Coolier - SS得点診断テスト

靴をなくした天子

2013/04/01 01:06:47
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 まえがきが思いつかない。
 あ、このSS、本当は朗読してもらおうって企画で書いたものでした。
 ……趣旨履き違えてるってんで、お蔵入りになったけどな。

********************

 靴をなくした天子-The Legend of strongest girl-
 
≪主な登場人物≫

比那名居 天子 …… 天人。おまえ糖分とりすぎ
博麗 霊夢    …… 彼女を支援するチャイルドスポンサーシップがあったら全てを投げ打つのだが。
封獣 ぬえ    …… いいからシャコと戦ってろよ

ボトロス・ボトロス=ガヤリ …… 元国連事務総長。エジプト出身の法学者。紛争に武力介入して両成敗して丸く収めるっていう思想の走りになった人。名前が面白い。

********************



[第百二十六季
 12月24日
 最強伝説比那名居]


 どえらい雪の降っている日のことだった。
 比那名居 天子は駅のホームで電車を待ちながら神経質そうに足踏みをしていた。寒い訳ではない。彼女は天人だ。寒さなどでかのようにイラついたりはしない。
 彼女がイラつき、闇雲に焦っているのは約束の時間に遅れそうだったからだ。
 幾度となく神社に足を運び、数多の口説き文句を費やして、ようやくこの日、天子は意中の少女に予定を入れさせることに成功していた――博麗 霊夢をデートに連れ出すことに成功していた。この12月24日という、人によってはいろいろな意味で特別視される夜に、である。
 だというのに!
「一体いつんなったら電車が来るのよォォオオオーーーーッ!!!!」
 ヒステリックに叫ぶのは、しかし天子の声ではない。見ると茶封筒を大事そうに抱えた烏天狗がひとり、天子の横に立っていた。
「ひぃっ!?」
 その烏天狗の懐で携帯電話が着信する。恐る恐る電話に出た烏天狗は――射命丸 文、そうだ。天子ははた、と手を叩いて思い出した。こいつの名前は射命丸 文だ。知り合いといえなくもない仲であるが、今の今まで忘れていた。文の方も天子には気づいていないようだった。それもそうだろう、電話口の彼女は氷点下だというのに脂汗をダラダラと流して、顔面蒼白の様相だったから。ぎゅっと身体に引き寄せる茶封筒には24日20時厳守! という赤マーカーが引かれており、傍から見ても彼女がピンチであることは明らかだ。
 文が通話をきって蹲る。だが、周囲には彼女を奇異の目で見る者は少ない。
 みな、この状況に似たような感情を抱いていた。例年にない大雪に襲われたこの国鉄は、ダイヤを大幅に乱されいつ電車が来るかも解らないような状況でホームに労働者を待たせるままにしている。他に帰途の宛があるもの、泊まる宛のあるものは早々にホームを後にし、ここにはほかに行き場のない妖怪の山の残業労働者が2,30人だろうか、溜まっていた。みな疲れ切った表情をしている。
 その中で、いよいよ天子の頭上にあった電光掲示板が恐れていた表示を灯した。今しがたまで、前の駅とこの駅の間を通行しているという表示のあった車両が、到着時刻不明となったのだ。
「あややややぁ……」
 射命丸 文が腰の砕けたような声を出してくずおれた。周辺にいた誰もがため息を吐いた。みな、諦めていた。だが天子だけは違った。諦めるわけにはいかなかった。
「くそう、霊夢を待たせるわけには」
 霊夢との待ち合わせ時間は、20時ちょうど。ここから待ち合わせの劇場までは、電車で二十分。この天候ではもっとかかるだろう。幹線道路も塞がっており、タクシーも使えない。徒歩で行こうにも外は大雪で歩くのもままならない有様だ。
 だが、ここでこれ以上立ち止まっていてもらちはあくまい。
 天子は周辺を見渡す。なんとかして、ここから霊夢の待つ劇場まで行かねばならない……現在時刻は18時25分。
 なにかないか、使えそうなものは。天子のぎらつく目が不意に一点で止まった。その視線の先には反対側のホームがあり、そして大願のホームの壁には、大きくスポーツ用品店の看板が張り出されていた。
 シェードの入ったスノウゴーグルを着け、スノーモービルに跨る、犬走 椛の看板だった――下の方に、店の住所も書いてある。ココから走って五分とかからない場所だ。
「………………」
 天子は踵を返し、ホームで立ち尽くす文を含んだ二十数名を尻目に走り出した。


 首尾よくヤマハ製のスノーモービルを奪取した天子はノーマルタイヤで渋滞を作る幹線道を縫って走り、追いかけてくる店員や警察官を振り切って官庁街を突っ切った。帰る宛をなくし各々の職場に泊まり支度を整えていた者たちがオフィスの窓から天子とこれを追う警官隊を見下ろした。構わず天子はエンジンを吹かして加速、渋滞車両でごった返しているであろう国道を避け、線路に並走するように伸びる県道を天子は進んだ。この時すでに警官隊は捲かれており、天子の独走態勢。
「待ってて霊夢、今行くわ!」
 そういいながら彼女は片手運転でポーチの中を確認した。二人分の映画のチケットが収まっている……携帯を確認すると、霊夢から何通かメールが来ていた。まだ来ないのか、だのなんだとのと。だが不思議とイラついている様子ではない。彼女もまたこの日のために白いコートを新調し、赤いマフラーで紅白の装いを決めていてくれていることを天子は知っていた。そんな彼女をこれ以上待たせてはならない。
 そして同時に天子もまた、霊夢のもとへ一刻も早く辿り着きたかった。天子はこの日のために、映画に続きホテルでの食事と、バーの予約していた。実をいうと部屋も取ってある。方々探して、とびきりのブーツを選んで新調もしたのだ。
「一秒でも早く、霊夢のもとに」
 そう呟く天子の背後から不意に光がさし、ごう、ごうという鈍い轟音が上がった。
 振り返ると、ディーゼル列車が背後のやや小高くなった線路を走っているのが見えた。その、様子がおかしい。延々と汽笛を鳴らし続けているのだ――そこで、天子も気づいた。

 列車の進行方向、トンネルの入り口が、雪崩で塞がっていた。

 まずいぞ、と天子が口の中で呟くと同時に、僅か2両のディーゼル列車がどすん、と雪に突っ込んで、姿勢を崩したままトンネルに吸い込まれていった。ガリガリガリ、という不協和音が夜の妖怪の山に響く。あまりにも不吉な音のあと、トンネルから黒煙が漏れ出してきた――と、同時に爆発。
「大変」
 天子は車両を停止し、トンネルに向かって斜面を上った。何度か足をとられる。コートが路線上からまき散らされた泥で汚れ、ブーツの片方がすっぽ抜けてしまった。
「ああもう! ああもう! せっかくクリーニングに出したのに!」
 取りに戻る時間が惜しい。天子はそのまま斜面を登り切り、愚痴りながらもトンネルの中に向かうと、トンネル中ほどで車両は横転していた。速度を十分に殺せなかったのだろう。破損した車両のあちこちから火花が散っていた。蛍光灯の一部はまだ生きており、それらがか細く明滅するほかは、どこかで燃えている炎の灯りしかない。
 その中を天子は手探りで進んだ。
「大丈夫! だれか、生きてる!?」
 うめき声が聞こえた。何人かが、車両の非常ドアをこじ開けて脱出してきていた。
「こっちに、口元をハンカチで塞いで! 姿勢は低く! 急がないで!」
 白狼天狗や鼻高天狗、河童や妖精たちを誘導して、外へ避難させる天子。妖精が煙を吸って咳き込み、倒れた。これを助け起こし、自分の持っていたブランド物のハンカチを差し出す。一度外に出た後再びトンネル内に戻った天子はガラスを素手で叩き割って後部車両に乗り込み、避難の遅れた者がいないかを確認しつつ消火器と斧、そして懐中電灯を回収した。ひしゃげた連絡扉を斧で叩き壊して前部車両に移る……そこには、運転手を含め五人ほどが倒れ伏していた。無理もない。扉をこじ開けた瞬間に黒煙が噴き出してきたほどだ。どうにか入り込み、倒れているものを助け起こす。頬を叩くと意識が戻った。どうにか歩かせて後部車両へと誘導する……その中で、天子はある臭いに気付いた。
「――――ディーゼル燃料」
 どこかから、燃料が漏れだしている。
「くそう、急いで! 炎上するかも!」
 非常扉から朦朧とした意識の天狗を下ろす。回復したらしい後部車両の乗客がこれを受け止め、外へと運んで行った。一人、二人、三人……四人目の天狗を抱き起し、負ぶって運ぶ天子の背中で、不意に天狗が暴れ出した。
「げっ……原稿!!! 原稿が、原稿があるんです!!!」
「なんですって!」
「戻ってください! 戻って!」
「ふざけないでよ! 爆発するかもしれないんだから!」
「原稿!」
 暴れる天狗を――射命丸 文だ、彼女をどうにか外に放り出す。そのまま彼女は引きずられていった。最後に運転手を担ぎだし、どうにかこれも身柄を預けることに成功した。
「これで全部ですね、早くあなたも出てください! 燃料がトンネル内全体に広がってるんです!」
「解ったわ。先に外に出てなさい。私は、忘れ物を取ってくるから」
「そんな!」
「行きなさい!」
 真っ暗闇の中を、天子は手探りで進んだ。懐中電灯は煤だらけになって、もはや役には立たなかった。先ほど射命丸がいた辺りを探す。茶封筒があった。これだろう。コートの内側に封筒を仕舞う。
「さて、脱出――」
 そう、天子がつぶやいた瞬間。
 ディーゼル燃料に火が付いた。
「!?」
 ぼう、と燃え広がった炎は瞬く間に車両を包み、燃料タンクに達する……この時、タンクは衝撃で破裂しており、かねてから加わっていた高熱により燃料を気化させていた。ここに火がつくと、さてどうなるだろう。
「あ、まずいかも、これ……」
 天子が走り出すと同時に、車両が爆発した。
 トンネルから噴き出した火柱は、遠く離れた、霊夢の待つ劇場からでも、見えるほどだった。


 ……とはいえ、天人がこの程度でくたばるはずはない。
 天子は片方しかない靴のまま、元は白かったのに煤のため真っ黒になった焼け焦げたコートを方にひっかけて、県道を下っていた。
「は……っくしゅん!」
 自分のあまりの情けなさにくしゃみがこぼれる。鼻水が顔面の煤に付着して、より汚くこびりついた。雪で何度もぬぐったのだが、なかなか落ちないのだった。いかな天人でも、ここまで手ひどく化学汚染されては致し方ない。
「いま、何時なんだろ……霊夢、帰っちゃったかなあ」
 スマートフォンは熱と衝撃で完全にオシャカになっていた。
「あーあ……」
 ひどく、みじめな気持だった。その背後でクラクションが鳴った。振り返ると、霊柩車が一台停まっていた。

「乗せてくれてありがと……私は比那名居 天子。あなたは?」
「わたしはねー、封獣 ぬえっていうの」
「この車、命蓮寺のよね。あなた、命蓮寺の人なの?」
「まーね。いやあ、山の修理工場に出したこの車を受け取りに行くだけだったんだけど、とんだ足止めを食っちゃったよ」
「この雪だもの、仕方ないじゃない」
「と思うじゃん? だけど、本当ならお昼には帰ってる予定だったんだよね……山で遊んでたら帰るのが遅くなって。そのあいだに雪が降り出してさ。このざまだよ。あーあ。また村紗に怒られる」
「大変なのね、あなたも」
 霊柩車の助手席で、天子はようやく人心地つけていた。ふもとまで乗せて行ってくれるというので甘えたのだった。
 ぬえがペットボトルのお茶を差し出す。
「まだ、冷え切ってはいないと思うよ」
「ありがと。……あ、そうだ。いま、私何にも持ってないけど……これ、よかったらあげる」
 そう言って天子が差し出したのは、片方だけになったブーツだった。そのほかの所持品はすべて焼けてしまっていた。
「いいの? ……っても、片方だけじゃ、ね」
「あはは、そうだよね……」
「いや、やっぱりもらおうかな?」
「そう? そう言ってもらえるとありがたいわ」
「ありがとね」
 ここは、ぬえが気を利かせた。申し訳なさそうにする天子に、なんだかぬえの方が申し訳ないような気持になってしまったのだ。
 そうこうしているうちに、車は麓についた。
 劇場前で下してもらった天子は、靴下を泥まみれにしながらエントランスへ向かう。そこで、霊夢の姿を見つけた。
 時刻はすでに、22時を回っている。演目ももう終わった時間だ。だが、霊夢は待っていた。
「霊夢!」
「……天子」
 呼びかけると、霊夢が振り向いた。
 どうにか弁明しようと天子が口を開く前に、霊夢の背後から現れた緑色のピーマンみたいな人影が天子を速攻で取り押さえた――東風谷 早苗だ! いったい何事だというのか!?
「天子さん、いけませんね……先ほど連絡がありまして、あなたを窃盗と道路交通法違反で逮捕しろとのことでして」
「うえっ!? え、いや。あれは後で、ちゃんと返すつもりで!」
 床に組み伏せられる。霊夢のかかとが見えた。
「ちょ、ちょっと! 霊夢待って! 待って、話を聞いて!」
「……天子、あんたなにやってんのよ」
「霊夢!」
「暴れないの!」
 霊夢は振り返ることなく、天子にそれだけ言うと立ち去ってしまう。しばらく天子は抵抗したが、風祝のサブミッションからは抜け出せない。霊夢の背中が見えなくなると、ようやく天子は抵抗をやめた。
 ひどく、冷たい、床の上で。
 天子は力なく横たわった。

 かくして二日後、彼女は裁判が終わるまで拘置所に入れられることになる。
 裁判はなかなか始まらなかった。本来ならばもっと早くに決着に至るのだが、天子を擁護すべき立場にあった永江 衣玖は天界の意向によりその活動を著しく制限されていた。よって裁判は後回しにされ続け、ようやく執行猶予が確定したのは三週間後というありさまであった。
 そして、この三週間、多くの変化が幻想郷に起こった。

『事故現場に現れた、謎のヒーローは何者か』
『二十六名を救出し、名も告げぬまま姿を消した少女の正体は?』
『当社記者・射命丸が語る人物像!』
『新たな物証! 現場から片方のみのブーツが発見さる』
『靴から導かれた事実……謎のヒーローは貧乳か』

 ……射命丸 文は、あの日以来己を救い出した人物を探し続けていた。
 おぼろげな記憶の中、まして煤まみれの顔では身体的特徴も解らない。まさに五里霧中といった有様ではあったが、新たに現場から靴が発見されたことにより状況は大きく好転した。
 文は社長に直談判し、同じ靴をもっているものを探すキャンペーンを張った。
 大変珍しいブランドの靴であったため、名乗り出た者の中から本物を探すのは容易に思えた――そして、事実。容易に、謎のヒーローは特定された。
 彼女の名前は、封獣 ぬえ。
 命蓮寺に住まう、正体不明の妖怪であった。

「あの時は、どうすればいいか私自身混乱していて」
「だけど、とにかく助けなくちゃって思ったんです」
「普段から、聖とか、星とか、村紗とか、一輪とか……たくさんの先輩に、利他行を仕込まれていますから」
「なぜ現場から姿を消したのか、って……だって、私正体不明の妖怪だし」
「あんまり、人の注目を集めるのは避けたかったんです」
「だけど、聖に言われたんです。ヒーローとして姿を現すことで、少しでも人助けになるなら」
「これをしない訳にはいかないな、って」

 射命丸直々のインタビューでこう答えたぬえは、その愛くるしい容姿と絶対領域、英雄的行動と謙虚な態度により瞬く間に幻想郷のアイドルに祭り上げられた。
 連日、チャリティーショーやボランティアに参加し、これにはぬえを信奉するフォロワーが大いについて回った。棚上げにされていた、命蓮寺の抱える救済政策は一日にして何年分もの進捗を見せるに至った。すべては、妖怪の山がメディアの総力を挙げて作りだしたぬえというヒーロー像の生み出す動員力のたまものであり、これを正しく活用する命蓮寺の利他行主義の成果であった。
 人々は、希望を見た。
 ぬえの姿に希望を見ていた。
 口々に、彼女を英雄だとして讃えた。
「いーや、違うわね。あいつはうそつきよ」
 ただ一人、比那名居 天子を除いては。

「ぬえちゃんが、うそつきだって?」
「そうよ、あいつはうそつきよ。だって、本物のヒーローは私なんだもの」
「そうかい。だけど、みんなはぬえちゃんを信じるぜ」
 場末の飲み屋で、執行猶予中の天子が酒に酔った勢いで、そんなことを口にした。
 たちまち、周囲からは彼女を蔑む目が注がれた。
「ぬえちゃんは、誰が何と言おうとヒーローよ。今日も新しい墓地の整地を手伝ったんだ。私も参加したんだから……人の何倍も働いていたわ、彼女」
「それでも、あいつはうそつきなのよ!」
「あ、そう。じゃあ、あなたは仲間はずれね」
 不意に、天子に注がれていた蔑む視線が途絶えた。
 そして、誰も彼女に関心を払うものはいなくなった。

 ぼろのスニーカーを履いて、天子は歩く。
 向かう先は一つしかなかった。天界にも、執行猶予中は帰れない。帰っても家の門は開かないだろう。だから彼女は博麗神社へ向かった。しかしやはり、玄関は固く閉ざされていた。
「霊夢、開けてちょうだい……すごく寒いの」
「……なにか、用?」
「泊めてほしいの」
「ぬえって、知ってるでしょ?」
「……なんで?」
 霊夢の口からさえ、ぬえの名前を聞くなどとは思いもよらなかった。
 あの、何物にも無関心だった霊夢。たくさんの手を尽くして、ようやく振り向かせた霊夢が、今は別の方を向いている。
「命蓮寺で、あんたみたいなろくでなしを受け入れる施設を作っているそうよ。そこに行ったら?」
「…………あんたまで、ぬえちゃんぬえちゃんって、……」
「なによ」
「なんでもない」
 そのまま、天子は博麗神社を後にした。
 降る雪が、ひどく冷たく、帽子を濡らしていた。


 さてぬえはというと、これが実に気が気でなかった。
 軽い気持ちで名乗り出て、そこからメディアの神輿に担がれヒーローとして祭り上げられてしまおうなどとは、いったい誰が想像しただろうか。.
「ぬえー……ん」
 心細げな声を上げる。そんな時、彼女をやさしく包み込んでくれた聖はもはや彼女からは遠い人物になっていた。いや、遠くなったのは白蓮ではない。ぬえのほうだ。彼女は今命蓮寺が公共事業として立ち上げた多目的ビル『感情の摩天楼』の最上階にいた。ココは彼女専用の、生活空間として用意されたのだ。
 嘘をついて多くの人を動かしている、今の自分自身に、ぬえはひどく心を圧迫されていた。
 そしてまた、己の嘘に、命蓮寺の皆を巻きこんでしまったことで、後には引けなくなっていた。
 有体に言って、彼女は追い詰められている。
「……ラーメンが食べたい」
 確か、一階のラウンジのどこかにマルちゃんの自販機があったはずだ。あれの味噌ヌードルがぬえの大好物なのだった。服を着替え、目立たない恰好でぬえは秘かに階段を下りる。エレベーターを乗り継いで一階に出ると、そこでは一悶着起こっていた。
「あっ……ああああっ!」
 ぬえがか細い悲鳴を上げる。
 ビルのエントランスホールで押し問答をしている人物に、見覚えがあったからだ。
 あれは間違いなく、あの日車に乗せた娘……比那名居 天子だ。
「通してよ! ぬえってやつに、話があるんだから!」
 そう、叫ぶ声が聞こえた。しかし天子は寅丸 星の一喝と共に外へと投げ出された。ぬえは慌てて階段を駆け上がった。
 とにかく、どこかへ。
 どこか遠くへ逃げなければ。
 そう思った。

「っくしょー。命蓮寺の連中め」
 しぶしぶとビルを後にした天子は命蓮寺の炊き出し列に加わっていた。間接的にでもぬえの世話になるのは癪だったが、腹が減っていたのだ。天人もここまでひどい目に合えば足元も汚れるし腹も空こうというものだ。
 順番が回ってくる。天子の持ったトレイに乳粥が盛られる。さらに、小さいロールパンが二つとコンソメスープに、漬物がふたきれ。久々の食事だ。天子は貧相ではあるが、このメニューに大変満足し踵を返した――そして、誰かにぶつかった。
 天子のトレイからロールパンが落ちる。泥交じりの雪の上に着地した。
「あ、うわああああ」
 悲鳴を上げて、天子が涙目になった。情けない、と自分でも思う。だが、天子は打ちのめされすぎていた。心の防衛線も、身体のそれも、もはやぐずぐずの様相だったのだ。
「う、ひっく、ううー」
 泣きじゃくりながら席に着き、無事な方のロールパンをかじる。そのトレイに、誰かが半分に千切ったロールパンを置いた。
 隣を見る。名も知れぬ妖精が、無言で差し出していた。
 さらに、半分に千切られたパンがトレイに置かれた。通りすがりの、妖怪が。やはり無言で置いて行ったものだった。
 泣き止んで、天子は周囲を見渡す……誰もが皆、こんな寒空の下で、安い食事をとりながらも、それでも――
 ――その眼には、余さず希望が満ちていた。
「………………」
 この時、天子はようやく理解したのだ。
 一体何が、彼女たちを支えているのか。
 パンではない。酒でもない。
 彼女たちを支えているのは、もっと別の。
 信じる限り、決して磨滅しないものだと、天子は気付いたのだ。
「ぐすっ……すん」
 泣き止んだ、彼女の頭上から、悲鳴が聞こえた。
「……なんだ?」
 目を凝らす。
 雪の舞う夜空、高い高い、感情の摩天楼の壁、その張り出しの上に、誰かがいるのが見えた。

 封獣 ぬえであった。

 
 ぬえは追い詰められていた。
 追い詰められ、どこか遠くへ、どこか遠くへと思ううち、たどり着いたのがこの場所だったのだ。
 窓から不安定な張り出しを伝って、ぬえは誰も来られない場所へと逃げていた。窓からはマスコミのカメラがぬえをとらえている。見覚えのある女記者、そう、あの射命丸 文だ。彼女が何事かを大声で叫んでいた。だが、ぬえはどうでもよかった。
 幻想郷中が、ぬえの動向を見守っていた。
「……聖、一輪、星、村紗、ナズーリン、響子、小傘、雲山、マミゾウ。みんな、ごめん。ごめんね……もう、無理なの」
 ぬえの足がわずかに前に出る。
 誰もが声を漏らした。
「…………?」
 不意に、ぬえは先ほどまで窓際にいた射命丸 文がいないことに気が付いた。
 同時に耳を澄ますと、なにか窓の向こうで小競り合いをしているような声も聞こえる。
 一体、なにが起こっているのか――

 ――ぬえから見た窓の向こう。スイートルームでは、比那名居 天子と射命丸 文による押し問答が繰り広げられていた。
「ちょっとでいいの、あの娘と話させて!」
「だめです、だいたい、誰ですかあなたは!」
「射命丸さん、その人を止めてください! さっき、エントランスホールで騒ぎを起こしたんです!」
 前に進もうとする天子と、これを包囲するその他大勢。寅丸 星が天子を指弾した。
「そいつ、ぬえは嘘つきだって、文句を言ってやるっていうんです。秘密を知っているって脅迫めいたことまで言って!」
「いまは、別にそのことはどうでもいいのよ! 少しでいいから、話をさせて欲しいの!」
 ぐいぐいと、天子はいよいよ天人の本領発揮とばかりに押し通らんとする。射命丸がこれに立ち塞がった。
「ふざけないでください! なぜ、ぬえちゃんがあんなことになっていると思うんですか!」
 天子はようやく、射命丸の存在に気付いた。ならばと懐に手を突っ込む。文は続けた。
「あなたのような、ひねくれ者が! 心無い僻みや中傷で、あの娘を追い詰めるんですよ! あの娘には近づけさせない――」
「おい、射命丸 文とやら! これがなんだか解るか――そおれ!」
 茶封筒を、天子は投げた。
「―――――――!」
 とっさに、射命丸が封筒に向かってジャンプする。その隙に天子は囲みを突破し、そして窓から飛び出した。

「な、なに!? なんなの!?」
 面食らったのはぬえである。急に飛び出してきた天子は、不安定な足場を何度も落ちそうになりながら、追いすがる手を振り解いてぬえの横に座ったのだ。
「ふー……あー。しんどかった」
「あ、あの。あなたは……」
「や。久しぶりね。ぬえちゃん。覚えてる? 私のこと」
「……比那名居 天子、さん」
 ぬえもまた、雪で覆われた建材の一部に腰かけた。
 こうして、二人だけの、誰にも聞かれない。
 偽物のヒーロー同士の会話が始まった。


 最初に口を開いたのはぬえだった。
「あの。天子さんは、何をしに来たんですか」
「んー? いや。何ってわけじゃないんだけど、ね……」
「私の罪を、責めるならば。私はこれから、それを精算するつもりでいました」
「何言ってんのよ。そんなつもりはないわ」
「では、いったい……?」
「私はね。お礼を言いに来たの」
 ぬえは目を丸くした。
 驚きこそすれど、その態度に悪意や不信感を持たないあたり、ぬえもまた、どうしようもない善人であった。
「あなたが進めた福祉事業。あれのおかげで、たくさんの人がお腹を満たしているわ」
「だっ、だけど。それは天子さんとは関係ないんじゃ」
「そんなことない。私、不良天人だからね。不良天人だけど、それでも、なんていうのかな。
 私は、私なりに、世の中には、もっと良くなって欲しいと思ってる。
 でも、私は見ての通り不良天人でさ。なにやっても中途半端で、どうしようもない人生を送ってきた……それこそ、好きな娘ひとり、映画に連れて行くこともできないような、ろくでなしなのよ。実際。
 だけど、あなたは違う。きちんとチャンスをものにして、プレッシャーに耐えながらも、ここまでやってきたじゃない。
 あなたのおかげで、世の中は確実に良くなった。みんなが、あなたに希望を見ることができた。
 この流行がいつまで続くかなんて解らない。だけど、私はあなたの歩みを止めたくない。
 解る? あなたは、私が望んで、私にはできなかったことをしてくれているのよ。
 だから、お礼が言いたいの……ありがとね」
 
 ぬえは、これに、もはや何とも答えることはできなかった。
 ただ、頷くことしかできなかった。

「よかった。じゃ、これからも続けてくれるわね」
 こくこくと、ぬえが頷く。その眼には炎があった。緋想の剣も、かくやというほどの。
 覚悟の炎であった。
「あ、それでさ。もし、もしよかったらなんだけど……ちょっとだけ、私のお願い聞いて欲しいな」
「え、あ。はい。なんですか?」
「卑怯なようだけど、これだけは何としても叶えて欲しいから。このお願い、聞いてくれれば、今後私は一切の秘密を守るわ。それでいい?」
「あ、はい……!」
 ぬえが緊張に身を強張らせる。
 今や幻想郷の中でも随一の影響力を誇るぬえに、最大のカードを切って、天子が頼んだのはなんであろう。
「霊夢をね、映画に連れてって欲しいの。できる?」
「……はい。必ず」
「じゃあ、契約成立ね」
 天子が手を差し出す。ぬえがこれを握り返した。
 二人が握手を交わすさまを、地上から見上げる者たちだけは、しかと見届けていた。


「それじゃ、戻ろっか」
「はい」
 天子が先導して、狭い張り出しの上を歩く。
 足場は相変わらず雪に覆われて不安定だ。慎重に進む。その、天子の歩みの先で――
 ――不意に、フラッシュが焚かれた。
「!!?」
 天子が一瞬怯み、そして足を踏み外す。射命丸 文が、カメラを構えているのが見えた。
「天子さん! 手を――」
「よせ、危ない」
 天子はもはや助からなかった。
 ぬえが手を伸ばす。だが、これを掴んだ瞬間、ぬえもまた落下の運命を免れえないことを、天子は自身の体にかかる重力加速度から察知していた。
 落下する。
 徐々に、ぬえの姿が遠ざかった。
 再び、文のカメラが瞬く。
 風が吹き、視界がまわり、何度か建物に叩きつけられて、そして、この日最大の風によって、天子の身体はあらぬ方向に吹き飛ばされた。
 落下地点は、はるかに遠く。
 探すものは誰一人として、たどり着くことはできなかった。


 翌日の朝、ぬえは天子の捜索に出る前にカメラの前に立った。
 そこでは、命蓮寺による失業者のための職業訓練施設と、仮宿舎の建設着工が公式に発表された。ぬえは天子の願いどおり、歩みを止めはしなかった。
 そしてまた、約束をも、忘れてはいなかった。

 一月後、ぬえは博麗神社を訪れ、霊夢を映画に誘った。
 霊夢はしかし、これを丁重に自体。ぬえはまた来る、と言って去っていった。だが、チケットだけは渡すことに成功していた。

「……天子の、ばかやろう」
 チケットを手にし、立ち尽くしたまま。霊夢はそう呟いた。
 
















 強風によってずいぶん流された天子は、妖怪の山のどこか、原生林の中に着地した。
 着地といっても、生易しいものではない。勢いのままゴロゴロと、斜面を12メートルばかりも登るような荒っぽい着陸であった。
「……痛ったぁい……」
 しばらく、そうして天子は横たわったまま夜空を見上げた。
 雪はやみ、静かな夜空が広がっている。
「…………」
 立ち上がる。いつまでも、こうしているわけにはいかない。
 歩き出した。その足には、靴がなかった。
「寒くないし……」
 風が吹いた。長い髪がばさばさと鳴った。
「辛くないし……」
 冷たく、硬い雪の上。裸足のままで、彼女は歩む。
 だが、心配には及ばない。
 天人は強いのだ。
「……平気だし」
 涙を、堪えられる程度には。
 
 上を向いて歩く彼女の視界には、満天の星空が広がっていたが、残念ながら、彼女には、にじんで見えはしなかった。
このSSは完全に自分のオリジナルであり、元ネタにした映画など存在するはずもありません。
ただし、いまの言葉を信じた人は、ダスティン・ホフマン主演の映画、『HERO』(邦題「靴をなくした天使」、92年 米)だけは、絶対に観ないでください。
天子ちゃん生きろ。
保冷材
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コメント



0.191400簡易評価
2.274636指導員削除
天子のキャラがよかった
3.274636ナルスフ削除
シャコwwww
天子ちゃん生きろ・・・。
4.274636指導員削除
すてきなお話ですね! あと、この作品とはなんら関係のない私事ではありますが突然靴をなくした天使という映画が観たくなったのでレンタルしてきます。