は終始彼女を圧倒し続けた。
 そのままであれば、きっと私は彼女を殺してしまっただろう。スペカを用いていない時点で、当時の私には"手加減"なる概念はどこにも存在しなかったからだ。まして、相手に殺意がある状況ならば、そうなって当然である。けれども、今も韶霞はピンピンして私の執事をやっているように、結局そうはならなかったわけだ。
 それは、夢幻館の幽香さんが調停してくれたからに他ならない。幽香さんは撃ち合う私と韶霞の中に入ってくるや、私達の放つ弾幕を越える膨大な弾を放ったのだった。その威力も絶大で、私は打ち消すことすらままならないようなもの。それで私達の動きを止めてから、収めなさい、と低いながら通る声で告げたのだった。


十六

 今となっては、幽香さん――風見幽香を知らぬものもあるかも知れない。しかしあの頃の幻想郷では、八雲紫よりも力があるとさえ言われた大妖怪だった。
 幽香さんはあくまで"花を咲かせる程度"の能力しか持たないような、能力から見ればごく一般的な妖怪に過ぎないお方。されども、持つ妖力がずば抜けていて、その力のみで以て妖怪の中でも有数の地位を築いていた。なにせ、今ではくるみが長となっている夢幻館の、最初の長である。
 一体いつから幻想郷にいたのか、とかそういったことはわからない。八雲紫とは割と親しかったともいい、また不仲だったという。なんでも、博麗大結界設置の折にいろいろあったというが、私はあまり詳しくないのである。
 ただ、おそらく八雲紫と幽香さんとは不仲ではなかったと、私は思っている。もう10年以上前の話だが、くるみちゃんと私との共同主催で、幽香さんの五十回忌を営んだ際に、八雲紫はいの一番に現れて、たくさんの向日葵を飾り付けてくれたから。最期はああいう形であったけれど、八雲紫は八雲紫なりに思うところがあったのだろう。
 幽香さんが何を考えていたのかは、全くわからない。『幻想郷縁起』「求聞史記」には"危険度:極高"と書かれていた妖怪であるが、不思議なことにそれ以前に纏められた部分にはそのような記載もない。幽香さんについての記述は錯綜していて、よくわからないのだ。大妖怪にはよくあるように、ただの気まぐれで以て私と韶霞に割って入ったようにも思われるし、何か深謀を以て行動したのかもしれない。
 とにかく、幽香さんの前に私達は行動を止める他なかった。八雲紫に並ぶような妖怪に逆らう程の無謀さは、いくら私でも持っていなかった。そして韶霞もまた持っていなかったらしい。そうやって固まった私達を、幽香さんはそのまま夢幻館へと招待した。招待を断る術なんてなかったから、実質的には誘拐なのかも知れないが。
 幽香さんが自称するには、戦っているのを見つけると私も参加したくなるのだ、とか。たしかに、強い相手と戦うのが好きだ、というのはいくらか言われていた話である。でも、私たちがその"強い"の部類に入るかはかなり怪しいところで、むしろ入らないと考えた方がよいと思う。幽香さんにとっての"強い"というのは、それこそ八雲紫や八意永琳という類のものだからだ。
 とにかく、私と韶霞とは夢幻館に連れて来られ、お茶まで振る舞われてしまった。私はもとより韶霞もそれにはすっかり毒気を抜かれてしまったようで、二人して縮こまっていたのを幽香さんに笑われたのを忘れられない。
 幽香さんはそれ以上、殊更に何をするでもなく私たちが紅茶を飲み干すのをじっと見ているだけ。今だに何がしたかったのか掴めないのだから、緊張状態にある私にはわかるはずもない。とうの幽香さんはじっと私たちを眺めているだけ。あれはまるで興味のあるものを見つけた子供みたいだった。
 不気味な沈黙――とはいえ、くるみちゃんに言わせると「幽香さまはそうやって試すのが好きなお方だった」というが――は、結局韶霞によって打ち破られた。彼女はあろうことか幽香さんに向かって、どうして割り込んだ、と言い放ったのだった。彼女の言い分はよくわかる。負けそうになっているとは言え、それでも仇討ちの邪魔をされたことになるわけだから、韶霞にとって許せなかったのだろう。だが、相手はあの風見幽香である。はっきりいって韶霞では傷ひとつ付けること能わぬ相手だろう。その彼女に向かってかくも叫ぶとは無謀な話。さしもの私もすっかり呆れ返ってしまった。どうやったらそんな無謀な言葉が出てくるのだろうかと。
 しかしその言葉に幽香さんは優しく笑って一言。犬死にはよくないわ。仇討ちなら仇をきちんと討たないとね。
 それまたとんでもない一言である。その仇のひとりである私が目の前にいるというのだから。びっくりして目を丸くした私に今度は、死なないようにねなんて言うからわけがわからない。
 けれども、なにも幽香さんはただ私をからかったわけではなかった。そのまま私に続いて、なぜ外にいるのか、と問われたのだ。私が幽閉されているのを、幽香さんも知っていたのだろう。
 は、と私は自分の状況を思い出させられた。私もまた家出中であり、下手をすれば死にかけていたことを、韶霞とのいざござの中でつい認識の外にあったのである。私は自らの状況と抜け出さねばいけない理由について幽香さんに説明した。否、説明しようとした。
 しかしそれは必ずしもうまくいかない。というのも、まだまだ私は幼かったから、言葉でうまくごまかすという芸当は使えなかったし、何より私の家出の理由は全く論理的なものではなかったからだ。考えて見れば簡単な話であるのだけれど、いったい家出すればどうにかなるなんて思考が、あまりに短絡的に過ぎるのである。そういう話ではない。何をするか、というところまでが大切なのだ。その観念が私からは完全に抜け落ちている。このような状況で幽香さんに説明しようとしたって、不可能というもの。ただ私が感情で喚き立てたところで、幽香さんを動かすことは出来ない。むしろ考え無しと嘲笑われるだけだ。
 現に私はそう幽香さんに見下されるだけの結果となった。幽香さんの冷静でかつ鋭い言葉を前にして、私はなすすべなく叩き潰される他はなかった。
 最後に幽香に言われた一言は、今も肝に命じている。誰が盲らで道を走るのか、と。


十七

 くるみちゃんとエリーさんとの推測によると、もしかしたら幽香さんは私を危険視していたのではないか、という。だからこそ、韶霞との会話に託けて私を責めたのではないか、と。幽香さんは強いものを殴り倒すのは好きでも、弱い者を叩くのは嫌いだったのだとか。そう考えれば、ただ漫然と幽香さんが私を叩き潰したようには思えない。そこにはおそらく彼女なりの考えがあったのだろう。
 ともあれ、幽香さんに対してまともな反論だになしえなかった私は、幽香さんの怒りを買うことになり、その場で捕らえられた。幽香さんは吸血鬼の弱点をよく心得ていたようで、見事に指一本動かせなくなるほどの拘束魔法だったのが忘れられない。あれより力のある魔法は、それからだいぶ時が流れたけれども、まだ見たことがない。魔梨沙やパチェ、理香子さんよりもずっと強力な魔法だった。純粋な妖怪のくせに"瑣末な小手策"にも長けているのは、不思議といえば不思議だ。魔法なり法術なりというのは、足りない力を増幅し、また効率よく用いるための技にすぎないわけで、幽香さんほどの力の持ち主には先ず必要ないものだからだ。例えるなら、オセロ有段者がさらに四隅予め貰った状態とでもいえばいいだろうか。
 実際にはそんなことを考える暇なぞまったくなく、紅魔館へと引き渡された。

 美鈴と咲夜とに引き渡された私は、そのまま直で地下室に叩き込まれた。というのも当たり前の話で、私は分別の効かぬ大量破壊兵器だから地下室へ幽閉されといたわけであり、それが逃げ出すという事態は紅魔館にとって看過すべからざる問題だったわけだ。ただでさえ問題を多数抱える紅魔館としては、もし私がなにかしでかしでもすればもはや修復不能な状況へ追い込まれる可能性さえ存在した。
 先ほど、幽香さんが何を考えていたかまったくわからないと言ったが、いくらか考える材料がある。あとで美鈴から聞いたのだけれど、幽香さんは美鈴と咲夜に一言伝えたという。曰く、"ぐのうちせあうとん"と。咲夜も美鈴も、何の事かさっぱりわからないらしい。私も改めて考えたけど、やはりわからない。まず、幽香さんの言葉が本当に意味ある言葉なのかどうかさえ曖昧なのだ。けれども、今あらためて幽香さんの行動を考えるに、私の家出をただ暴走だとは捉えていなかったようにも思える。その後のことをどこまで予測していたか、それはわからないけれども。
 と幽香さんの考えをここで明らかにしても致し方の無い話。脱走した私にはわからないのだから。私は再びあの暗い暗い地下の一室で、永い時を過ごさなければならないのだ。

 井蛙は井戸の中に居続けるからこそ、井蛙であり続ける。狭い世界で完結しているからだ。しかしもし、井蛙が外に広い世界あることを知ってしまえば、井蛙は果たして井にとどまるであろうか。おそらく否だ。何としてでも外に出ようとするに違いない。
 私がまさにそれである。既に私は外の世界を実感持って知ってしまった。そうなれば地下室内がより無味乾燥たる物に見えて当然なのである。地下のこの部屋から出たいと、そう思った。
 しかし同時に私は、そういう考えだけではならないということも既に学んでいる。というよりは、嫌というほどにたたき付けられている。また盲で家出を行っても仕方ないし、そもそも成功するはずもないのだ。
 だから私は、今度こそきちんと先を見据えねばならないと強く思った。その上でこの地下の呪縛から解放されたい、と。



十八

 地下室へと再び放り込まれてより数日後、再び私は羽ペンとインク壷を取り出して、今の感情を書き殴った。一応手紙として書いたつもりだが、あまり体裁はなしていなかったかもしれない。感情に引きずられて書いたものは、碌なものにならぬことは容易に想像できるからだ。でも、だからこそ私の偽らざる感情の籠ったものになっていたとも言えるだろう。そしてそれを私はそのまま雲丹美氏へとぶつけた。部屋以外にも地下階での出歩きだけは許されていた――私が読書するようになってから、地下室にも小さな図書室を作り、そこへの出入りは許可された――から、いつも手紙の受け渡しをするその場所へ行くことはできたのだ。
 この手紙を内に秘めていたとしたら、私はどうなっただろうか。あるいは、紅魔館はあのまま今も変わらずに残りつづけた可能性がある。あるいは、御姉様の代わりに私が犠牲として血祭りに上がる結果になっていたかもしれない。ただ、この手紙にはじまる再度の雲丹美氏とのやり取りがなければ、ああいうことにはならなかったように思えてならないのである。
 ある意味で、雲丹美氏には完全に乗せられたと思っているし、もしかしたら嵌められた可能性だってきっと小さくはない。他のより良き運命はあったろう。しかし同時に、運命を操りたる姉を持っている私が、あろうことがあの事件に対して"Passibus ambiguis Fortuna volubilis errat."などと悲観して見せるのは筋違い。やはり自らの感情、判断によって私が、その道を選択したのである。たとえ嵌められたとしても。
 件の手紙にはこのように書かれていた。則ち、家出をしてわかっただろうけれど、あなたの抱える選択肢はそれほど多くない。そのままそこで暮らすか、姉を斃すか。二つに一つだ。
 それまでも、私がこの場から独立するには御姉様を殺すしかない、と書いてきていた。しかし私からしてみればそれは想像すら値しない、一種の戯れ事でしかなかった。それが、この家出を通してより明確に、現実的に映し出されてきた。幽香さんによって先を見据えよと叩かれた現在、私は嫌でも先について考えることになる。するとどうにも、御姉様がいる限り私がこの地下から出られないのではないかと、そのような指摘も、決して間違いではないのではないかと思えてくる。
 私は改めて雲丹美氏とやり取りした手紙を引き出すと、すべて読み返し始めた。雲丹美氏が私に対してどのような提言をなしてくれているのか、そしてそのうちのいくらを私が笑い捨ててしまったのか。もう一度きちんと噛み締めなければならない、と実感したのだ。
 自分の成すべき道を知るために。


十九

 私が完全な幽閉状況におかれていて、外の状況を全く知ることができないこのころであったが、紅魔館の状況は全く変わらなかったという。つまり、八雲を取り込んだ私たち紅魔館と、八意永琳ら永遠亭とが幻想郷の中で対立を示しており、人里はその双方に対して食料供給を拒否している。そういう状況である。
 その中で、地霊殿と些か繋がりを強めていたようである。紅魔館とは以前より接触を繰り返していたけれども、ここに来て地霊殿は紅魔館への支持を明確にしつつあった。このころの状況を前としては、ただ座して手を拱くわけにゆかず、態度を表さねばならなかったということだろう。
 地霊殿の状況はやはりよくわからない。この紅魔館とある種似たような状況にあった地霊殿であるけれども、結論から言えば私たちとは異なる道を歩んだ。今では、もはや地霊殿が地底に存在していることを知らない人妖もいくらかいるのではないか、というくらいである。しかしかつては地上と大きな交流を持ち、だからこそ少なからずあの頃にはいろいろなこともあったようだ。
 ともあれ、紅魔館は地霊殿など多くの妖怪の支持を受けることで、なんとか八意永琳の圧力に対抗しえていた。つもりであった。当然であるけれども、それでどうにかなるわけではない。牽制の用は成すかなという程度であり、本当に力を比べればわからない。
 それでもその御蔭か、この時期に永遠亭は全く動きを見せなかったことも事実である。結局、紅魔館の永遠亭攻撃やそれに伴う一連の報復攻撃が収まってしまうと、幻想郷には見せかけながらも平和が訪れたのである。
 しかし、この平和は例えていうならば、踊場の上に立ったのみ。騒動が収まったというのとは話が全く異なっている。表面こそ穏やかかもしれないが、それは例えていうなら過熱の水の状態である。つまり沸点を越えていながらきっかけがなく沸騰していない水に等しい。水面下ではあちこちで着々と爆発の準備が整えられていっている。何かきっかけがあれば、爆発的な突沸する状況にあった。
 そしてそのきっかけに、私はならんとしていた。


廿

 500年余り地下の一室に幽閉されつづけるということがどういうことか、いまいち実感がわかない者が多いだろう。それは当然で、殆どの人妖というのはそんな経験がないだろうからだ。そして同様に、私には500年間幽閉されないということがわからない。私にとって、大層な重しであり大層な肥やしでもある500年がない状況は、全く想像できないのだ。
 だから、500年閉じ込められたという状況に対して殊更怨みを持ったりは、していなかった。これまでは、の話である。どちらかといえば、自分の未熟さ故のものだと、そう捉えていた。
 しかし雲丹美氏とのやり取りを通して、私は、次第にそういう状況の元凶を意識し始めた。つまり、自分の状況が必ずしも私自身を原因とするものではなく、何か外的要因によってやむなく起きたものであると、そのように考えはじめたのだ。そして、その元凶とは、たった一つしか存在しない。それこそが、御姉様である。
 "この栄誉ある紅魔館には相応しくない"とて私を地下室に幽閉し、以て自らの座を安定せしめている。そこには御姉様自身の保身についてしか念頭には無く、私にとって幽閉が正しいかどうかなんて考えられていない。私はそのように考え始めたのだ。時に私は、吸血鬼として知られたヴラド=ツェペシュについての逸話を思い出した。15世紀のワラキア公であった彼は、長く弟と公爵位を争い続け、ついにはその弟の手によって暗殺されてしまったという。御姉様はその逸話を知っていて当然であるし、だからこそ私を危険な因子を持つ存在として捉えてもおかしくはない。別にワラキア公に限らず、兄弟姉妹と争った話は枚挙に暇がない。
 御姉様は、そんな危険分子である私に"狂っている"というレッテルを貼付け、また地下室に閉じ込めておくことで紅魔館当主の座を維持しつづけたのではないか。

 こうしていつの間にやら、私は御姉様に対する怨みを強めてゆく。冷静に捉えれば、その考えは独立したいという考えの発展であり、さらにその思考は御姉様を救いたいという思いから出たものである。つまりは大きな矛盾を抱えているのだが、まだ幼さから抜け出せていない私は、思考が及ばなかった。
 かくて、私は一つの結論に至る。それは、もし私がここから抜け出そうというならば、やはり御姉様を打ち倒すしかない、と。自分が一人前の吸血鬼として成長してゆくには、御姉様を殺さなければならない、と。

 自分の中でそう結論した私は、続いて御姉様を斃す具体的な方法について、考えるようになる。流石に思い立ったが吉日とばかりに行動するほど、馬鹿ではない。それは先の脱走で懲りたからだ。外に出ることもなく、咲夜や美鈴くらいしか来客もない地下室だからこそ、私はふんだんに時間を用い、様々な可能性を想定した。
 当時の私でも、純粋な戦闘能力だけを見れば御姉様に勝っている自信があった。私の能力は幻想郷の中でも有数の戦闘に適した能力であり、殊攻撃力の高さを宗とする吸血鬼同士の戦闘であれば、まず負けないとおもっている。私の能力を以てすれば、吸血鬼の薄い防御能力なぞ紙に等しいわけで、敵の攻撃を受ける前に打ち倒すこともたやすいからだ。
 であるから、私は最初こそ御姉様を斃すことについては楽観視していた。が、さて計画を立ててみようという段になると、その難事ぶりが露呈してきた。
 昨今、御姉様を無能で無力な妖怪であった、と断じるものを散見する。曰く、誤った判断を以て不当に永遠亭を攻撃し、無辜を賊虐した、悪逆非道な妖怪だ、と。果ては、幻想郷を混乱に陥れ、結局は妹に誅殺されて部下や友人にも裏切られた、強権によってのみしか部下を統帥しえないような、主に相応しくない人格であった、などという評価さえある。鈴仙が"最期まで主に忠節を尽くした英雄"として持ち上げられるに従って、自然御姉様は悪として仕立て上げられるのは仕方ない側面もあるとは思っている。
 しかしながら、御姉様だって、苦渋の決断の末にあのような行動に出たのだ。結果だけ見れば御姉様は失敗だったといえるのかもしれないけれど、あの状況で他の手があったかというとそれも怪しい。だから、そういった御姉様への中傷は、私にしてみれば全くの的外れだ。そういう言を為す者は、凡そ当時の状況もわかっていないような粗忽者でしかない。今でこそ、パチェや美鈴やその他妖精メイド達は私の下にある紅魔館に従ってくれているが、それは全て事が終わった後のことなのだ。御姉様の下から裏切った者なんて誰もいないし、幻想郷を好きで混乱させたわけじゃない。むしろ、あの困難な状況の中でも紅魔館をきちんと纏められていたわけで、非難すべきことはどこにもない。
 つまりは、御姉様を斃すためには、紅魔館の者全ての対策を取らなければならなかった。そうなると事は一気に複雑となる。メイドであり、御姉様の側近でもある咲夜は、特に対吸血鬼戦に長けていて、たやすくは勝てない。パチェも、その多属性と正確無比な魔術を打ち破るのは容易ではない。美鈴に至っては、何年生きているかもどのような力を持っているかも殆ど未知であった(少なくとも、2500年は生きているらしいと後に聞いた。が、やはり詳しくは語ってくれない)。御姉様にしても、勝てるには勝てるがこちらが圧倒的に強いかというと話は別である。
 しかもこの時の紅魔館はそれだけで済まない。重傷を負い万全の力を振るえぬとはいえ、私と比べれば圧倒的な力を持つ八雲紫。同じく重傷を負うも、こちらは既に全快しつつあった八雲藍。そして所詮は人間ではあっても、決して侮れぬ魔法使いの霧雨魔理沙。彼女達も紅魔館に滞在していたし、私が御姉様に刃向かえば敵に回る確率は十分に高かった。
 つまりは、単独では私が一番力があったとしても、複数との戦闘になってしまえば勝てる見込みは殆どない、ということになる。そして彼女達が突如寝返る可能性を考えるのも難しいのであって、単独で御姉様を斃しにかかるのは不可能であるとしか言えなかった。

 御姉様を斃すことが並外れて難しいということがわかったところで、昔の私であればすんなり辞めてしまったかもしれない。或いは面倒だとばかり、御姉様のところへ突入しては、完膚無く粉砕されていたかもしれない。そのどちらになったか、私にはわからないが、ここで踏み止まって考えようとはならなかったはず。
 そういう意味でも、私は成長したといえるのだろう。この時の私は、それでも猶、御姉様打倒策を考えるのを止めなかったのだから。これは立派な成長であるといえ、同時に機会の喪失だった。
 さて、それではどうすべきか。その策はそれ程時を掛けずして思い付いた。自分一人では手に負えなかったとしても、一対一ならばなんとかなる。外から応援を頼み、一対一の状況に持ち込めばよい。もしそこまでではなくとも、咲夜と御姉様の二人までくらいならば、何とか勝つこともできるのではないか。
 しかし、そうなると今度は御姉様に敵対して貰え、かつ紅魔館に揃う大妖怪にも十分に抗し得る妖怪を選ばねばならない。そんな者、幻想郷にはいくらかしかいない。そもそも御姉様に勝てる者を探すだけでも一苦労なのである
 しかも、実際に御姉様と敵対しえる相手でなければならない。そうなると、候補は自然と限られてくる。そうして私が思い付いたのは二人である。則ち、八意永琳と風見幽香であった。八意永琳ならば言わずもがなである。しかし同時に大きな問題もあった。直接鈴仙を殺したわけではなくとも、私はやはりあの永遠亭襲撃に関与している。という以上、八意永琳からは私も怨まれている可能性があったのだ。
 一方の幽香さんも、その妖怪に似合わぬ程の莫大な力とそれでいながら緻密な魔術を以てすれば、紅魔館の皆を引き付けることは容易に可能であるはず。また彼女は夢幻館の主でもあったわけだから、夢幻館の者を連れて協力してくれたならば、紅魔館とて総動員を余儀なくされ、結果御姉様の護衛を引き剥がすことも可能であった。
 となれば、私にはもはやそれほどの選択肢は残されていない。前に逐われたことがあるとはいえ、私にとっては他に頼るべき人も思い付かなかったのだ。

 そうなれば、なぜ逐われたかを考えるのはますます重要になる。このままの状況で会いに行っても相手にしてもらえないのは当然のこと。それどころか下手すれば殺されてしまうかもしれない。
 私が幽香に追い返された理由を、この期に及んで改めて考えることとなった。


廿一

 もう一つの課題は、やはり"紅魔館をどのようにして抜け出すか"ということ。前回のような手はもはや使えないのが明らかだった。加えて、パチェの封印は以前よりはるかに強力なものへ変更されていて、私が簡単に崩せるものとも思えなかった。
 流石に全くのお手上げだった私は、ここで件の「雲丹美」氏に相談した。もはや私の手に負える状況にはない。このころ私も魔法を独学で習い初めているとはいえ、その力は微々たるもの。吸血鬼の弱点を突くように築き上げられた結界の城塞を砕く方法なんて、私にはわからなかった。
 そして「雲丹美」氏に相談するというのは、目的を達成するという視点において確かに賢い選択だった。「雲丹美」氏はこの地下から湖の辺へと通じている秘密の抜け穴を、示してくれたのだ。吸血鬼でも通ることができる穴を。その上で「雲丹美」氏は一言、あとは工夫しろ、と言った。
 なぜ穴があるのか、私は知らない。もしかしたら、御姉様が紅魔館の主となるより前に、何らかのために空けられた抜け穴だったのかもしれない。或いは、紅魔館が来るよりも前からそこあった穴が、たまたま繋がってしまったのかもしれない。それを「雲丹美」氏が知っている理由もわからない。やはり紅魔館の誰かだったのだろうか。
 ともあれ、その穴を使えば紅魔館を抜けられることは明らかであったが、残念ながらすぐさま紅魔館からの脱走を達成できたわけではない。私はこの地下が監視されていることもわかっていた。パチェによって既にここは監視され、私がどこかに逃げれば忽ち探知される。いくら抜け道があるとはいっても、それでは太陽の畑に辿り着くことは無理だ。そのためには時間稼ぎがいる。せめて一刻稼げれば、太陽の畑に飛び込むことができる。すればもはや追跡も及ばないはず。問題はその一刻を稼ぐ方法だった。
 しばらく考えた私は、しばらくして一つの案を思いつく。それが、分身だった。
 私も昔から分身くらいはできる。弾幕ごっこでも使うくらいには慣れている。しかし、それは当然パチェを始めとしたほぼ全員にばれている。おそらくただ分身して逃げおおせようとしたところで、呆気なくバレるのは自明の理だ。
 そもそも、私の出来る分身術にはいくらかの欠点があった。それは、まず人数に制限があること。このころも、私は頑張って5体までだった。また、本体と分身とに大きな差ができてしまっているというのもある。つまり、私の分身はあくまで"私の偽物をつくる"という技に終始していて、しかも本体と分身との間には魔力や行動などの面であまりに大きな差が存在していた。実際に、分身を使ってかくれんぼをしたときには、だいたい最初に"本体"がバレた。
 しかし、これを逆手に取ることができれば、追っ手を撒くことができる。周知の事実であればこそ、きっとうまくやれば惑わすことができると考えた。
 こうして、私は密かに分身の練習を始めた。目標は、パチェを一刻ほど騙せるレベルで六体の完全分身。全く等価な六体の分身ができれば、さらに欲するならダミーの本物を偽装できる程のものができれば、文句はない。
 しかし練習とはいっても、早々実践してみるわけにもいかない。そういうことができるようになった、とわかってしまえばそれまでだからだ。つまり、できるだけ実践せずに、学ばなければならなかった。
 そうなってくると、これまでみたいにとりあえずやってみる、というわけにはゆかない。これはかなりしんどい話だ。妖怪たちにはすぐわかると思うが、そういった技はトライアンドエラーを繰り返して感覚で会得するもの。それをできないのはあまりにも厳しかった。

 そうした私が目に付けたのが、魔法であった。先述べたように、魔法というものは、よりすくない魔力で大きな成果を得る技術のようなもの。パチェに言わせれば、より深化した魔法と科学とは同じようなものという。たぶん、より少ない力で大きなものを簡単に得る、という点が共通するのだろう。
 そして吸血鬼にはあまり必要のないものであった。吸血鬼は、卓越する膂力と魔力で以て敵を薙ぎ倒す妖怪だ。そうでなくても、所謂"魔法使い"などといわれる妖怪を除けば、そんな無駄なことをする妖怪はまずいない。
 ところが、私はその例外にあたっていた。紅魔館には、魔法関連の本が昔からある。そして、最近であるが、魔法使いであるパチェも住み着いている。それゆえ、私はいくらかの魔法の使い方もわかっていたし、実際使えた。
 だから、分身もきちんとした魔法・魔術の様式に載せ直し、個々に練習すれば或いは、目標通りの分身術を得ることも可能ではないか、と考えたわけである。


廿二

 二度目の紅魔館からの脱走は、一度目の時とは大きく違うように、私には思えた。一度目の時は、自分が外に出るという点ではたしかに緊張もあったし、希望に溢れていた。しかし、紅魔館を出た先のことなんてまるで考えていなかったし、ましてそれがどれほど大きいことかなんて全く考えていなかった。
 しかし、この時は違う。私の紅魔館脱走は、御姉様を打ち倒すという立派な目的を持って行われるものであった。つまりは、これが始まりに過ぎなかった、ということ。大きな大きな事件の、始まり。そして私もその実感があった。だからこそ、自分が行っていることの大きさに、私は打ち震えざるを得なかった。

 私の脱走の可否は、いつ発覚するか、それに掛かっていた。魔力の持つ限りまたは夢幻館に逃亡するまで、分身が分身であるとバレなければ勝ち。もしそれまでにバレてしまったとすれば、私は永久に紅魔館から抜け出す手段を失うだろう。それどころか、御姉様が私を刑に処す可能性さえ低くない、と思っていた。これを口実に私を殺し、自分の地位を安定化するのもありえると考えたからだ。
 今からすれば、あまりにもバカな考えだとは思うが、しかし結果的にはあまり間違っていないようにも思える。というのも、御姉様が自分の地位について何を考えていたかはともかくとして、紅魔館のことを考えれば、やはり私を殺害するという選択肢も十分に存在するからだ。私の脱走を御姉様が放置しておけば、何を起こすかわからない。ただでさえ紅魔館は、混乱する幻想郷の中で細いピアノ線の上に立っている状況なのである。かかる状況にあって、御姉様がなお私の暴走を座視するとは思えないのだ。
 それとも、御姉様は、あくまで私をかばい続けてくれたろうか。もはや今となっては、永久に答えのわからぬ問いでしかないのだけれども。
 ともあれ、この時の私にはもう後戻りするという選択肢は残されていない。荷物を整え、幾つかの分身をあちこちに走らせると、教えられた抜け穴に潜り込んだ。

 あの穴のことは今でも忘れられない。丁度私が屈むとやっと通れる程度の穴で、勿論明かりもなかった。そこを、一人、発覚を恐れながら抜けていくのは、もう二度とやりたくない程心細く、恐ろしいものだった。今でも、時折夢にさえ見てしまう。もしこの暗い穴がどこまでも地上に出ることなかったらどうしようか、外に出た所に美鈴や咲夜がいたらどうしようか、いきなり穴に水が流れ込んだら、どうしようか。いくらでもそういった不安材料を見つけることができた。
 それでも、私は前に進む以外の選択肢は、もうなかったのだ。もう、事は始まってしまっている。後ろに下がる、ということはありえないと思い込んでいた。

 穴を抜け出すまでに一体どれほどの時間が掛かったのか、全く記憶にない。というよりは、わからなかったというべきか。あまりにも中での時間が長く感じられ、実際の時間がわからなかったのだ。
 しかし、穴を抜け出したあの瞬間の景色は、これまた鮮烈な記憶として印象に残っている。今、紅魔館の自室に掛けられている絵は二枚あり、いずれも私が描いたものだけれども、そのうち水彩画の方がこの時のイメージをして描いた絵だ。私の貧弱な語彙では、言葉にするのも憚られる程の、明るさに満ち溢れた、抜けるような青空と引き込まれるような碧湖だった。

(編注: 単行本では、著者の許可を得て、その水彩画をカラーで載せておりましたが、文庫版では紙面の都合上、割愛させて頂きました)

 この時程、私は自分が吸血鬼であることを恨んだことはない。こんなに素晴らしい光の中で、傘を差すほど無粋なことは無いように思えたのだ。
 少なくとも、この景色に私は相当救われた。暗い穴の中、ひたすら悲観的な妄想に捕われていた私は、この光景に心を奪われた。気づくと、考えていた様々な暗い考えがすべて吹き飛んだようだった。
 この風景の御蔭で立ち直った私は、気を取り直し、改めて夢幻館へと向かっていった。名残惜しかったけれども、やっばりずっと眺めているわけにはいかなかったのだ。

 結局私は、パチェたちに見つかることなく、再び夢幻館にたどり着いた。このとき幽香は夢幻館にはいなかったけれども、くるみちゃんたちに無事迎えてもらえ、晴れて私は安堵の心を持てたのだった。


廿二

 ここまでこのように書いてみて、改めて"あの事"を自分が後悔しているらしい、ということを強く感じる。初回にああやって、後悔しない、と書いたにも関わらず、情けないことこの上無い話だ。
 しかし、やはり後悔すまいすまいと思いこそすれ、どうしたってそのような感情に囚われてしまうのだ。このように昔について考えていればなおさらだ。もしあの時、別の選択肢を取れば、なんてことはいくらでもある。読者の方であれば、妖怪も神祇も人間も、そういう後悔に曝された経験はおありのことだろう。
 あの一連の騒動から、早くも還暦を迎えた。御姉様の死からは、既に七十年を越える月日が経つ。その意味では、すでにあの事件は歴史になってしまっているわけなのだけれども、それでもあの頃のことを思い返すことは多々ある。あってしまうのだ。
 何より思うのは、どうしてもっと御姉様としっかり話をしておかなかったのだろうか、ということ。私がこのころ真剣に考えていたいたつもりのことも、改めて眺めて見れば何一つとしてマトモなものはない。御姉様に打ち明けなかった理由に至っては、今の私にはよくわからない。確か、御姉様にいらぬ心配を掛けさせたくなかっただとか、どうせわかってもらえないだろうとか、そんなような理由だったのだろう。でも、それほど大切な御姉様であったならば、だからこそ腹を割ってきちんと話をすべきだった。紅魔館の長となって初めて知ったことがとても多い。もし、もっと早く知っていればいろいろ変わったに違いないのだ。
 しかし、改めてだが、私はあのことについて後悔しない。しない、と決めた。あのことを無駄にしないためにも、私は胸を張って生きたい。そうしなければ、ただただ御姉様への申し訳が立たない。
 それに、起きたことは変わらない。後から結果ありきで考えても仕方ない。判断した時には結果なんてわからなかったのだから。

 夢幻館というところは、ある種紅魔館に似ていて、しかし異なる場所だった。普段から主もおらず、皆はもっと自由好き勝手に暮らしているような所。紅魔館のように皆の上下があって、かっちり仕事を請け負って、という厳しさはない。誰が上とか下とかはほとんど無く、主とされている幽香さんさえ、ただ彼女達からの尊敬のみを以て主に擬されているにすぎなかった。
 同時に、なんとなし紅魔館と比べて暗さが感じられるような場所でもあった。理由は私もよく知らないけれども、館全体に活気が薄い、とも言えた。その点、紅魔館は活気に満ち溢れ、吸血鬼の館とは思えないような、明るい団結感が全体を覆っていた。
 とにかく、私はその夢幻館に、今度こそ匿ってもらったのだ。前回、ああしてにべもなく断られたとはいえ、夢幻館の皆とは顔見知りになっていたし、気遣ってもらえてもいた。だから、すぐにつき出されることはなかったのだ。
 とはいえ、そう安穏としていられないのもまた事実だった。私が夢幻館に逃げ込んだ旨を受ければ、幽香さんもじきに帰ってくる。もしその時に幽香さんを説得できなければ、再び私は紅魔館へと突き返されてしまうからだ。次は、処刑されるかもしれないと思っているからこそ、なんとしてでも説得を成功させねばならなかった。

 幽香が帰ってきたのは、それから少しのちの話である。夢月さんが幽香さんに一声かけたということだった。そうでもしなければ、なかなか夢幻館に帰って来ないらしかった。
 幽香さんは私のいる部屋に突然入ってきた。私が少しの準備をする暇もなかったけれど、それもすべて狙い済ましていたのだろう。その鮮血の凝ったような深紅の瞳をこちらに向けて、ふんわりした笑みを浮かべて柔らかく立っていた。
 例によって、詳しい話の中身は覚えていない。必死にこれまで考えてきた様々なことを言い連ねたのを覚えてはいるが、それ以上のことはまるで頭にない。たぶん、その事の重要性に緊張するあまり、上がって何も回りが意識できなくなっていたのだろう。
 対する幽香さんは、とにかく酷かったように覚えている。何かと私の話に突っ掛かってきては、私の言葉の些細な矛盾を突き、また私を挑発した。その言葉の中身は殆ど覚えていないが、言葉の持っていた空気だけは忘れられないもののようだ。
 少なくとも私の記憶の中では、幽香さんの挑発程酷いものは無かった。実際にどれ程の挑発で、どの程度私を怒らせるつもりの物だったのかはわからない。或いは本当に私を怒らせようと酷いことを言っていたのかもしれないし、或いは私の誇張表現でしかないのかもしれない。しかしどちらにせよ、もし、少しでも幽香さんの気に触れる様なことを言い、赫怒されてしまえば私の命はそれまでになってしまうことは明らかだった。
 だから、私はなんとかして自分を抑えこみ、幽香さんをあくまで説得しようとした。怒ってしまっては、もし少しでも物理的な力に訴えてしまったら、これまでの努力もなにもかもが消し飛んでしまう、とわかっていたのだ。
 否、改めて考えてみると、結局私は死の恐怖を前にしてただ黙っていたに過ぎないのかもしれない。幽香さんには全く勝ちようがないことは、既にわかっていたわけで、つまりは私が自らを律することなんてできていなかったのではないか。
 そして、非常に運のいいことに、私は最後まで挑発に乗らなかったし、恐怖で怯えているだけだとも気取られずに済んだのだった。幽香さんは突然、にやり、と笑うと私の頭をゆっくり撫でてくれた。結局の所子供扱いのままか、と思ったけれど、直後に幽香さんは一言だけ、面白くなったわね、と言ってくれた。
 それが、一次試験に合格した、という印であった。


廿三

 かくして、私は何とかこの夢幻館に匿ってもらえることとなった。それは、私がその命を長らえることも意味していた。夢幻世界との境界という、幻想郷でもかなりわかりにくい場所にある夢幻館は、このころ殆ど忘れ去られたに等しい場所であった。故に、紅魔館の皆が夢幻館まで探しにくることは想定しづらかった。それに加え、当時の私はそこまで考えてはいなかったが、紅魔館にしてみれば、夢幻館に喧嘩を売ることは不可能だっただろう。吸血鬼一人、死神一人、悪魔二人を抱え、その上に幻想郷でも屈指の妖怪である、幽香さんを戴いている。ただでさえ様々に対立関係を抱えてしまい、生存の方法に喘ぐ紅魔館としては、夢幻館をも敵に回すリスクを負いきれなかったはずだ。
 しかし、幽香さんはまたすぐにいなくなってしまい、再びくるみちゃんやエリーさんたちとの生活になった。詳しい事情を聞くことはできなかったけれども、どうやら幽香さんは夢幻館にいるとマズいということだったようだ。どうやら八雲紫との、何らかの話し合いがあったらしい。
 これは私にとって少し困ることだった。私が命を懸けてまで夢幻館に来た理由は、幽香さんから協力を得るためだったからだ。しかし、幽香さんがいないとなると、協力を得たいという交渉することもできなくなってしまうからだ。
 が、だからといって焦っても仕方ない問題でもあった。幽香さんがいる場所は、おそらく人里か太陽の畑かどちらかである。だが、曲がりなりにも紅魔館から追われる身であろう私としては、下手に外出することは憚られた。かと言って、わざわざ夢幻館の皆さんに頼み込んで幽香さんを呼び寄せるのも気が引けた。それはとても物を頼む態度でないと思ったから。
 かくて、私は再び幽香さんが戻るのを待ちながら、夢幻館で暫しの時を過ごすことになった。また、幽香さんに話をする前に、他の皆さんにも話をしておくべきと思っていたから、丁度良いのではないかとも思えた。私が頼むことは、夢幻館に紅魔館との対立を強制し幻想郷での複雑な対立構造に巻き込んでしまうこと。だから、決定権こそ幽香さんにあるとはいっても、私はそういう危険を、くるみちゃんやエリーさんや、幻月さん夢月さんに齎してしまうことになる。だからこそ、私にとって彼女たちに話をつけることが義務だと思いもしたからだ。

 御姉様を斃したい、という話をしたのは、食事の最中。確か夢月さんが、私の夢幻館に逃れてきた理由について問うたことへの答えだった。
 この時は、既に幽香さんとの交渉も一息ついたあとのことで、何より幽香さんに命を刈り取られずに済んだ自信から、至って平穏な心持ちで話をすることができた。
 私の言葉に、まず真っ向から反対してくれたのがエリーさん。エリーさんは、真面目で穏和、そして家族・仲間を何より大切にする方であるから、私の決断を受け入れることはできなかったのだろう。エリーさんは、姉妹対立の愚を、そして家族の和の大切さを、涙目ながら私に諭してくれた。
 改めて考えてみると、エリーさんの意見というのは、私が目を背け続けていた話だ。私にとっての家族というのは紅魔館に他ならない。だからこそ、私はこの時エリーさんに向かって、私が家族である紅魔館を守るためには、御姉様から解放されなければならない、と主張を返した。そうして、エリーさんに反論できたつもりになってみた。
 しかし、これこそ文字に起こした途端、一目で私の考えの甘さが露呈するような、あまりに情けない思考である。紅魔館の皆が私にとって家族であることは当たり前であるが、それ以上に御姉様こそが私にとっての家族であるのだ。
 だから、私が解放などと称して御姉様を殺してしまうことこそが、自分の目標を破壊することだったわけである。そして私は、ついぞそれを理解せず、エリーさんの言葉を退け続けた。


廿四

 エリーさんの大反対に対して、真っ先に賛成してくれた方もいる。それが幻月さんだった。幻月さんは、御姉様を斃す話ばかりか、幽香さんに協力を求める手伝いまでしてくれるという。しかし、その幻月さんの真意がなんだったのか、よくわからなかった。夢幻館にいるとはいえ、夢幻世界の住人である幻月さんや夢月さんには、幻想郷の混乱も然したる感情を生まぬはず。現に幻月さんも夢月さんも、幻想郷の混乱に興味はないと語っていたのを聞いた記憶もある。まして、私がこうして逃れてくるまで殆ど関係を持つこともなかった紅魔館の姉妹喧嘩なぞ、全く以てどうでもよい話に違いない。
 ならばこそ、何故幻月さんは私の行動をあれ程手助けしてくれたのか。つい先日、夢幻館を訪ねた際、実際に幻月さんに会ったので、改めて幻月さんの真意が奈辺にあったのか、聞き直してみた。
 すると幻月さんは、とびきりの笑顔でこう言ったのだ。

 私、そんなことしたっけ? もう覚えてないや。でも、たぶんそうだよね。妹であるフランが動くにあたって、私が無視するわけないし。
 だって姉が妹のジャマになって、妹が姉を要らないと言うなら、姉は死ぬべきだもの。

 それが世間一般の常識だとでも誇るかのような幻月さんの言い方には、さしもの私も驚きが隠せなかった。
 そればかりか、幻月さんは御姉様が羨ましい、とさえ言う。妹のために、妹の手で死ねるなんて、それ以上の幸福は知る所ではない。私も、夢月が一人前になるために殺されたい、と。
 常々、幻月さんは"夢月と二人で一人前"と言う。私は、幻月さんや夢月さんのことを、妖怪としての実力や持てる人格という点で半人前とは思わない。幻想郷でも随一の実力者であるお二人が、半人前でしかないと思う人妖はそうそういないのではなかろうか。それでもこういう言葉を幻月さんが使うというのは、つまり幻月さんが、夢月さんのことをそれだけ強く"自分の分身である"と意識し、大切にしているということなのだろう。
 妹である私、それも"一人前になるため"と称して姉を斃してしまった私には、この幻月さんの言葉は聊か複雑な心情を抱かざるを得ない。それは、幻月さんのような姉がいる夢月さんへの羨ましさであり、どうしても御姉様を幻月さんに重ねてしまうことの申し訳なさであり、そのような姉を殺した私の後悔であり、幻月さんのように御姉様も私を恨まぬだろうと合点して後悔から逃れる私への自己嫌悪であった。
 させる幻月さんの考えを聞くに、されば御姉様がどのように考えていたか、ということを私はどうしても考えざるを得ない。そして私は、依然として答えの出ぬ問いに悩まされてしまう。御姉様が家族を大切にし、妹の私を大切にしてくれていたことは、今でこそ痛いほどわかる。だからこそ、考えてしまうのだ。御姉様は一体何を考えていたのか。私や紅魔館をどう思い、最期を迎えたのか、と。
 このように私も、幻月さんの言葉には少なからぬ衝撃を受けたわけではあるけれど、でもこの時、おそらく夢月さんは私以上の衝撃を受けていただろう。そう、幻月さんはこの言葉を、その妹当人である夢月さんが、紅茶をいれるその前で告げたのである。
 この時の夢月さんの顔は、もはや蒼を通り越して白いほど。とても理解できない、といった表情を浮かべていたし、手にあるティーポットが珍しく震えていたのが印象的だった。いくら夢月さんであっても、双子の姉に"妹に殺されたい"と言われて、冷静にいられるはずもない。
 実際のところ、夢月さんはこれにどのように思ったのだろう。そしてこれはおおよそ、御姉様が私にこのようなことを言っていたとしたら、という問いの言い換えでもある。とりあえず、私が生前の御姉様にそんなことを言われたとすれば、もっとずっと激しく動揺したに違いないだろうが、そこはそれほど重要な問題ではない。もしこの言葉が頭にあったとすると、私はどう思いどう動いたのか。そこが知りたいようにも、思う。
 でも、夢月さんに直接聞くことは、私にはできなかった。一つには、きっとあの幻月さんの言葉について夢月さんは触れたくないだろう、と思ったからだ。そしてもう一つは、私と夢月さんとは大きな違いを持っていて、それこそが私たちと夢幻姉妹との大きな差であるから。夢幻姉妹は、互いにその思いを既に交換している、ということだ。私たちは、互いの腹を打ち割って話すことはついになかった気がする。しかし夢幻姉妹は違う。少なくとも夢月さんは幻月さんの思いを既に知っている。一方、私が御姉様の思いに少しでも触れたのは、全てが終わった後の話だった。
 こう見てみると、青ざめた夢月さんから無理矢理思いを聞き出したところで、どうしようもないわけだ。あの姉妹は、互いを知ればこそ、問題も解決しえるだろうと思う。それがちょっと、うらやましい。



 少し脱線したが、またあの頃の話に戻ろう。エリーさんに反対され、しかし幻月さんからは全面協力を得られた私は、いよいよ御姉様を倒す計画を具体化していくことになる。何度も述べるように、御姉様を斃すのは至難の術であるから、十分に練られた計画を要することは明らかだった。
 これまでとの最大の違いは、これを考えているのが私だけではなかった、ということ。則ち、幻月さんやくるみちゃんが、私を手伝ってくれたのである。
 私にとって、このように誰かと一緒に何かを考える、というそのこと自体が極めて新鮮なものだった。この時の私は、自分なりに思索を重ねてきたつもりではある。あるが、それは紅魔館の一角にある、ごく小さな穴蔵の中で、私がただ一人で考えていたものに過ぎない。
 それは、確かに私のことを考えるに当たっては、さほど問題を抱えることはなかったといえる。が、やはり独りよがりになってしまうことも事実。それは、私の今までの思考を振り返ってみれば何よりも明らかであろう。それで御姉様を斃そうというのは、やはり少し無謀な所であったし、だからこうして話し相手がいるというのはそれだけですごく有り難いことだった。

 さて、読者の方はそろそろ忘れている頃かもしれないけれど、実は夢幻館には、もう一人重要な人物がいた。鈴仙の弟子にあたる、韶霞である。彼女は、私を斃そうとして夢幻館に誘拐されて以来、夢幻館に匿われ続けていたそうだ。永遠亭から逃れて来てしまったこの時、今更帰るというわけにもいかず、かといって他に行く場所もなかったとか。
 しかし、その韶霞と顔を合わせることはなかった。それは、韶霞が幽香さんに従って、太陽の畑の方に滞在していたからである。だから、私は韶霞と顔を合わせることはなかった。そのあたりが、幽香さんの意図であったのか、夢幻館の皆の提案であったのかについては、教えてくれなかったけれど。
 しかし会ったところで、今度こそ決定的な対立になり、せいぜい私が韶霞を殺す結果に終わっただろうから、この措置には感謝せざるを得ない。きっと彼女を殺しては、私も生きてはおれなかっただろうし。
 とまれ、夢幻館には依然として仇の韶霞がいたわけであるが、私は、あろうことか、その事実を知らなかった。私は、前回私が追い散らされた時に彼女もまた共に夢幻館から追い出されたと思い込んでいたのである。

 御姉様を倒そうという計画がいよいよ具体性を帯びはじめた頃のこと。暫く夢幻館を離れていた幽香さんが再び帰ってきた。私にとっては願ってもないこと。帰ってくるや早々に、私は幽香さんの元を訪ねた。御姉様を斃すにはやはり幽香さんの支持はなんと言っても欠かせないわけであるから、当然である。もし幽香さんが頷いてくれなければ、私の計画は破綻するし、最低でも私はこの夢幻館を逐われることは間違いなく、そうなれば紅魔館に連れ帰られて処分されるか、空しく土に還るかしかなかったからだ。
 訪れた私を見た幽香さんは、どうやら状況の穏やかならざる事をただちに見て取ったらしかった。ふっと、あの紅の瞳を細めたのを覚えている。でも、私はそんなことも構わず、単刀直入に切り出した。御姉様を倒すのに協力してくれ、と。いまさら私には、全てを成功させるしかなかったわけで、だからもう躊躇う余裕さえなかったのだ。
 夢幻館の皆の面前で私が、御姉様を斃したい、と断言した時は、ほとんど空気が凍りついた。それが、一般的で当然な反応であるだろう。けれども、幽香さんに言った時は、その妖怪らしく整った顔をいくらか歪めたのみで、私をじーっと眺めていただけ。さして驚いた風もなく一言、頑張ってね、と殊更関心すらないようであった。
 では、それをどう解釈すればよいだろうか、ということについては、私はわからない。幽香さんにしてみれば、紅魔館の吸血鬼姉妹が仲違いして殺し合いをしようが何しようが、構わないといえば構わなかったはずである。なにせ、幽香さんは随分昔から幻想郷の趨勢に干渉することをやめていた。方や、紅魔館といえばこの時点では幻想郷の状況を大きく左右する一つの軸だったわけである。むしろ、吸血鬼姉妹の喧嘩への口出しすることで、幻想郷全体の混乱に巻き込まれかねないという状況に鑑みるならば、幽香さんがここに手を出そう考えるはずもなかったわけだ。と、私は半ば勝手に考えている。実際の所は、幽香さん本人に聞いて欲しい。聞けるならば、だ。
 ただ、当時の私にとってはそんな単純に済ませられる話ではない。先も述べたとおり、幽香さんの支持なくして私の計画は成り立たないのである。もし仮に中立ということであったとしても、幽香さんの戦力無しに御姉様を殺害するという計画を立てるのは、聊か荷が重すぎた。だから、私はここ引き下がるわけにも行かなかったのだ。もはや、直接言う以外の手段を持っていなかった私は、ここで再び直截的に、御姉様を倒すのに協力してくれないか、と頼んだ。
 はっきり言って、この時の私は少々常軌を逸していたと言っていいかもしれない。元から私に常軌があったかと問われれば、それは返答に困るわけではあるけれども、通常ならば、ここまで幽香さんに食い下がったりすることはなかったはずだ。なにせ私は、一度この幽香さんによって完膚なきまでに打ちのめされているからである。それどころか、二度目に夢幻館へと訪れた時、私は幽香さんへの恐怖のあまり、殆ど何をしたのか覚えていない、というほどだ。それが、一度保護してもらうや、今度は無礼な言葉を繰り返すというのは、ちょっと普通ではない。そう考える一方で、私がここまで開き直ってしまった理由というのも、なんとなくわからないでもないのである。つまり、私としては幽香さんが味方とならなければその時点で命が危ういわけで、こうなってはいくら幽香さんの御機嫌を伺ったところで、承諾がとれなければ死しかない。それならば、もう突っ込むしかない、そう考えたのだろう。
 そんな覚悟を決めた私をよそに、幽香さんは眉一つ動かさなかった。洞徹したその視線は、私の中身をただ見据えているように思えた。そんな視線の前に、私は何一つとして投げる言葉を持たず、沈黙するほかなかったことは覚えている。
 前回は殆ど罵倒じみた挑発を繰り返していた幽香さんも、今回はただ私を眺めるばかり。私は幽香さんが何を思考しているかさえ知ることはできなかった。
 結果として、長い沈黙が流れることになる。それがどれくらいの時間だったかはわからない。とても長かったように思えたことだけは忘れられないが、それは主観的な時間感覚でしかなく、その実の時間を定量的に述べる手段を、私は持たない。
 私は、ただ幽香さんの目を見据えて待つしかなかった。ややもすれば飲み込まれてしまいそうな程、その紅瞳は深く、底が知れなかった。きっと、長く生きる大妖とは、そういうものなのだろう。

 結局、私のどの部分が幽香さんをして私を許さしめたのか、それはわからない。しかしながら、結果だけ述べれば、またも私は幽香さんに見逃された、ということができそうだ。沈黙の果てに発された幽香さんの言葉は、いいわ、の一言だった。
 とはいっても、無条件の承認、というわけでもなかった。幽香さんは、韶霞との間に、なんらかの落し前をつけられれば、協力してやらないこともないと、そう言ったのである。
 私はその言葉にほっとすると同時に、頭を抱えた。直接私が手を下したのではなくとも、韶霞の育ての親であり、尊敬する人物であった鈴仙・優曇華院・イナバを殺した一味に私は含まれている。しかも、私は実際に彼女と一回やり合ってまでいるのだ。その彼女と、如何なる形であったとしても話を付けるというのは、なかなか難事であるように思えた。
 結局のところ、私はまたしても短絡的な手段に訴えていくことになる。私は結局、韶霞と直接会うことにした。夢幻館の誰かに仲介を頼むという選択肢もあったけれども、これ以上皆を巻き込むのには抵抗があったし、何より私に出された幽香さんの課題なのだから、私自身が何とかしなければならないと思ったのだ。
 折しも、というべきか、おそらく幽香さんの差し金で、韶霞は夢幻世界に移動したということだった。追われる身にある私は、韶霞のいる太陽の畑まで行くわけにゆかなかった。だが、夢幻世界ならば夢幻館の庭みたいなものであるわけで、私にも行く機会は十分ある。ということで、私はとるもとりあえず、韶霞の下を訪れたのだった。


 さて、もはや私にとって仇と化していた紅魔館であるが、やはり不気味な硬直の中で苦しんでいたらしい。永遠亭の動きがわからない以上、人里へ手を出すわけにもゆかず、しかし物資の欠乏は次第に深刻さを増していたという。夢幻館と違い、100名にも及ぶ妖精メイドを紅魔館は抱えており、それが紅魔館の物資を食らっているのだから、無理もない。パチェに言わせれば、御姉様だからなんとか空中分解せずに済んでいたというから、相当のものだったのだろう。
 対する永遠亭もまた、窮地にあったという。八意永琳は完全なる紅魔館の覆滅を謀っていたようだが、全員がそう思っていたわけではない。なにより、輝夜はなんとか和睦の道がないかを考えていたようだ。紅魔館が打ち減らしたとはいえ、いまだ多くの兎を抱える永遠亭もまた食料欠乏に悩まされていたのである。
 そういう雰囲気の中で、一時永遠亭と紅魔館との間での交渉が模索されたという。バチェによれば、パチェと小悪魔とが独断で地霊殿の古明地さとりに働き掛け、中立たる八坂神奈子を通して輝夜に呼び掛けたらしい。輝夜によれば、実際に動いたのは早苗らしいが。
 ともあれ、二人の仲介をへてパチェと輝夜との会談はかなり具体的な企画段階までいったらしい。会う日付や場所まで決まっていたようである。
 しかし、結果的には失敗に終わった。輝夜によれば、因幡てゐがまず強硬に反対し、てゐに聞いた永琳によって潰されたという。また、紅魔館の側でも、咲夜を初めとして反対する者が多かったようだ。咲夜たちは、永遠亭が本当に対立を収束させる気があるのかが疑問であったらしい。要するに、鈴仙を討ったということの重さを考えて、永遠亭側がとてもその恨みを拭うとは考えなかったのだ。それどころか和睦を詐って殲滅されることを警戒していた。
 ここで和睦が成っていたとすれば、幻想郷の混乱は終結しただろう。そうして、それ以上の犠牲も最小限で済んだ。すなわち、私だ。
 皮肉なことに、この段階で永遠亭と紅魔館とが手を結んで困るのは私だった。私は永遠亭と紅魔館との対立を利用する形で、御姉様の弑逆を計画していた。ゆえに、和睦が成れば私は永遠亭の協力が得られなくなる。しかも、紅魔館の動きが活発になるのも疑い無い。となれば、いよいよ紅魔館の追求が厳しくなって、元々庇う意味もない夢幻館からも逐われる可能性が大いにあった。
 紅魔館に捕まった際にどうなったかはわからない。御姉様のことだから、殊更咎め立てしなかった気もする。しかし、御姉様には紅魔館を守るという絶対的な命題がある。そのために、秩序を乱した私を許すわけにはいかないはず。御姉様が如何に考えていたかに関わらず、私の身柄を贄として、紅魔館が永遠亭と手打ちにする可能性だってあったのだ。
 こうしていろいろ考えれば考える程、様々な可能性があったことを痛感する。その時々に、少し異なる選択がされていれるだけで、その後の状況はずっと変わっていたはずだ。そして、その諸所での選択は必ずしも全て最善だったとも言えないはずだ。きっと、もっとよい選択をすれば、もっとよい今になっていただろう。とは言っても、それは後知恵に過ぎないものではあるけれど。
 御姉様は運命を見る程度の能力を保持していたわけだけれども、それはすなわち、時々での選択の結果が見えたということではないだろうか。ただ、もしそうだとするなら、どうしてこういうことになったのか、やはりわからない。御姉様は回避しなかったのか、できなかったのか。
 畢竟、所詮物を壊すことしかできない私には、運命などという複雑なものを理解するにいろんなものが足りない。今でさえ、私はまだ六百余歳の若輩でしかないのだ。
 もしかしたら、私でも何かわかる日がくるのかもしれない。その時は、きっと私も御姉様に追いつけたと言えるのだろう。


 話を私と韶霞に戻そう。とにかく正面から突破しようとした私は、何の手も打たずに、韶霞のいる夢幻世界に踏み込んだ。そして、襲われた。
 当然の話だと思う。韶霞に話を聞いたところ、「頭に血が上っていたからね。勝てるわけないのに、馬鹿よね」と答えが返ってきた。けれども、仇の一人がのこのこ現れて、襲わない方がおかしい。韶霞の反応は、至極真っ当なものだ。
 とはいえ、彼女の挑戦が全くの無駄であったこともまた否定できない。我を忘れた妖獣に、吸血鬼を倒せはしない。
 しかしながら、だからこそ私は彼女を空恐ろしく感じた。彼女の一挙手一投足に、私に対する怨嗟が籠められていた。そして、全く自らの命を顧みることなく踏み込んでくるのだ。それは、永遠亭へ踏み込んだ際の輝夜の動きに似ていけれども、私にはすればもっとたちが悪かった。韶霞はただの妖獣であって、簡単に死んでしまう存在なのだ。
 幽香さんは、韶霞と話を付けろと言った。その手段については問われていない。だから、あるいは殺してしまってもよかったかもしれない。しかしながら、私にはそんなことできなかった。当時の私にも、彼女の置かれた立場はなんとなくわかっていた。それを理解しなければ、"壊す"ということのほんとうの意味はわからないのではないか、と思ったのだ。
 しかし、なればこそこれは苦心だった。私は、逆上する韶霞を押さえ込んだ上で鎮め、話を付けなければならないのである。しかも、できるだけ傷を付けずに。そもそも、私は手加減というのが苦手だ。人の実力を見切るのも、自らの力を制御するのも苦手だからだ。その上、私は彼女に対してえもいわれぬ恐怖を抱いてもいる。やはり生まれて所詮十年も経たぬような妖獣と、地下で腐っていたとはいえ、一応五百余歳を数える吸血鬼とには、あまりにも大きな隔たりである。少し力を入れれば殺してしまいそうだった。
 結局、私は彼女が力を使い果たして疲弊しきるまで抑えることはできなかった。

 この時、韶霞としては、殆ど死ぬつもりであったらしい。彼女に言わせれば、鈴仙の仇討ちを称してはいても、自分の目指すところは仇討ちというより鈴仙とお供をすることだったという。しかし、私はその望みを叶えてはあげなかった。これまた韶霞曰く、彼女は相当私を恨んだそうだ。ただ、今は感謝してくれているらしいから、よしとしよう。
 これ以上述べると、韶霞の書くことがなくなりそうなのでやめておく。
 韶霞が何か書くのを、私だって楽しみにしているのだ。

 さて、肝心の説得であれが、これはあっという間であった。さすがの私も韶霞を説得する際の切り札ってのは既に考えていた。そしてそれは、まさに効果覿面だったのである。
 つまり、共にRemilia Scarletを斃そう、という提案である。
 韶霞にとって私は永遠亭を攻撃したに憎い敵であることは当たり前に認識している。しかしながら、御姉様は鈴仙=優曇華院=イナバを直接手に掛けている。すなわち、韶霞にとって私以上に憎い存在であるのは間違いないだろうと踏んだのだ。と同時に、彼女一人で御姉様を倒すことはできないし、それを韶霞自身もわかっているだろうとも考えた。
 そしてその予測は正しかった。力が尽き少し冷静になった韶霞にその旨を告げた私は、その承諾を得ることが出来たのである。
 そうして、私と韶霞とは一時的に手を結ぶこととなった。もちろん、それは完全なる妥協の産物であり、利害の一致のみで結合する弱いものであることは、双方きちんと理解していた。
 その関係がまさか、こうして今まで続くとは、つくづく世の中とは不思議であるものだ。
 でも、そういうつながりだから、もし私が死ぬ時は韶霞に殺してもらおう、と思っている。そのように韶霞に頼んでいるのだけれど、そういう日ははたして来るだろうか。



 韶霞との決着が着くや否や、そこに夢月さんが現れたのには、いくら私でも驚かざるをえなかった。しかし、もはや夢幻館の居候にしか見えない幻月さんや夢月さんも、本来はこの夢幻世界の管理人であるわけで、すべて見ていたのだろう。
 仲良くなったのね、という夢月さんの言葉は、あまり嬉しそうではなかったのが印象的だったのを覚えている。今考えると、結局その結論が私にとっても韶霞にとってもなんら解決になっていなかったからだろう。相変わらず、私は"姉を斃すこと"と"自分が成長すること"とを誤認していたし、韶霞は"鈴仙のため"を"自らの生きる理由"と誤認していた。
 でも、夢月さんはそれ以上何を言うこともなく、私と韶霞とを姉妹の寝床へと連れていってくれた。
 それは、夢幻館よりも小さく質素な建物だったけれども、よくまとまった洋館だった。と、書いて韶霞に見せたら笑われた。質素に見えるけれど、隅々の細工や材料は最高級のもので、地上ではとても再現できないものなのだとか。さすが、永遠亭育ちは目が肥えている。
 とにかく、そこに入ると既に幻月さんがいて、私の韶霞をおぶっているのを見るや、破顔一笑した。心底楽しそうなその笑顔は、夢月さんとは対称的だったのが印象的だった。そこが姉妹の差なのだろう。
 すっかり力を使い果たし、ぐったりしていた韶霞を夢月さんに預け、その夢月さんが部屋から出て二人となったと見るや、幻月さんは早速私に話をせがんだ。
 幻月さんはその話をとても楽しそうに聞いていたし、終わるや「早速、幽香に言わないとね」と笑っていた。私の方が、そんなに楽しい話だったのかと首を傾げるくらいだった。幻月さんにとって、どう楽しかったのかは、私にはよくわからない。自身が姉である幻月さんには、きっと思うところも多かったとは思うのだけれど。

 その後の話がとんとん拍子であったことはいうまでもない。私が韶霞を仲間に引き込んだ、と告げた時、幽香さんは少し驚き、それからにっこり笑って褒めてくれた。そして、約束通りの助力を約束してくれたのだ。幽香さんが何を考えているかも、結局よくわからなかったけれど。
 その時に幽香さんが言った、久しぶりに骨のある連中のやり合えそうね、という言葉から、最初は戦いに飢えているのかな、と思った。妖怪の中には、そのあまりに長い生に飽きた挙句、闘争に命を懸ける者も少なくない。かくいう吸血鬼というのは、最も闘争を好む種族である。故に、吸血鬼騒動などという事件が記録されるわけだ。御姉様だって、ああやって貴族的な趣味がありながらも、芯の所では尚武的な気風の持ち主だった。例えば永遠亭襲撃時の日記で、鈴仙をひたすらに激賞するのも、そういう性格の表れなのだろう。
 話を戻そう。で、幽香さんである。確かに、大層な力の持ち主には違いなかった。かの八雲紫の能力を、ただその力の莫大さのみを以て抑えうる唯一の妖怪とさえ言われた程だ。実際に私は、その力の大きさと扱いの精密さとを前に、幽香さんに指一本触れることもできなかった。
 しかしながら、果たして戦いを望むような方であったか、というとわからない。勉強家であったというのは間違いないが。
 幽香さんは、魔法をかなり高度なレベルで使えた。もう何度か述べたが、元来、少ない魔力で多くのことをなすのが魔法である。故に、魔力の多い妖怪は、いちいち魔法なぞという煩雑な体系や理論や作法を学ぶ必要はない。はっきりいえば、魔法なんてものは人間や魔法使いといった、力のない者が悪あがきするための手段とさえ言える。
 だから、幽香さんは魔法を学ぶ必要は全くないはずだ。幽香さんの持つ力は、その辺りの妖怪とは桁違い。その魔力をただ放出するだけで、殆どの妖怪を薙ぎ倒しえるのだ。
 しかしながら、幽香さんは魔法学んでいた。どころか、相当の使い手であったらしい。かの大魔法使いであるAlice Margatroidをして、かく言わしめるのだから間違いないはずだ。アリスさんによれば、幽香さんは魔法を習得するために魔界までやってきてアリスさんを観察しつづけ、それだけでついにアリスさんの用い得る魔法すべてを看取してしまったという。「当時はただ鬱陶しいだけだったけれども、今になって考えてみれば、ただ見ているだけでその体系から理論からすべてを学んでしまうのはとんでもない努力よね」というのはつい先日のアリスさんの言である。
 そればかりではない。夢幻館には、驚く程の量の書籍があった。外の人間の書いた思想書の類が多かったように思う。それも日本語に限らない。
 このような側面から伺える幽香さんは、あまり戦闘を好むという印象を受けはしない。
 だから、私は幽香さんの心理が読めないのだ。戦うのを好みひたすら力ある者を探す幽香さんと、難しい本を読みながら思索に耽る幽香さんと、あまり噛み合わないように思えた。

 しかし、こうして私はあっさりと御姉様を斃す手段を得てしまった。幽香さんの許可を得たことは、同時に悪魔二人・死神一人・吸血鬼一人の助力を得ることでもあるのだ。そうなれば、成功はずっと近付く。
 そうして、いよいよ御姉様の弑逆がいよいよ現実味を帯びてきていた。韶霞や幻月さんらといよいよ作戦を話し合って、その計画を実行に耐えられるように練りはじめた。それはつまり、もはやどうあっても後には引けない、ということも意味していたけれど。
 そうやって計画を考えていると、私の考えがいろいろと甘かったことが明らかになってくる。これまで私はやはりどことなく軽い気持ちであったといえる。しかし、計画を考えれば考える程、その重みを知る。今や、計画は私以外の大勢を巻き込んでいる。もし失敗すれば、その全員を奈落へと引き込むことになるのだ。すなわち、私は皆の生殺与奪権を握ってしまったに等しい。だから、もう私はなんとしても失敗できなくなった。
 この期に及んで、私は行動の意味をあまり考えなくなってきていた。もはや、今更計画を止める、という選択肢は存在しないに等しい。少なくとも、この時の私には、それは恥に思えたのだ。なにより、私自身が大きな計画の主であることに酔っていたともいえるかもしれない。これまで私が、これだけ大勢を動かしてなにかする、ということがそもそもなかったのだ。だから、その好奇心と昂揚感とに呑まれていたことは否定できない。結局私は、その目的の意味を考えの外に置くことによって、下手な考えに巻き込まれることなく計画に埋没しえたのである。


……以下未完

 というわけで、実は私がデビューした08年ころから考えていて、09年ころからぽちぽち携帯で打ち込んでいた作品です。
 完成するめどが全く立たず、たぶんそのまま埋もれていく感じであったので、ここに出して供養しますね。

 実は「かがみのうさぎ」の元ネタがこの作品で、向こうを考えるより前からこっちの作品があったのですよね。
A.feudatorius
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Domina, quo vado? 作者: A.feudatorius
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Domina, quo vado? 作者: A.feudatorius
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