舞い散る桜、うららかな日差し。
春真っ盛りの命蓮寺。
そんな命蓮寺の一室に、挙動不審な影がふたつ。
「あ、あの、ほんとうにやるんですか?やっぱりやめた方が……」
「だーいじょぶだって!それに、あんたは『うん』と『そう』と『はい』だけ喋ってくれれば良いの!後は全部私がやるから!」
小さな影の正体は、封獣ぬえと幽谷響子。何やら良からぬ事を企んでいるご様子。
「う~ん……そうはいっても、うそは良くないと思うんですが」
「な~に言ってんの!今日はエイプリルフールだよ?閻魔様だって嘘をつく日なの!」※閻魔注:そのような事実はございません※
「でも……」
説得を続けるぬえですが、響子は中々納得が行かないようです。
これまでもぬえの口車に乗せられて色々と痛い目にあってきたのでしょう。
渋る響子に、ぬえはなおも説得を続けます。
「それにさ、これは星の為でもあるんだよ?」
「えっ、そうなんですか?」
少し表情が変わった響子。ぬえがここぞとばかりに畳み掛けます。
「そうだよそうそう!あんただって、ナズーリンが引っ越してからの星の落ち込みっぷりは知ってるでしょう?縁側で溜息を付く回数が増えたし、ご飯だっておかわりが五杯から二杯に減った。そんな星を何とか元気づけてあげようと思って、私はこの嘘を考えたんだよ!」
毎朝お寺の住人全員に挨拶をしている響子も、確かに寅丸の異変は感じていました。
ナズーリンがいなくなってからの寅丸はまるで風呂に入れられた猫、発情期明けの寅です。
「でも、結局うそなんじゃ……」
「だーかーらー!そんなのは些細な問題なんだって!その嘘で少しの間だけでも星の元気が戻るかもしれないなら、試してみる価値はあると思わない?いや思うはず!決して浮かれた星を見て大笑いしたいだとか、そういう理由じゃあないの!」
「たしかに、言われてみればそう、かも」
「そう!そうなのよ!……手伝ってくれるわよね?星の為に!」
「……はい。星さまのためなら、私やります!」
言ってることが無茶苦茶ですが、結局響子は丸め込まれてしまったようです。寅丸の事を思うが故の純粋さと取るか、間が抜けていると取るかは個人の判断にお任せしたいところ。
まんまと響子を騙すことに成功したぬえは、女の子がしてはいけない類の笑みを浮かべて説明を始めます。
「よしよし、じゃあ具体的な手順だけど……」
*****************************
「はぁ……」
所変わって、ここは寅丸の部屋。
桐箪笥の上に置かれたナズーリンの写真(by天狗)を眺めつつ本日30回目のため息を漏らしているのは、もちろんこの部屋の主の寅丸星です。
物憂げな表情はそんじょそこらの女性なら一目見ただけで一撃ノックアウト、その場でトロ顔ダブル入信(本人が入信する確率が100%、誘われた友人が入信する確率が50%の意)をキメてしまうでしょう。
しかし本人にとっては深刻な悩みの様子。その原因はもちろん……。
「ナズーリンが次に来るのは、いつでしょうか……」
はい、お聞きのとおりです。
聖たちが封印されている間、千年もの間共に過ごしてきたナズーリンですが、彼女はあくまで毘沙門天、ひいては寅丸の部下。
聖を中心に添える寺になってしまった以上、彼女を信仰していないものがいつまでも住み着いているわけにも行かない、という理由で出て行ってしまいました。
年末年始等要事の際には手伝いにも来ますが、それでも月に数度ほど。
お寺の繁盛で忙しくなったこともあり、会いに行く時間も取れず寅丸は深刻なナズーリン分不足に陥ってしまっていたのです。
「はぁ……おや?」
31回めのため息をつくと同時に、廊下の方から走り声。ぬえか響子かどちらかだろうな、少し注意しなければと寅丸が立ち上がろうとすると同時、ふすまが勢い良く開かれます。
「おや、ぬえに響子ちゃん。廊下は走ってはいけませんよ。あと、ふすまはもっとゆっくり……」
「それどころじゃないんだって!大ニュース大ニュース!」
現れたのはぬえと響子。笑みを隠し切れないぬえとどこか後ろめたさを漂わせる表情の響子が実に対照的です。
「はい?一体何が……」
「なんと!さっき毘沙門天からお達しがあって、ナズーリンも今日から命蓮寺で暮らせるんだって!」
「そ、そうなんです!」
「……」
「さっき響子がこの犬耳で聞きつけたらしくてさ!ね、響子?」
「は、はい!しっかりとこの耳で!」
「……」
「いやまあ仮にも監視役なんだから、一緒に住まないなんてそもそもおかしいんだけどさ、これでまた一緒に……えと、星?聞いてる?」
「……」
ぬえが熱弁を振るいますが、星は最初の問答以降俯いたままで、あまりぬえの話を聞いている様子ではありません。
それどころか小声で何かブツブツとつぶやいている有様。
段々不安になっってきた響子がぬえに尋ねます。
(ぬえさん、もしかしてバレたんじゃ……)
(お、おかしいな、星なら絶対に飛びつくと思ったんだけど)
今回の悪戯は失敗かな、と少し残念に思いつつ、ぬえが星の様子を伺います。
「あー、もしかして、気づい……」
「や……」
「や?」
「やっっっっっっった---------!」
「おわぁ!?」
「ひゃっ!」
突然両手を振り上げ大声を出した寅丸に驚き、思わず尻餅をつくぬえと耳を押さえて縮こまる響子。
そんな二人を気にかける様子もなく、寅丸は一人でまくし立て始めます。
「ああもうナズーリンったら水臭いですね引越しの準備があるのもわかりますが鼠を遣わせて知らせるくらいしてくれればいいのにああもしかして突然返ってきて驚かせるつもりだったのでしょうかまったくいけずなんですからそれならこちらも歓迎の準備をして逆に驚かし返してあげるべきですよねさあそうと決まればまずは垂れ幕を作ってそれからナズの好きなチーズ料理も作らなきゃああ腕が鳴りますねこれから忙しくなりますよ!」
寅丸のあまりの豹変に言葉も出ないぬえ。まさかここまで効果があるとは思っても見なかったようで、ぽかんと口を開けて寅丸を眺めることしか出来ません。
響子の方は大声には驚いたものの、寅丸の元気(?)な姿を見ることが出来て一安心のようです。
「よかった、星様の元気がもどって……」
「いや、いいのかなあこれ?」
そうこうしているうちに寅丸が猛烈な勢いで部屋から飛び出して行きました。ナズーリン歓迎の準備をしに行ったのでしょう、一瞬だけ見えた横顔には満面の笑みが浮かんでいました。
「って、ちょっと待って星!」
このままでは寺中に話が広まり大事になってしまいます。それはまずいと正気に戻ったぬえが追いかけて止めようとしますが、慌てて部屋を出た時には既に寅丸の姿はなく。
「え、えらいこっちゃ……」
彼女に出来ることは、ガクリと膝をつくことだけでした。
*****************************
それから何時間か経って。
すっかり日も暮れ、夜の帳が降りてしまいましたが、寅丸の笑顔は太陽のよう。
命蓮寺の門には大きなくす玉が下げられ、鼠の飾り物がいくつも配置され、境内にはチーズ料理が並んでいます。
あの後寅丸の行動からナズーリンが帰ってくると言う話が寺中に広まり、聖たちは勿論信者である妖怪たちまでもが歓迎会に協力したおかげで宴会のようになってしまったのです。聖の目が光っているのでお酒は一滴もありませんが。
そんな歓迎ムードの中、事の発端たるぬえはと言うと。
「よし、逃げよう!」
「御待ちなさい?」
「きゅぐっ!」
境内裏から逃亡直前に聖に首根っこを捕まれ、あえなく捕縛されていました。
「ひ、聖じゃない!どうしたの、何か用?」
「どうしたの、はこちらの台詞ですよ?これからナズーリンの歓迎会だというのに、どこへ行こうというのでしょうね、ぬえったら」
笑顔で語りかける聖ですが、その表情とは裏腹な刺すように冷たい声に背筋が凍るぬえ。とっくにバレているようですが、それでも必死に言い逃れようとしてしまいます。
「いやあ、ちょーっと用事を思い出したりなんかしちゃったりして……」
「そう急ぐこともないでしょう?ナズーリンのことですから、暗くなる前には無縁塚を出ているはずです。ならばそろそろ着く頃でしょうに」
「それは、その」
返答に窮するぬえ。その肩に聖の手がそっと置かれます。
「……ねえ、ぬえ」
「っ!」
ぬえはギュッと目を瞑りましたが、先程までとは裏腹に、聖は優しい声でぬえに語りかけました。
「あなたも、ここまで大騒ぎになるなんて思っていなかった事は察しが付きます。しかし、やってしまったことの責任は取らなければなりません」
「……うん」
「一緒に行って、皆に謝りましょう?その後は皆で騒いで、踊って。幸い宴会の準備は整ってます。明日になれば、元通りですよ」
「でも、星は」
「あの子だって、薄々は気がついていますよ。ナズーリンにだけ連絡が行って、あの子に行かないなんて、おかしいと言うことは分かっているはずです」
「……ちぇー。結局こうなるのかー」
「あらあら、本当はこうしたかったのではないんですか?」
「へんっ、そんなわけないじゃーん、だ」
小石を蹴り蹴り、門に歩いて行くぬえと後を歩く聖。その姿は傍から見れば、孫とおば……もとい子と母親のようにも見えました。
門の前に立つ寅丸の所まで辿り着いたぬえは、一瞬逡巡を見せながらも、意を決して寅丸に語りかけます。
「あ、あのさ、とらま……」
「あっ、見て下さい!ナズーリンが来ましたよ!」
「へっ!?」
慌てて門の外に目を向けると、遠くに見えるのは確かにナズーリンの姿。しかも何やら大きな風呂敷まで背負っております。
信じられないといった表情で、本日2度目の口ポカーンを披露するぬえ。聖も少し驚いた様子で手で口元を抑えています。
そんな中、寅丸は一人大喜び。ナズーリンに手を振って呼びかけます。
ややあって、ナズーリンが門の前に到着しました。大きな荷物をどっこいしょ、と置き、寺の様子を眺めます。
「驚いたな……どうしたことだこれは。何かあったのかい?」
「何言ってるんですか、ナズーリン!全部貴女の為ですよ!」
「私の?……おかしいな、誰にも話した覚えはなかったんだけど」
「響子ちゃんが聞きつけてくれたんです。それにしたってナズーリン、何も言わないなんて水臭いじゃないですか!」
「響子が?そんな事が……」
と、ここで皆の隅っこに隠れる響子とバツの悪そうな顔をしたぬえを見つけたナズーリン。何かを察した様子です。
「ああ、なるほど。そういうことか。いや何、あまり大事にはしたくなくってね。出来ればご主人とだけ話して別れたかったんだ」
「何言ってるんですか、折角ナズーリンが、帰っ、て……?」
ナズーリンの言葉尻に違和感を感じた寅丸。思わず聞き返します。
「ナズーリン、いま、わかれる、って?」
「ああ。今朝毘沙門天様から正式にお達しがあってね。君の監視の任もお終い。晴れて自由の身、という訳だ。響子から聞いたんだろう?」
一気にその場が静まり返ります。
あまりの衝撃で言葉も出ない寅丸。ぬえも聖も同様のようです。
「折角用意してくれたのに悪いんだが、そろそろ行かなくてはならないんだ。こんなことなら、もっと早く伝えておくべきだったかな」
「そんな……待って、待って下さいナズーリン!」
思わず駆け寄る寅丸。その手に握られた大玉の紐が引かれ、「ナズーリンお帰りなさい!」の垂れ幕が降りましたが、誰もそれを見る人はいません。
「本当にすまない、ご主人。あんまり時間があると、決心が鈍ってしまいそうだったんだ」
「だからって、こんなの、あまりに唐突過ぎますよ……っ!」
瞳を滲ませ、服をギュっと握りこみます。誰も、何も掛ける言葉を持ちませんでした。
そのまま何も出来ず、別れの時を迎えるしかないのかと誰もが思ったその時。
「おーどーろーけー!」」
と空から現れたのは誰あろう多々良小傘その人。その場の空気がものの見事に氷結しましたが本人は全く気づいていません。
「うむむ、また駄目だったかー。ところで皆あつまって何してるの?宴会?あちきも混ぜてよー」
「あの、小傘さん。申し訳ないんですが、今はちょーっとお静かに願えますでしょうか……?」
いたたまれずぬえが止めに入りますが、小傘はちんぷんかんぷん。質問を返してくる始末です。
「なに?何かあったなら教えてようー」
「えーとね、今ナズーリンが命蓮寺からいなくなるってことで大事な場面なの。だからすこ~し黙ってて?ね?」
「なにー!って、騙されないよ?今日はエイプリルフールだもんね!今日だけで何度騙されたか!」
「うん、ごめんね、私も騙したけどこればっかりは本当なの、だから頼むからどっか行って下さいお願いします」
必死に説得を続けるぬえですが、小傘は納得しません。とうとうナズーリン本人に問いただしに行きます。
「って言ってるけど、ナズーリンほんと?」
「嘘だよ」
「ね?ナズーリンもそう言って え?」
一拍遅れて、寺中から「ええええええええええ!?」と大きな驚きの声が響き渡ります。
周囲の木から沢山の鳥が羽ばたき、響子が昏倒しました。
全員の視線が集中する中で、頬を掻きながらナズーリンが口を開き--
「いやあ、誰も疑ってくれないものだから私も途中からどうしようか焦って焦って。あのままだと本当に毘沙門天様の所に帰らなきゃいけない雰囲気のようだったじゃないか。まあ去年の意趣返しというわけではないが、皆もっと疑り深くなった方が……ん?どうしたんだい、目が座ってるぞご主人。ど、どうしてジリジリと距離を詰めて来るんだ?いや確かに悪かったとは思うが、そこまで怒ることは……よせ、すまない、ごめんなさい、許し
その後、ナズーリンの悲鳴が再び寺中に響き渡りました。どっとはらい。
春真っ盛りの命蓮寺。
そんな命蓮寺の一室に、挙動不審な影がふたつ。
「あ、あの、ほんとうにやるんですか?やっぱりやめた方が……」
「だーいじょぶだって!それに、あんたは『うん』と『そう』と『はい』だけ喋ってくれれば良いの!後は全部私がやるから!」
小さな影の正体は、封獣ぬえと幽谷響子。何やら良からぬ事を企んでいるご様子。
「う~ん……そうはいっても、うそは良くないと思うんですが」
「な~に言ってんの!今日はエイプリルフールだよ?閻魔様だって嘘をつく日なの!」※閻魔注:そのような事実はございません※
「でも……」
説得を続けるぬえですが、響子は中々納得が行かないようです。
これまでもぬえの口車に乗せられて色々と痛い目にあってきたのでしょう。
渋る響子に、ぬえはなおも説得を続けます。
「それにさ、これは星の為でもあるんだよ?」
「えっ、そうなんですか?」
少し表情が変わった響子。ぬえがここぞとばかりに畳み掛けます。
「そうだよそうそう!あんただって、ナズーリンが引っ越してからの星の落ち込みっぷりは知ってるでしょう?縁側で溜息を付く回数が増えたし、ご飯だっておかわりが五杯から二杯に減った。そんな星を何とか元気づけてあげようと思って、私はこの嘘を考えたんだよ!」
毎朝お寺の住人全員に挨拶をしている響子も、確かに寅丸の異変は感じていました。
ナズーリンがいなくなってからの寅丸はまるで風呂に入れられた猫、発情期明けの寅です。
「でも、結局うそなんじゃ……」
「だーかーらー!そんなのは些細な問題なんだって!その嘘で少しの間だけでも星の元気が戻るかもしれないなら、試してみる価値はあると思わない?いや思うはず!決して浮かれた星を見て大笑いしたいだとか、そういう理由じゃあないの!」
「たしかに、言われてみればそう、かも」
「そう!そうなのよ!……手伝ってくれるわよね?星の為に!」
「……はい。星さまのためなら、私やります!」
言ってることが無茶苦茶ですが、結局響子は丸め込まれてしまったようです。寅丸の事を思うが故の純粋さと取るか、間が抜けていると取るかは個人の判断にお任せしたいところ。
まんまと響子を騙すことに成功したぬえは、女の子がしてはいけない類の笑みを浮かべて説明を始めます。
「よしよし、じゃあ具体的な手順だけど……」
*****************************
「はぁ……」
所変わって、ここは寅丸の部屋。
桐箪笥の上に置かれたナズーリンの写真(by天狗)を眺めつつ本日30回目のため息を漏らしているのは、もちろんこの部屋の主の寅丸星です。
物憂げな表情はそんじょそこらの女性なら一目見ただけで一撃ノックアウト、その場でトロ顔ダブル入信(本人が入信する確率が100%、誘われた友人が入信する確率が50%の意)をキメてしまうでしょう。
しかし本人にとっては深刻な悩みの様子。その原因はもちろん……。
「ナズーリンが次に来るのは、いつでしょうか……」
はい、お聞きのとおりです。
聖たちが封印されている間、千年もの間共に過ごしてきたナズーリンですが、彼女はあくまで毘沙門天、ひいては寅丸の部下。
聖を中心に添える寺になってしまった以上、彼女を信仰していないものがいつまでも住み着いているわけにも行かない、という理由で出て行ってしまいました。
年末年始等要事の際には手伝いにも来ますが、それでも月に数度ほど。
お寺の繁盛で忙しくなったこともあり、会いに行く時間も取れず寅丸は深刻なナズーリン分不足に陥ってしまっていたのです。
「はぁ……おや?」
31回めのため息をつくと同時に、廊下の方から走り声。ぬえか響子かどちらかだろうな、少し注意しなければと寅丸が立ち上がろうとすると同時、ふすまが勢い良く開かれます。
「おや、ぬえに響子ちゃん。廊下は走ってはいけませんよ。あと、ふすまはもっとゆっくり……」
「それどころじゃないんだって!大ニュース大ニュース!」
現れたのはぬえと響子。笑みを隠し切れないぬえとどこか後ろめたさを漂わせる表情の響子が実に対照的です。
「はい?一体何が……」
「なんと!さっき毘沙門天からお達しがあって、ナズーリンも今日から命蓮寺で暮らせるんだって!」
「そ、そうなんです!」
「……」
「さっき響子がこの犬耳で聞きつけたらしくてさ!ね、響子?」
「は、はい!しっかりとこの耳で!」
「……」
「いやまあ仮にも監視役なんだから、一緒に住まないなんてそもそもおかしいんだけどさ、これでまた一緒に……えと、星?聞いてる?」
「……」
ぬえが熱弁を振るいますが、星は最初の問答以降俯いたままで、あまりぬえの話を聞いている様子ではありません。
それどころか小声で何かブツブツとつぶやいている有様。
段々不安になっってきた響子がぬえに尋ねます。
(ぬえさん、もしかしてバレたんじゃ……)
(お、おかしいな、星なら絶対に飛びつくと思ったんだけど)
今回の悪戯は失敗かな、と少し残念に思いつつ、ぬえが星の様子を伺います。
「あー、もしかして、気づい……」
「や……」
「や?」
「やっっっっっっった---------!」
「おわぁ!?」
「ひゃっ!」
突然両手を振り上げ大声を出した寅丸に驚き、思わず尻餅をつくぬえと耳を押さえて縮こまる響子。
そんな二人を気にかける様子もなく、寅丸は一人でまくし立て始めます。
「ああもうナズーリンったら水臭いですね引越しの準備があるのもわかりますが鼠を遣わせて知らせるくらいしてくれればいいのにああもしかして突然返ってきて驚かせるつもりだったのでしょうかまったくいけずなんですからそれならこちらも歓迎の準備をして逆に驚かし返してあげるべきですよねさあそうと決まればまずは垂れ幕を作ってそれからナズの好きなチーズ料理も作らなきゃああ腕が鳴りますねこれから忙しくなりますよ!」
寅丸のあまりの豹変に言葉も出ないぬえ。まさかここまで効果があるとは思っても見なかったようで、ぽかんと口を開けて寅丸を眺めることしか出来ません。
響子の方は大声には驚いたものの、寅丸の元気(?)な姿を見ることが出来て一安心のようです。
「よかった、星様の元気がもどって……」
「いや、いいのかなあこれ?」
そうこうしているうちに寅丸が猛烈な勢いで部屋から飛び出して行きました。ナズーリン歓迎の準備をしに行ったのでしょう、一瞬だけ見えた横顔には満面の笑みが浮かんでいました。
「って、ちょっと待って星!」
このままでは寺中に話が広まり大事になってしまいます。それはまずいと正気に戻ったぬえが追いかけて止めようとしますが、慌てて部屋を出た時には既に寅丸の姿はなく。
「え、えらいこっちゃ……」
彼女に出来ることは、ガクリと膝をつくことだけでした。
*****************************
それから何時間か経って。
すっかり日も暮れ、夜の帳が降りてしまいましたが、寅丸の笑顔は太陽のよう。
命蓮寺の門には大きなくす玉が下げられ、鼠の飾り物がいくつも配置され、境内にはチーズ料理が並んでいます。
あの後寅丸の行動からナズーリンが帰ってくると言う話が寺中に広まり、聖たちは勿論信者である妖怪たちまでもが歓迎会に協力したおかげで宴会のようになってしまったのです。聖の目が光っているのでお酒は一滴もありませんが。
そんな歓迎ムードの中、事の発端たるぬえはと言うと。
「よし、逃げよう!」
「御待ちなさい?」
「きゅぐっ!」
境内裏から逃亡直前に聖に首根っこを捕まれ、あえなく捕縛されていました。
「ひ、聖じゃない!どうしたの、何か用?」
「どうしたの、はこちらの台詞ですよ?これからナズーリンの歓迎会だというのに、どこへ行こうというのでしょうね、ぬえったら」
笑顔で語りかける聖ですが、その表情とは裏腹な刺すように冷たい声に背筋が凍るぬえ。とっくにバレているようですが、それでも必死に言い逃れようとしてしまいます。
「いやあ、ちょーっと用事を思い出したりなんかしちゃったりして……」
「そう急ぐこともないでしょう?ナズーリンのことですから、暗くなる前には無縁塚を出ているはずです。ならばそろそろ着く頃でしょうに」
「それは、その」
返答に窮するぬえ。その肩に聖の手がそっと置かれます。
「……ねえ、ぬえ」
「っ!」
ぬえはギュッと目を瞑りましたが、先程までとは裏腹に、聖は優しい声でぬえに語りかけました。
「あなたも、ここまで大騒ぎになるなんて思っていなかった事は察しが付きます。しかし、やってしまったことの責任は取らなければなりません」
「……うん」
「一緒に行って、皆に謝りましょう?その後は皆で騒いで、踊って。幸い宴会の準備は整ってます。明日になれば、元通りですよ」
「でも、星は」
「あの子だって、薄々は気がついていますよ。ナズーリンにだけ連絡が行って、あの子に行かないなんて、おかしいと言うことは分かっているはずです」
「……ちぇー。結局こうなるのかー」
「あらあら、本当はこうしたかったのではないんですか?」
「へんっ、そんなわけないじゃーん、だ」
小石を蹴り蹴り、門に歩いて行くぬえと後を歩く聖。その姿は傍から見れば、孫とおば……もとい子と母親のようにも見えました。
門の前に立つ寅丸の所まで辿り着いたぬえは、一瞬逡巡を見せながらも、意を決して寅丸に語りかけます。
「あ、あのさ、とらま……」
「あっ、見て下さい!ナズーリンが来ましたよ!」
「へっ!?」
慌てて門の外に目を向けると、遠くに見えるのは確かにナズーリンの姿。しかも何やら大きな風呂敷まで背負っております。
信じられないといった表情で、本日2度目の口ポカーンを披露するぬえ。聖も少し驚いた様子で手で口元を抑えています。
そんな中、寅丸は一人大喜び。ナズーリンに手を振って呼びかけます。
ややあって、ナズーリンが門の前に到着しました。大きな荷物をどっこいしょ、と置き、寺の様子を眺めます。
「驚いたな……どうしたことだこれは。何かあったのかい?」
「何言ってるんですか、ナズーリン!全部貴女の為ですよ!」
「私の?……おかしいな、誰にも話した覚えはなかったんだけど」
「響子ちゃんが聞きつけてくれたんです。それにしたってナズーリン、何も言わないなんて水臭いじゃないですか!」
「響子が?そんな事が……」
と、ここで皆の隅っこに隠れる響子とバツの悪そうな顔をしたぬえを見つけたナズーリン。何かを察した様子です。
「ああ、なるほど。そういうことか。いや何、あまり大事にはしたくなくってね。出来ればご主人とだけ話して別れたかったんだ」
「何言ってるんですか、折角ナズーリンが、帰っ、て……?」
ナズーリンの言葉尻に違和感を感じた寅丸。思わず聞き返します。
「ナズーリン、いま、わかれる、って?」
「ああ。今朝毘沙門天様から正式にお達しがあってね。君の監視の任もお終い。晴れて自由の身、という訳だ。響子から聞いたんだろう?」
一気にその場が静まり返ります。
あまりの衝撃で言葉も出ない寅丸。ぬえも聖も同様のようです。
「折角用意してくれたのに悪いんだが、そろそろ行かなくてはならないんだ。こんなことなら、もっと早く伝えておくべきだったかな」
「そんな……待って、待って下さいナズーリン!」
思わず駆け寄る寅丸。その手に握られた大玉の紐が引かれ、「ナズーリンお帰りなさい!」の垂れ幕が降りましたが、誰もそれを見る人はいません。
「本当にすまない、ご主人。あんまり時間があると、決心が鈍ってしまいそうだったんだ」
「だからって、こんなの、あまりに唐突過ぎますよ……っ!」
瞳を滲ませ、服をギュっと握りこみます。誰も、何も掛ける言葉を持ちませんでした。
そのまま何も出来ず、別れの時を迎えるしかないのかと誰もが思ったその時。
「おーどーろーけー!」」
と空から現れたのは誰あろう多々良小傘その人。その場の空気がものの見事に氷結しましたが本人は全く気づいていません。
「うむむ、また駄目だったかー。ところで皆あつまって何してるの?宴会?あちきも混ぜてよー」
「あの、小傘さん。申し訳ないんですが、今はちょーっとお静かに願えますでしょうか……?」
いたたまれずぬえが止めに入りますが、小傘はちんぷんかんぷん。質問を返してくる始末です。
「なに?何かあったなら教えてようー」
「えーとね、今ナズーリンが命蓮寺からいなくなるってことで大事な場面なの。だからすこ~し黙ってて?ね?」
「なにー!って、騙されないよ?今日はエイプリルフールだもんね!今日だけで何度騙されたか!」
「うん、ごめんね、私も騙したけどこればっかりは本当なの、だから頼むからどっか行って下さいお願いします」
必死に説得を続けるぬえですが、小傘は納得しません。とうとうナズーリン本人に問いただしに行きます。
「って言ってるけど、ナズーリンほんと?」
「嘘だよ」
「ね?ナズーリンもそう言って え?」
一拍遅れて、寺中から「ええええええええええ!?」と大きな驚きの声が響き渡ります。
周囲の木から沢山の鳥が羽ばたき、響子が昏倒しました。
全員の視線が集中する中で、頬を掻きながらナズーリンが口を開き--
「いやあ、誰も疑ってくれないものだから私も途中からどうしようか焦って焦って。あのままだと本当に毘沙門天様の所に帰らなきゃいけない雰囲気のようだったじゃないか。まあ去年の意趣返しというわけではないが、皆もっと疑り深くなった方が……ん?どうしたんだい、目が座ってるぞご主人。ど、どうしてジリジリと距離を詰めて来るんだ?いや確かに悪かったとは思うが、そこまで怒ることは……よせ、すまない、ごめんなさい、許し
その後、ナズーリンの悲鳴が再び寺中に響き渡りました。どっとはらい。