その日、博麗神社を訪れた霧雨魔理沙は妙な感覚に襲われ眉をひそめた。
同行者であるアリス・マーガトロイドに尋ねる。
「何かおかしくないか?」
「え? 何が?」
突然の質問にアリスはきょとんとしている。
それでも、魔理沙は警戒を解かなかった。
魔理沙はこれまで数え切れないほどの妖怪たちと渡り合ってきた。
その経験に裏付けされた直感が危険信号を放っている。
しかし、いくら周囲を観察しても違和感の正体を確認することはできなかった。
とりあえず、霊夢が暮らしている家屋へと回る。
どちらにしても、霊夢と合流しておいて損はないはずだ。
「霊夢、いるかぁ」
「魔理沙!」
霊夢は魔理沙に向かって駆け寄ってきた。珍しいことだ。
普段は出迎えるどころか、露骨に面倒くさそうな態度を取ることも多い。
「ねぇ、『秘められし陰陽玉』について何か知らない? もしくは、名前だけでも聞き覚えないかしら?」
その必死な様子にたじろぐ。
「い、いや。聞いたことがないぜ」
助けを求めるようにアリスを見ると、彼女も無言で首を横に振った。
「そう……」
霊夢は肩を落とす。
「何かあったのか? その『秘められし陰陽玉』とやらが原因なのか?」
魔理沙が尋ねると、
「何でもないわ。少しひとりにしてくれないかしら」
霊夢は力のない足取りで縁側から部屋の中へと戻っていった。
「どうしたんだ。あいつ」
「さぁ」
残された二人は顔を見合わせる。
* * *
「まあ、奇遇ね。これも何かの運命かしら」
純白の上品な日傘を肩にかけて、突然現れたのはレミリア・スカーレットだった。
「よう、レミリア。あいにく霊夢なら面会謝絶だぜ」
「そう」
全てを想定していたかのようにレミリアは微笑みを崩さなかった。
「それなら、霊夢に伝えて。『第三次吸血鬼異変』はもうすぐそこまで来ているとね」
物騒な響きもった単語が聞こえてきてぎょっとなる。
「それでは、ごきげんよう」
レミリアは満足した様子で背を向けた。
「お、おいっ。ちょっと待てよ」
魔理沙の制止も聞かず、優雅な足取りで去っていった。
* * *
「あら、あなたたち。久しぶりね」
二人の間に流れていた妙な沈黙を割るようにして声が掛かった。
驚いたことに蓬莱山輝夜である。
「お前がこんなところにくるなんて……。いったい何の用だ」
魔理沙は訝しそうに輝夜を眺めた。
「あなたの質問に答えなければならない理由はないわね」
「なんだと……」
「霊夢ならひとりにしてほしいって中に籠もってるけど」
いらだちが滲む魔理沙の言葉を遮ってアリスが答える。
「あら、せっかくここまできたのに残念だわ」
輝夜の口調はそれほど残念に聞こえなかった。
「霊夢に伝えてもらえる。次は『完全なる満月』の下で会いましょう、と」
そう告げると輝夜はふわりと浮かび上がった。
「待て、説明しろ!」
魔理沙は輝夜の腕を掴もうと飛びかかる。
今の発言の意味を問いただすまでは逃がしてたまるか。
しかし、次の瞬間には輝夜の姿はかき消え、どこにも見当たらなかった。
「くそっ」
魔理沙は悔しそうに土を蹴った。
「いったいどうなってやがるんだ。さっきからどいつもこいつも、わけのわからないことを言い逃げしやがって。絶対、全部調べ上げて……」
そこまで言ったところで魔理沙は、はっと口をつぐんだ。
この不可解な状況から導き出されるひとつの推測に思い当たったのだ。
「私たちは攻撃を受けている」
魔理沙が押し殺したような声で告げると、アリスは周囲に素早く目を走らせた。
「攻撃? 今のところ、何もされていないようだけど」
「いや、すでに私たちは攻撃をくらってしまっているんだ。おそらく治療もできない」
思えば境内で違和感に襲われたあの時、すでに一方的に戦いは始まっていたのだろう。
「すでに三つだ」
気が付くと全身にじっとりと汗をかいていた。
「何のこと?」
「秘められし陰陽玉、第三次吸血鬼異変、完全なる満月……。三つだ」
まだ理解できていなさそうなアリスの表情を見ながら続ける。
「どれも意味ありげで壮大な物語を予感させるフレーズだろ」
「まぁ、そうかもしれないわね」
「今から私たちはこれらの言葉が意味するものに辿り着かなければならない。それも、読者の期待を裏切らないような形でだ」
「読者……」
アリスはごくりと唾を飲み込む。
「別に気にしなくていいんじゃないかしら」
「ダメだ!」
思わず声を荒げてしまう。
「張った伏線は回収する。これは全てのSSに課せられたルールなんだよ」
アリスの額にも汗が浮かんでいた。ようやく事態を理解したのだろう。
「でも、何も怖がることなんてないわ。要はちゃんと物語を進めて伏線を回収すればいいのでしょう」
アリスはぎこちない笑みを作って言った。
魔理沙を安心させようとしてくれているのだろう。
だが、その認識はあまりに甘い。
「先ほどのフレーズ、ひとつ説明するのにどれだけの字数がかかると思ってる。30KB……、下手すると50KB。それが三つだ。万が一、100KBを超えたらもう簡単には読んでもらえないぞ」
それを聞いて、ついにアリスの表情も凍り付いた。
「読んで……もらえない?」
「しかも、ご丁寧に博麗神社、紅魔館、永遠亭と舞台まで変えてきてやがる。登場人物もいっぱいだ。下手すると連載もあり得る。それも何年も引っ張るやつだ」
「魔理沙、私怖い」
魔理沙はアリスの手を取った。
「逃げるぞ、アリス」
その瞬間、何もない空間がぱっくりと口を開ける。中から八雲紫が顔をのぞかせて、ぽつりと呟いた。
「長年の夢だった『楽園の果実』がもうすぐ実るわ。『終焉の刻』は近い」
「ちっ、やられた」
「同時に二つも!?」
魔理沙は立ち止まらなかった。
「構うな、アリス。とにかく今は逃げるんだ」
* * *
魔理沙とアリスは香霖堂へと転がり込んだ。
すぐに扉の鍵をかける。
「香霖、まずいことになった。このSSを終わらせないようにしようとしているやつがいる! みんな操られちまってるんだ」
霖之助はそっと指で眼鏡を押し上げた。
「詳しく聞かせてくれるかい?」
何かに興味を持ったときの、見慣れた霖之助の仕草である。
それだけで、魔理沙はほっと息をついた。
「その前に茶をくれないか」
魔理沙は調子を取り戻しつつあった。
「図々しいやつだな」
霖之助は文句を言いながら立ち上がる。
そのまま台所へ向かうかと思いきや振り返る。
「その前に『草薙の剣』について説明してもいいかい」
背筋に悪寒が走った。
「こいつもダメだ。アリス、逃げるぞ!」
「う、うん」
魔理沙は扉を蹴破って店を出た。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
こんなSSを望んじゃいなかった。
ほのぼのとした日常。たまに、アリスや霊夢とのいちゃいちゃがある。
そんなSSで良かったのに。
魔理沙は必死に駆けながら、目尻を手の甲で拭った。
くよくよしたところで何も解決しないことはわかっている。
考えるんだ。
このSSをあっという間に終われせられる方法を。
この見えない敵の持つ力が仮に「物語を終わらせない程度の能力」であるとするならば、この物語を終わらせることが敵を討つことになる。
それには、敵がこのSSに身勝手に張った伏線の答え――壮大な物語を予感させるフレーズが持つ意味――を速やかに明確にしなければならない。
そして、魔理沙は閃く。
いつだってそうだったんだ。
どんなに絶体絶命の状況でも活路は必ずあった。
惨めに逃げ回り避け続けることで死線を潜ってきた。
だから今も私はこうして走っている。
魔理沙は振り返りアリスに向かって叫んだ。
「ある場所に、あいつら全員を集めてほしいんだ!」
* * *
かつての異変で地底に湧いた温泉。
そこで魔理沙とアリスは露天風呂に浸かりながら彼女たちの到着を待っていた。
「ここにあの子たちを呼び出すだけで、本当に全て解決するの?」
アリスが不安そうにお湯の中で自らの肩を抱いた。
「ああ、私を信じてくれ」
魔理沙はあえて断言してみせる。
そして、立ち上る湯気の向こうから彼女たちが姿を現わした。
輝夜の前には『完全なる満月』がふたつ弾んでいた。
普段は何重にもまとった着物のせいで隠れているが幻想郷の住人の中でもトップクラスの大きさである。
対して、霊夢の方はあまりに薄い。
しかし、バスタオルから覗かせる薄いピンクの『秘められし陰陽玉』が慎ましく淑やかな色気を放っていた。
レミリアはまだ子供だ。だが、彼女の優雅な立ち振る舞いからは、すでに完成された女の色気を感じさせる。
その相反する二つの要素は『第三次吸血鬼異変』といっても過言ではない。
紫の『楽園の果実』は熟しすぎていて、いたたまれなくなった魔理沙はそっと目をそらした。
『終焉の刻』は近い。
「やったぜ、アリス。狙い通りだ」
「すごい! でも、まだ物語は終わってないわ」
「ああ、わかってる。最後の仕上げだ」
少し遅れて湯気の中から人影が現る。
霖之助が『草薙の剣』をブラブラさせながらこちらへ歩いてきた。