海色の空を見たことがあるだろうか?
例えば、絵の具を贅沢に塗りたくった蒼い、蒼い空。
見上げているのに吸い込まれて、落ちてしまいそうだと錯覚してしまうような、蒼天。
空色の海を見たことがあるだろうか?
流れるまま視線を降ろしていくと、目の前には空が広がっている。
いくら眼を凝らしてみても分からない。空と海の境界線。
静かに呼吸するせかいを眼で、耳で、全身で感じることができた。
おぼろげながら、まだ私は覚えている。
幼い頃、父の手を握りながら見つめたあの海を――。
◇ ◇ ◇
開け放たれた窓から潮の香りがする。私の髪を梳く風にも潮気が混じっている。
ガタゴトと旧式の列車は不器用な音を響かせてレールの上を走っていく。乗り心地が気持ちよすぎてウトウトしている私の耳に、もうおなじみになってしまった喧騒が聞こえてくる。
私、宇佐見蓮子率いる秘封倶楽部は今、
「うーみっは! ひろいーぜっ!! おっきぃぃぜー!! おおおおおぉぉ、海だ! 海だぁぁぁぁ!!!!」
「やっほー!」
「掛け声が違うわよ輝夜。それに魔理沙は少しはしゃぎすぎ」
「だって海だぜ? こんなにたくさん水があって、これがはしゃがずに居られるかって!」
「ひゃっほー!」
「ああ、無いのよね。幻想郷に海。道理で珍しいはずだわ。輝夜、その掛け声も違うわよ。ほら、蓮子も注意してよ。私一人で教育ママっぽくて恥ずかしいじゃないの、蓮子」
そう。私たちは今、海に来ている。
◇
「うみ?」
大学の図書館で知識の海に溺れていた私たちは外に出て僅か五分、門前で早くもギブアップ寸前だった。じっとりと汗ばむ外気、体感温度は42℃。異常気象というわけじゃない。現代の科学は既に天候を操作する域にまで達している。問題はその使い方だった。京の都では何故か懐古主義がブームを迎えている。懐かしき2020年頃の京都の天候。それが今日。ヒロシゲもそうだったけどどうやら人類は身に余る技術を手に入れてしまうと、とりあえずくだらないことに使ってみたくなるらしい。暑い時は暑く、寒い時は寒い。ごく当たり前のことなんだけど、ちょっとこれはいきすぎだわ。携帯電話を開いて確認すると来週は懐かしの天候シリーズ、台風。らしい。実に馬鹿げている。
ジリジリと真夏の太陽がアスファルトを焦がしている。体温よりも高い外気が僅か30メートル先を蜃気楼のように揺らしていた。隣にいるメリーもどこかぐんにゃりしているように見える。ぐんにゃりメリーさんは突然、うみと呟いたのだった。
「海。行きましょう」
「海だって!?」
舌を出してハッハッと熱を放出していた魔理沙がピクンと反応する。きっと猫や犬のような耳がついていれば面白いリアクションが見れたのに。なんてダメダメな思考をしているあたり、私もまだまだ捨てたものじゃない。魔理沙はメリーに買ってもらった携帯電話をパチリと閉じて、目を輝かせている。幻想郷の魔法使い、霧雨魔理沙。出会ってから一か月と経たないのにすっかりとこの世界に溶け込んでいた。ポニーテールと私のお下がりの組み合わせが憎たらしいくらいに似合っている。
「うみかぁ。懐かしいのかなぁ、私」
素っ頓狂な感想をぼやいているのは輝夜、記憶喪失少女。彼女が何気なく呟いた言葉が重たいことだって私たちは知っていた。私とメリーは、輝夜が記憶を取り戻せるなら、なんだってしてあげるつもりだった。自分たちにできる限りのことは。
「ん、知ってると思うぜ、お前は」
「行きたいな。私の知ってる海なのかどうか、知りたいわ」
海を覚えているかどうかも覚えていないらしい。というか覚えていないことを覚えてるなら覚えてないんじゃないかな、それって。
「賛成はメリーに、輝夜に、私に私。蓮子が反対だとしても4対1で大決定だぜ」
「両手を挙げないの、魔理沙」
行きたくないわけじゃない。こんなに暑い天気だもの、波しぶきを身体に浴びてはしゃぎたくもなるわ。
「私だって闇雲に行こうって誘ってるわけじゃないわ。ほら、見てよこれ」
「うにゅ?」
じゃじゃーんと取り出したのは一冊の古ぼけた本。懐古主義に目覚めたものがまず真似る時代。古き良き時代と呼ばれた、昭和という年代の本。図書館にあったヤツをメリーが無断拝借してきたのだろう。魔理沙が勝手に借りてきたのよ、なんて言ってるけど怪しすぎ。大体魔理沙は勝手に本を持ってくるような子じゃないし。
「目指せ一攫千金。掘り出せ徳川埋蔵金。って……トンデモ本じゃないのメリー」
「私や輝夜、魔理沙にとってはね」
「と、言いますと」
メリーは含み笑いをしながらページをめくっていく。そのたびに私の中の嫌な予感が高まっていく。
「山ばっかり掘ってるから見つからないのよね。発想の転換が必要なのよ。そして蓮子、貴女の瞳もね。ホラ、ここ」
「はぁ……やっぱりか」
開かれたページにデッカデカと掲載されているのは古文書の写真。この本よりも更に古い巻物を広げた図が載せられていた。わざわざ図解入りで埋蔵金の在り処を記したとされる古文書。勿論文字が読めるわけじゃない。暗号だらけで解読は不可能と記事には書いてあるんだけど、私にはそんなの関係なかった。正確な星空さえあれば、位置が分かってしまう。特別製の、瞳。
「メリー、正解よ。山じゃなくて海ねこれは」
「うふふ。思ったとおりね」
ぱぁぁ、と笑顔を綻ばせるメリー。大雑把な波を描いた絵。この本の発掘調査隊の糸井なんとかさんも山だと勘違いしていた。いくら山を掘ったって見つかるわけがなかった。だとするならば、この埋蔵金は未だに手付かずである可能性が高い。胸がトクン、と高鳴る。
「凄いな蓮子は。今度是非その力で幻想郷の宝を探し当ててもらいたいぜ」
「魔理沙。貴女私の瞳を勘違いしてない?」
千里眼じゃないっての。宝物が簡単に見つかるようなら苦労しないのよ。そんな能力があったら私が欲しいわよ。
「私はメリーの勘の鋭さが怖いわよ」
「ね。だから海に行きましょうよ」
「ツルハシもって?」
「そ。工事メット被って」
「そんなめんどくさいことしなくたって私の魔法でドーンだぜ」
「埋蔵金もろとも!?」
ようやくメリーが海に行きたいと言った理由がわかった。
「メリー。貴女時間軸無視してない?」
「してませんわ。セレブですもの」
過程をすっとばしていきなり結論を言うメリーのクセは中々治らない。セレブに何の因果関係があるのかはわからないのだけどね。海水浴が8割、ついでに秘封倶楽部の活動、結界暴き。あわよくば輝夜の記憶の手がかりに、埋蔵金もってところだろう。あれもこれも贅沢すぎるわよ、メリー。二兎を追う者はなんとやらにならなければいいけれど。
◇
下車して駅で切符を切ってもらう。懐古主義は田舎町にまで浸透している。それでも京都みたいに嫌気がささないのは人との触れ合いがあるからだろう。天然の熱気に汗だくになりながらも切符を切る駅員さんには感謝感謝。
改札を抜けるとすぐに外。列車の硬い椅子で強張った身体を解すために大きく伸びをする。
「蓮子。貴女パンツ穿いてる?」
メリーの言葉に私は凍りついた。何をいきなり言い出すかと思えばこの変態メリ子さん。私が穿いてるですって、下には水着を着ていたから穿いてるわけがないじゃないの。脱げばすぐに水泳モードのこの私に。久しぶりに身体を動かせると思って実は楽しみにしてたのでした。
「うん。合理的な蓮子ならきっと水着を着てきてるんじゃないかな~っと」
当たり前よ。メリーだって分かってるじゃない。
「帰りは?」
「……へ?」
魔理沙と輝夜がメリーの後ろで下着の入ったポーチをブラブラさせている。勿論彼女たちも下に水着を装着している。私のお下がり、懐かしき学生時代の水着だ。って……あ、あれ。私の分の下着は? 油が切れたブリキ人形みたいにギギギと首を軋ませて二人を睨みつける。
「私たちは自分の分しか持ってきてないんだぜ。持って来てないならあるわけないな」
「貸してあげても良いけど、蓮子のお尻じゃ入らないわよ?」
「ここに蓮子の下着があります」
「ちょ! なんでメリーが私のパンツ持ってるのよ!」
「いえ、ほら。……イザって時のために、ねぇ」
「広げるなー!」
メリーはうふうふ言いながら私のパンツを見せびらかしていた。いやちょっと、公衆の面前でこういう行為は謹んで欲しい。後方の駅員さんの視線が背中にチクリチクリ。本気で涙が出てきた。
◇
太陽が照り付け、アスファルトの先の景色をゆらゆらと躍らせている。海を一望できる坂道。視線をゆっくり降ろしいけば目指すビーチが遠くに見える。輝夜は目を細めて水平線の彼方を眺めていた。砂浜と同じくらい白く輝いて見えるワンピースに健康的な麦藁帽子。サワサワと海風が私たちを包んでいる。
物思いに耽る輝夜はまるでどこかの令嬢のよう。悔しいことにこの娘、実はメリーと同じくらい美人なのだ。おかげで大学では輝夜のファンクラブができているだとか、私が2人に手を出しただとか、色々と噂が絶えないのだった。更には最近、幼女を匿っているだなんて妖しい噂まで流れる始末。そんな流言に惑わされる私じゃないけど。
「……蓮子」
輝夜は海を見つめながら呟いた。
「私、やっぱり海を知ってたわ。懐かしい海の音、潮の匂い。いったい何処で知ったのかは……」
「無理することなんてないよ輝夜。少しずつ、思い出していけば良いんだから」
輝夜の記憶の中にある海と、目の前の海が同じものだと分かっただけでも収穫だった。少なくとも、輝夜が宇宙人ではないと証明されたのだから。メタンガスの雲や、石ころだらけの原っぱを海だと言うのなら、私たちは本気で輝夜の出自を疑わなければならなくなる。
「それにさ輝夜。今日は思い出を作りに来たのよ。魔理沙と輝夜に忘れられない楽しい思い出をさ。だから、楽しまなきゃ損よ」
色々理由をつけてもったいぶってここまで来てみたものの、私とメリーの気持ちは同じだった。純粋に、海を楽しみたい。時間が私たちをバラバラにしようが、運命が引き裂こうが、この瞬間だけは本物だから。いつか笑って語り合える思い出作り、なんていうと照れくさくてとても素直に言えないけれど。
輝夜が密かにつけている日記帳に、今日という思い出を刻めるように。
「蓮子……うん。そうね」
「おおい! 2人とも! 何やってんだそんなところで、はやくはやくー!!」
坂をパタパタと駆け下りて行く魔理沙が私たちに呼びかけている。はじめてみる海に大興奮のご様子。そりゃ、まぁ。気持ちは分からないでもないけれど。小さな子供のように大はしゃぎ。
「海は逃げないわよー、魔理沙ぁ!」
「いいや、逃げる! 旬は逃げる! 今この瞬間の海こそ旬なんだぜ!!」
やれやれと言った表情で輝夜が後を追う。
「うるさいわよアマチュア! 海に関しては初心者なんだから私たちの言うこと聞きなさいよ!!」
「お前だってほぼ初心者じゃないか!」
「うっさいわよ!」
見下ろす視界に一面の海、遥か彼方に見える入道雲。まさしく今、この瞬間は夏だった。
◇
浜辺に大きなビーチパラソルを突き立ててビニールシートを敷く。これでこの場所は私たち秘封倶楽部の陣地。と言っても、私たちを除いて人っ子一人いない砂浜で高らかに占有権を主張しても何の意味も無いんだけど。魔理沙と輝夜は仲良く準備体操をしている。侮ってはいけない準備体操。大事なのよね。メリーは日焼け止めクリームを前身に塗りながら私に話しかける。上、着けてないんだけど、裸で泳ぐ気じゃないでしょうね、このメリ子さんは。
「前お願い、蓮子」
「はいはい」
背中なら分かるけどどうして前を私が塗らなきゃならないわけ? メリーから受け取った日焼け止めクリームは夏の気温にすっかり茹ってしまっていた。
「蓮子に質問。財宝、と言えば?」
やや蒸気した顔で私に問いかけるメリー。
「今回に限って言えば大判小判かな。ああ、いや。金の含有率の低いものを埋めたって価値はたかが知れてるわね。だとするならば、純金、黄金が妥当かな」
「私もそう思うわ。金は下落しにくいものね。じゃあもう一つ質問。黄金、と言えば?」
「うーん。私が連想するのはリヒャルト・ワーグナーのラインの黄金ね。愛を捨てたものだけが手に入れることのできる黄金。ワーグナーのは作り物のお話だけど、元になった伝承は実在するのよね」
ローレライ伝説。岬の魔女。
「あら、蓮子にしてはずいぶんとロマンチックだこと」
「残念だけどメリー、私はこう見えても少女よ。メリーも少しは少女らしい恥じらいを覚えてよ」
「うふふ」
私の助けで全身を日焼け止めクリームでコーティングすることのできたメリーはサングラスをかけてビニールシートに寝そべる。メリーのそんな仕草が良いトコ育ちのお嬢様な雰囲気を醸し出しているのは充分承知なんだけど、でもちょっと何か勘違いしているセレブさんだった。
「蓮子、秘封倶楽部の活動はさ、やっぱり結界暴きなワケで」
「見えてるのねメリー」
「うん、あの岬」
メリーは寝そべったままサングラスをずらし、砂浜の先の岬を指差した。切り立った岸壁、打ち寄せる波の飛沫がここからでも見える。一見、何の変哲も無い岬。私の調べによると、転落事故が異常に多い名所。
「じゃあ、埋蔵金探しに行きましょうって言ったのも」
「そゆこと。本に写ってたのよ。まぁ、今は太陽の光が眩しいから輪郭しか見えないけれど。自殺の名所なのかしら? 何か他のものも見えるわ。そういえばこの砂浜、私たち以外居ないわね」
「わかってるクセに」
私たちが居るのは時折死体の流れ着くことで有名な砂浜。おかげさまでビーチには必須の海の家が一軒もないし、そもそも砂浜に入る時に有刺鉄線を潜るという素敵なイベントを通過していたのだった。
「夏の怪談を恐れるような私たちじゃ」
「無いわよね。くすっ。日が沈むまで思いっきり楽しみましょうよ、蓮子」
「うん、そうする」
楽しむと言った途端、メリーはぐーすかぴーと寝息を立てはじめた。これはこれで楽しんでいるのかもしれないけれど。波打ち際で座りこんでいる魔理沙と輝夜の元へ走るのだった。
◇
「お! おしりがっ! おい輝夜! お尻がぞわぞわくすぐったいぜ!?」
「ふふふ、こんなことで驚くなんてやっぱり魔理沙はアマチュアじゃないの」
「そういうお前もどうやらそろそろ我慢できないんじゃないか?」
「くっ。こんなことで音を上げる私じゃないわよ!」
私の目の前で謎の我慢大会が開催されている。返す波に運ばれる砂が2人のお尻をくすぐっていた。特に魔理沙にとっては初めての経験みたいで、時折妙に艶っぽい声をあげて顔を赤らめている。というか、ちょっと気持ち悪い。
「ねぇ、魔理沙、輝夜。何であなたたち、泳がないの?」
「「ぇ?」」
同時に振り返り、私を見上げる魔理沙と輝夜。何をいきなりルナティックなことを言ってるんだと魔理沙はぷんすか怒る。輝夜も怒る。聞けば既にチャレンジ済みだそうで、2人とも髪が水を吸ってしまってとてもじゃないけど泳ぐどころの話じゃなかったみたい。あれだけ長い髪にたっぷり海水が染み込めば重心を維持するのが難しいか。長い髪は憧れだけどこういう時大変なのよね。
「あははは。まぁ、水に顔つけられない輝夜よりはマシだったぜ」
「波が来るたびにうひゃあだとか変な奇声を上げる魔理沙よりはマシだったわよーだ」
「にゃにおう! 私は泳げないんじゃない。泳がないんだ」
浮き輪や水泳帽を持ってくればよかったなとちょっとだけ後悔。そうだ、持ってきたと言えば良い物があった。そのことを提案すると二人とも目を輝かせて話し始める。
「西瓜割りか」
「面白そうじゃない。私、魔理沙より先にスイカ割る自信あるわよ」
「ほーお。じゃあその自信を粉々にしてやるよ。萃香をブレイクするなんてわけないぜ」
「微妙にニュアンスが違くない?」
「気のせいじゃないか?」
「じゃあ決まりね。魔理沙は適当な木を探してきて、輝夜はメリーのところから新聞紙」
おぉ! と威勢の良い掛け声があがる。基本的にこの2人は仲がいいのよね。
◇
「で、櫂?」
「でかいんだぜ」
魔理沙が拾ってきたのは櫂だった。浜に打ち上げられていた小船の脇から拾ってきたのだと言う。櫂でスイカ割りなんてどこぞの剣豪じゃあるまいし。
「でも持ちやすいし、それで良いんじゃないの?」
輝夜が新聞紙を引きながらスイカを転がしている。
「まぁ、特に反論する理由は無いけれど」
「じゃあ、最初は私な! 残念だが輝夜、お前の出番は無いぜ」
「ふふっ、それはどうかしらね、魔理沙」
結果はとても残念なことになってしまった。輝夜と魔理沙は見たまま、少女分の運動神経しか有していなかった。スイカにすら苦戦する二人を見ていると、泳げたところであまり意味はなかったような気がする。輝夜にいたっては大きく振りかぶった瞬間に手からすっぽ抜ける始末。あはははと笑っていたら二人して頬を膨らませて、じゃあやってみろなんて言われてしまった。
魔理沙から櫂を受け取ると軽く素振りをする。手にしっくりとくる、懐かしい感触だ。
「なんか、蓮子の構えって本格的ね」
「そりゃまぁ、ちょっとは覚えがあるからね。これが正眼。で、こっちが八相、居合いはこうして構える」
基礎体力はどうしても必要なもの。こう見えても私はメリーと出会う前はスポーツ少女だったのだ。万能助っ人の宇佐見蓮子と言えば、学校で知らないものは居なかった。
「蓮子、ね。ちょっと貸して」
いざスイカにトドメを刺さんとする私を輝夜が止めた。
「良いけど?」
輝夜は私から櫂を受け取るとぐっと砂を踏みしめ、低い大勢を取る。
「もっと深く、確か、こんな、感じだったかな?」
「あははは、何それ輝夜。ちょっと下過ぎない?」
ちょっと齧ったことのある私の目から見ても輝夜の構えは実用的じゃなかった。どこの漫画で仕入れた知識なのか知らないけど、輝夜の筋力を考えるとあれでは最初の一歩を踏み出すことさえできない。真剣な表情で構える輝夜を見た魔理沙が呟いた。
「あってるよ。……驚いた。輝夜、それは魂魄流だ」
「魂魄……流?」
その名前は私の記憶に無かった。霧雨魔理沙が知っているという事実は、この世界では既に忘れられてしまった剣術だということを示している。きっと向こうでは、現役の魂魄流の使い手が居るに違いない。
「ああ。けど、私の知ってるのよりはもうちょっと、なんていうかな、言葉にしにくいけどどこか違うような」
「ねぇ、魔理沙。その、魂魄流を使う子も女の子なの?」
「そうだぜ」
「だったら輝夜、もう一歩……二歩ね。深く踏み込んで。そう、もっと下から」
「おぉ」
「真剣を扱うには最低限必要になる腕力、筋力。女性であること自体が既に不利な打ち合いには、爆発的な瞬発力や手数で補わないといけないのよ。理想は奇襲。けれど対面して構えを取るという時点でそれも叶わない。だったら、取る手段は自ずと限られてくる。人間の反応限界ギリギリの超低角度からの一太刀。得物さえしっかりしているなら、下段から真っ二つね」
さっきのはどちらかと言うと強引に、力任せに剣を振る構えだ。上段に構え、地面もろとも相手をバッサリと斬り捨てる。攻撃的ではあるが、男性の筋力を活かした構えといえる。だから勿論、相応の腕力、筋力が無いと踏み出すことはできない。だったら、全身をバネに使って跳ねるようにして斬りかかる。威力は封殺されるものの、これならば片手でも充分。できればもう一本、小太刀でも構えておきたい。
魔理沙はしきりに感心した様子で輝夜と私を交互に見つめていた。
「確かに妖夢の構えにそっくりだ。蓮子、お前凄いな」
「私を誰だと思ってるのよ。これでもスポーツ万能だったんだから。でも……この、魂魄流っていうのは身体の片面ががら空きね。隙が多すぎてとてもじゃないけれど実戦で使えないんじゃないかなぁ」
「ああ、半霊がその辺に浮かんでるんだ、妖夢のヤツは。弱点を補っているってことか」
「なるほどね、良く考えられている」
人間には真似することのできない流派、魂魄流。人間の輝夜が何で身体で覚えていたのかはわからない。思い出すことのできない記憶よりも、身体に染み付いた体験が、輝夜という少女の輪郭を少しずつ浮かび上がらせていくのが分かる。現代では結界に飛び込むことが禁止されているように、触れてはいけない禁忌に触れているのでは、という懸念もある。まぁ、いまさら、遅いのだけど。スイカにトドメを刺しつつ、私は輝夜の正体について考えるのだった。
◇
「ふぁ……おかえりなさい~」
「楽しかったー」
「お前は貝殻拾ってただけだろ?」
「魔理沙こそずっと波打ち際に座っていたじゃない」
「ただいま、はいメリー。スイカ」
「すいかぁ? 寝起きだとぽんぽん冷えちゃう。私弱いの知ってるくせに」
寝ぼけた顔で私たちを見つめるメリー。この短時間でご丁寧に芸術的な寝癖がついている。大きなあくびを一つ。それにつられてもう一つ、後ろで可愛らしいあくびが聞こえる。
「なんだか私も眠くなってきちゃった。メリー、隣良いか?」
「はいはい」
魔理沙はメリーの隣に寝転がるとウトウトと瞼を閉じる。
「で、成果はどうかしら、蓮子?」
「やっぱり海流がきついよ。これだけの荒波に曝されているとしたら、お目当ての財宝が無事とは思えないわね」
あの後一人で岬まで遠泳をしてきた。流れがきつくてとてもじゃないけれど海中になにかを隠せそうもない。
「まぁ、織り込み済みよね。蓮子、貴女が宝物を隠すなら海の底?」
「まさか!? 削られやすい海岸線、流れのある海の中に隠すほど愚かなことはないわ。そうね、隠すなら……」
数百年前と今の海岸線は違う。私だったらそんな目印の乏しい場所に宝物を隠そうとは思わない。
「木を隠すなら森の中、館を隠すなら霧の中。里を隠すなら……歴史の中ね」
メリーはメリーでブツブツと呟いている。記録に残さなければ――つまりは歴史に残さなければ数百年経った後、その里は無かったことになる。今回の埋蔵金は古文書という形でしっかりと残されている。……改竄されていなければ。
輝夜が私たちをニヤニヤした表情で見つめていた。
「意図的に改竄されたのなら、目印はフェイク。だけど……出鱈目な星空なんて、この世界の何処にも存在しないわ」
「結界の渦巻く不思議な土地。霊的な力で財宝を護ろうとしていたのであれば、間違いではないわね」
「確かにあの古文書の星空は数百年前のこの場所ね。間違いなく」
「場所は真実を告げている、というわけね。……気になるものはあの岬くらいかしら」
「星空を展望できた高台。確かに岬なら御誂え向きね」
私たちが目をつけた岬、飛び降り自殺の名所。異常なまでに回数の多い危険な場所。自殺ではなく、不慮の事故だとしたら。
数百年の侵食にも耐える、断崖絶壁。少しずつ削られても尚、財宝の煌きを隠すことのできる深淵。
私とメリー、思考ロジックは全くの別モノなのに結論は一点に収束される。
「変化の無い、絶対の安全が保障されている結界」
秘にして封じられし事象を暴く、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの瞳。
「波で浸食されない。つまり、波の届かない座標」
この世界で、私たち秘封倶楽部に解けない謎なんて、
「「洞窟、ね」」
無い。
気がつけば輝夜が笑い転げている。
「やっぱり貴女たちは面白いわね。別々のこと言ってるのに結局同じ答えに辿りつくのね!」
◇
猫のようにうずくまり、幸せそうな寝息を立てて魔理沙が眠っている。あまりにも幸せそうなのでついつい邪魔したくなっちゃうほど。そんなに空気を読まない私じゃないんだけどね。海を見てはしゃぐ魔理沙は嬉しそうだったな。海を見て、楽しそうで。それでも、魔理沙がぽつりと呟いた言葉を覚えている。彼女は確かに、霊夢が見たら、なんて言っていた。
「ねぇ。メリー、輝夜」
私は思いついたことをそっと2人に打ち明けた。
◇
太陽が海の向こうに沈んでいく。少しだけ早い、秘封倶楽部の活動の時間。ギラギラと照り付ける光がないと夜の海というものは黒く、恐ろしい。巨大な何かがうねり、叫び、今にも私たちを飲み込まんとしている。おあいにくさま、私たち秘封倶楽部は夜の闇でこそ輝きを増す。世界の真理よりも正確な情報を与えてくれる星空。私の瞳が、位置と時間を捉える。メリーの瞳が世界の隙間、結界をより強く、鮮明に映し出す。常闇こそ私たちの得意とする世界だった。
「いくわよ、メリー、輝夜、魔理沙。今夜の秘封倶楽部の活動は岬の洞窟に眠る黄金、もとい財宝! ローレライもなんのその!」
「ローレライか、思い出すなぁ」
「幻想郷に居るの? ローレライ」
輝夜が眼を輝かせながら魔理沙にたずねる。
「ああ、居る。とびきりうまいヤツが」
「うまいって……声、唄?」
「いんや、料理。八目鰻の蒲焼が滅茶苦茶美味いんだ」
「ず、ずいぶんと日本的ね」
魔理沙の一言でローレライの魔女のイメージが屋台のおばちゃんに大暴落だわ。幻想郷に行けたら是非見てみたいものね。そんな他愛ない会話を繰り返しながらザクザクと砂浜を歩く。やがてザクザクとした音がしなくなり、足元が岩場に変わる。
「気を付けて歩いてね。目的地はもう少し先だから」
「あれ……?」
メリーが立ち止まる。今更怖気づいたわけではない。
「ん?」
「ねぇ蓮子。私ね、ずっと落ち武者かなんかだと思ってたけど、どうも違うみたい」
メリーの視線は岬の上を泳いでいる。私は護身用にもってきた櫂を握りしめた。メリーが視ているのが人ならざるものならこれでも正直不安なのだけど。
「んー……あっ。そういうことか、ということはつまり……」
「ちょっとちょっとメリー。一人で結論に辿りつかないでよ」
「あ、ごめんなさい。でもね、行けばわかると思う」
岬の洞窟は崖の中腹にある。財宝を隠してくださいと言わんばかりの場所だった。
「魔理沙、お願い」
私から櫂を受け取ると魔理沙が跨りふわりと浮かぶ。続いて魔理沙の後ろに私が乗る。
「三人以上は勘弁な、重い」
「じゃあ私と魔理沙の二人で行ってくるから、メリーと輝夜は待っててね」
「残念ね、色々と」
がっかりするメリー。
「蓮子、魔理沙、気をつけてね」
対照的な輝夜。よし、これからは輝夜に先に声をかけよう。なんてね。
「じゃいくぜ」
魔理沙と私を乗せた櫂はゆっくりと洞窟の入り口へ辿りつく。流石に長年人が入った形跡がないみたいで、獣臭い。
「これは……」
メリーの言っていたことはすぐにわかった。高さ三メートル、幅二メートル、奥行きは10メートルもない。外からは分からなかった事実だ。
「行き止まり、だな。まさかこんなに早く詰まるなんてな」
「きっと隠し通路かなにかがあるんじゃない、探しましょ」
いや、だってメリーがここの上で何かを視たってことは、何もないってことは無いはず。いざとなれば魔理沙の魔法でドーンとやれば見つかるかもしれない。
「あ」
「どうしたの魔理沙」
「探すのはやめだ。蓮子」
魔理沙は何か小さなものを拾い上げた。
「ひょっとして何か見つけたの?」
「……蓮子。外の世界でも珍しいものは珍しいんだよな?」
「ものにもよるけど……」
「だったら、見つけた」
魔理沙は櫂にまたがって浮かぶ。そうして洞窟の天井近くでしばらく静止すると、私の眼の前に降りてきた。
「暗くてわからないか、これならどうだ?」
魔理沙は八卦炉に魔力を込めると少しだけ火を灯す。ランタンのように光る八卦炉が照らし出した天上には一面の、
「燕の巣……!?」
「そういうことだぜ。こっちでも燕の巣は珍味なんだろ。幻想郷じゃ紫のヤツが気まぐれに持ってくるくらいしか供給がないからな。天然の養殖場ってコトなんだろうな」
「っていうか、食べられるの……?」
「うん……?」
古い文献では見たことがある気がする。少なくとも現代の私達が食用にするって話は聞いたことが無い。魔理沙は地面に落ちてしまった雛に気がつき、拾い上げたのだった。
「ここは、このままにしておくのがよさそうよね」
「だなぁ。蓮子も知らないんじゃ流石にこりゃ売れそうにもない」
私と魔理沙は鳥の楽園を荒らさないようにその場を後にした。
◇
帰り道、朝焼けに染まる中、列車に揺られて私たちは力尽きる。サークル活動としては落第点。財宝発掘としても落第点。骨折り損っていう言葉がなによりも今の私たちにふさわしい。私の肩にもたれかかって眠る魔理沙の頭を撫でながらメリーと反省会をする。
「ん。やっぱりね。視えてたのは鳥の怨念みたいな霊体だったからね」
「だったらはじめっから言ってくれればいいのに」
「いや、だって。行く前からがっかりさせちゃって、もしホントに財宝があったら大損じゃないの」
「まったく……メリーはそういうところ、ちゃっかりしてるわよ」
「でも楽しかったでしょう?」
「そりゃ、まぁ」
メリーはメリーで眠る輝夜の頭を撫でている。輝夜の失われた記憶について、少しでも手がかりがつかめればと思ったのだけど、こっちもあまり進展がなかった。それでもいつかは、輝夜が自分の記憶を思い出してくれるように願うのだ。例えそれが悲しく、辛い記憶だったとしても。大丈夫、輝夜にはわたしたちが居る。どんなことだって乗り越えられる。……は、ちょっと言い過ぎだったかしら。まぁ、そういうことにしておきましょ。
今日の収穫。
満点の夏の思い出。
「ところでメリー。私の下着は?」
「知りませんわ」
-終-
例えば、絵の具を贅沢に塗りたくった蒼い、蒼い空。
見上げているのに吸い込まれて、落ちてしまいそうだと錯覚してしまうような、蒼天。
空色の海を見たことがあるだろうか?
流れるまま視線を降ろしていくと、目の前には空が広がっている。
いくら眼を凝らしてみても分からない。空と海の境界線。
静かに呼吸するせかいを眼で、耳で、全身で感じることができた。
おぼろげながら、まだ私は覚えている。
幼い頃、父の手を握りながら見つめたあの海を――。
◇ ◇ ◇
開け放たれた窓から潮の香りがする。私の髪を梳く風にも潮気が混じっている。
ガタゴトと旧式の列車は不器用な音を響かせてレールの上を走っていく。乗り心地が気持ちよすぎてウトウトしている私の耳に、もうおなじみになってしまった喧騒が聞こえてくる。
私、宇佐見蓮子率いる秘封倶楽部は今、
「うーみっは! ひろいーぜっ!! おっきぃぃぜー!! おおおおおぉぉ、海だ! 海だぁぁぁぁ!!!!」
「やっほー!」
「掛け声が違うわよ輝夜。それに魔理沙は少しはしゃぎすぎ」
「だって海だぜ? こんなにたくさん水があって、これがはしゃがずに居られるかって!」
「ひゃっほー!」
「ああ、無いのよね。幻想郷に海。道理で珍しいはずだわ。輝夜、その掛け声も違うわよ。ほら、蓮子も注意してよ。私一人で教育ママっぽくて恥ずかしいじゃないの、蓮子」
そう。私たちは今、海に来ている。
◇
「うみ?」
大学の図書館で知識の海に溺れていた私たちは外に出て僅か五分、門前で早くもギブアップ寸前だった。じっとりと汗ばむ外気、体感温度は42℃。異常気象というわけじゃない。現代の科学は既に天候を操作する域にまで達している。問題はその使い方だった。京の都では何故か懐古主義がブームを迎えている。懐かしき2020年頃の京都の天候。それが今日。ヒロシゲもそうだったけどどうやら人類は身に余る技術を手に入れてしまうと、とりあえずくだらないことに使ってみたくなるらしい。暑い時は暑く、寒い時は寒い。ごく当たり前のことなんだけど、ちょっとこれはいきすぎだわ。携帯電話を開いて確認すると来週は懐かしの天候シリーズ、台風。らしい。実に馬鹿げている。
ジリジリと真夏の太陽がアスファルトを焦がしている。体温よりも高い外気が僅か30メートル先を蜃気楼のように揺らしていた。隣にいるメリーもどこかぐんにゃりしているように見える。ぐんにゃりメリーさんは突然、うみと呟いたのだった。
「海。行きましょう」
「海だって!?」
舌を出してハッハッと熱を放出していた魔理沙がピクンと反応する。きっと猫や犬のような耳がついていれば面白いリアクションが見れたのに。なんてダメダメな思考をしているあたり、私もまだまだ捨てたものじゃない。魔理沙はメリーに買ってもらった携帯電話をパチリと閉じて、目を輝かせている。幻想郷の魔法使い、霧雨魔理沙。出会ってから一か月と経たないのにすっかりとこの世界に溶け込んでいた。ポニーテールと私のお下がりの組み合わせが憎たらしいくらいに似合っている。
「うみかぁ。懐かしいのかなぁ、私」
素っ頓狂な感想をぼやいているのは輝夜、記憶喪失少女。彼女が何気なく呟いた言葉が重たいことだって私たちは知っていた。私とメリーは、輝夜が記憶を取り戻せるなら、なんだってしてあげるつもりだった。自分たちにできる限りのことは。
「ん、知ってると思うぜ、お前は」
「行きたいな。私の知ってる海なのかどうか、知りたいわ」
海を覚えているかどうかも覚えていないらしい。というか覚えていないことを覚えてるなら覚えてないんじゃないかな、それって。
「賛成はメリーに、輝夜に、私に私。蓮子が反対だとしても4対1で大決定だぜ」
「両手を挙げないの、魔理沙」
行きたくないわけじゃない。こんなに暑い天気だもの、波しぶきを身体に浴びてはしゃぎたくもなるわ。
「私だって闇雲に行こうって誘ってるわけじゃないわ。ほら、見てよこれ」
「うにゅ?」
じゃじゃーんと取り出したのは一冊の古ぼけた本。懐古主義に目覚めたものがまず真似る時代。古き良き時代と呼ばれた、昭和という年代の本。図書館にあったヤツをメリーが無断拝借してきたのだろう。魔理沙が勝手に借りてきたのよ、なんて言ってるけど怪しすぎ。大体魔理沙は勝手に本を持ってくるような子じゃないし。
「目指せ一攫千金。掘り出せ徳川埋蔵金。って……トンデモ本じゃないのメリー」
「私や輝夜、魔理沙にとってはね」
「と、言いますと」
メリーは含み笑いをしながらページをめくっていく。そのたびに私の中の嫌な予感が高まっていく。
「山ばっかり掘ってるから見つからないのよね。発想の転換が必要なのよ。そして蓮子、貴女の瞳もね。ホラ、ここ」
「はぁ……やっぱりか」
開かれたページにデッカデカと掲載されているのは古文書の写真。この本よりも更に古い巻物を広げた図が載せられていた。わざわざ図解入りで埋蔵金の在り処を記したとされる古文書。勿論文字が読めるわけじゃない。暗号だらけで解読は不可能と記事には書いてあるんだけど、私にはそんなの関係なかった。正確な星空さえあれば、位置が分かってしまう。特別製の、瞳。
「メリー、正解よ。山じゃなくて海ねこれは」
「うふふ。思ったとおりね」
ぱぁぁ、と笑顔を綻ばせるメリー。大雑把な波を描いた絵。この本の発掘調査隊の糸井なんとかさんも山だと勘違いしていた。いくら山を掘ったって見つかるわけがなかった。だとするならば、この埋蔵金は未だに手付かずである可能性が高い。胸がトクン、と高鳴る。
「凄いな蓮子は。今度是非その力で幻想郷の宝を探し当ててもらいたいぜ」
「魔理沙。貴女私の瞳を勘違いしてない?」
千里眼じゃないっての。宝物が簡単に見つかるようなら苦労しないのよ。そんな能力があったら私が欲しいわよ。
「私はメリーの勘の鋭さが怖いわよ」
「ね。だから海に行きましょうよ」
「ツルハシもって?」
「そ。工事メット被って」
「そんなめんどくさいことしなくたって私の魔法でドーンだぜ」
「埋蔵金もろとも!?」
ようやくメリーが海に行きたいと言った理由がわかった。
「メリー。貴女時間軸無視してない?」
「してませんわ。セレブですもの」
過程をすっとばしていきなり結論を言うメリーのクセは中々治らない。セレブに何の因果関係があるのかはわからないのだけどね。海水浴が8割、ついでに秘封倶楽部の活動、結界暴き。あわよくば輝夜の記憶の手がかりに、埋蔵金もってところだろう。あれもこれも贅沢すぎるわよ、メリー。二兎を追う者はなんとやらにならなければいいけれど。
◇
下車して駅で切符を切ってもらう。懐古主義は田舎町にまで浸透している。それでも京都みたいに嫌気がささないのは人との触れ合いがあるからだろう。天然の熱気に汗だくになりながらも切符を切る駅員さんには感謝感謝。
改札を抜けるとすぐに外。列車の硬い椅子で強張った身体を解すために大きく伸びをする。
「蓮子。貴女パンツ穿いてる?」
メリーの言葉に私は凍りついた。何をいきなり言い出すかと思えばこの変態メリ子さん。私が穿いてるですって、下には水着を着ていたから穿いてるわけがないじゃないの。脱げばすぐに水泳モードのこの私に。久しぶりに身体を動かせると思って実は楽しみにしてたのでした。
「うん。合理的な蓮子ならきっと水着を着てきてるんじゃないかな~っと」
当たり前よ。メリーだって分かってるじゃない。
「帰りは?」
「……へ?」
魔理沙と輝夜がメリーの後ろで下着の入ったポーチをブラブラさせている。勿論彼女たちも下に水着を装着している。私のお下がり、懐かしき学生時代の水着だ。って……あ、あれ。私の分の下着は? 油が切れたブリキ人形みたいにギギギと首を軋ませて二人を睨みつける。
「私たちは自分の分しか持ってきてないんだぜ。持って来てないならあるわけないな」
「貸してあげても良いけど、蓮子のお尻じゃ入らないわよ?」
「ここに蓮子の下着があります」
「ちょ! なんでメリーが私のパンツ持ってるのよ!」
「いえ、ほら。……イザって時のために、ねぇ」
「広げるなー!」
メリーはうふうふ言いながら私のパンツを見せびらかしていた。いやちょっと、公衆の面前でこういう行為は謹んで欲しい。後方の駅員さんの視線が背中にチクリチクリ。本気で涙が出てきた。
◇
太陽が照り付け、アスファルトの先の景色をゆらゆらと躍らせている。海を一望できる坂道。視線をゆっくり降ろしいけば目指すビーチが遠くに見える。輝夜は目を細めて水平線の彼方を眺めていた。砂浜と同じくらい白く輝いて見えるワンピースに健康的な麦藁帽子。サワサワと海風が私たちを包んでいる。
物思いに耽る輝夜はまるでどこかの令嬢のよう。悔しいことにこの娘、実はメリーと同じくらい美人なのだ。おかげで大学では輝夜のファンクラブができているだとか、私が2人に手を出しただとか、色々と噂が絶えないのだった。更には最近、幼女を匿っているだなんて妖しい噂まで流れる始末。そんな流言に惑わされる私じゃないけど。
「……蓮子」
輝夜は海を見つめながら呟いた。
「私、やっぱり海を知ってたわ。懐かしい海の音、潮の匂い。いったい何処で知ったのかは……」
「無理することなんてないよ輝夜。少しずつ、思い出していけば良いんだから」
輝夜の記憶の中にある海と、目の前の海が同じものだと分かっただけでも収穫だった。少なくとも、輝夜が宇宙人ではないと証明されたのだから。メタンガスの雲や、石ころだらけの原っぱを海だと言うのなら、私たちは本気で輝夜の出自を疑わなければならなくなる。
「それにさ輝夜。今日は思い出を作りに来たのよ。魔理沙と輝夜に忘れられない楽しい思い出をさ。だから、楽しまなきゃ損よ」
色々理由をつけてもったいぶってここまで来てみたものの、私とメリーの気持ちは同じだった。純粋に、海を楽しみたい。時間が私たちをバラバラにしようが、運命が引き裂こうが、この瞬間だけは本物だから。いつか笑って語り合える思い出作り、なんていうと照れくさくてとても素直に言えないけれど。
輝夜が密かにつけている日記帳に、今日という思い出を刻めるように。
「蓮子……うん。そうね」
「おおい! 2人とも! 何やってんだそんなところで、はやくはやくー!!」
坂をパタパタと駆け下りて行く魔理沙が私たちに呼びかけている。はじめてみる海に大興奮のご様子。そりゃ、まぁ。気持ちは分からないでもないけれど。小さな子供のように大はしゃぎ。
「海は逃げないわよー、魔理沙ぁ!」
「いいや、逃げる! 旬は逃げる! 今この瞬間の海こそ旬なんだぜ!!」
やれやれと言った表情で輝夜が後を追う。
「うるさいわよアマチュア! 海に関しては初心者なんだから私たちの言うこと聞きなさいよ!!」
「お前だってほぼ初心者じゃないか!」
「うっさいわよ!」
見下ろす視界に一面の海、遥か彼方に見える入道雲。まさしく今、この瞬間は夏だった。
◇
浜辺に大きなビーチパラソルを突き立ててビニールシートを敷く。これでこの場所は私たち秘封倶楽部の陣地。と言っても、私たちを除いて人っ子一人いない砂浜で高らかに占有権を主張しても何の意味も無いんだけど。魔理沙と輝夜は仲良く準備体操をしている。侮ってはいけない準備体操。大事なのよね。メリーは日焼け止めクリームを前身に塗りながら私に話しかける。上、着けてないんだけど、裸で泳ぐ気じゃないでしょうね、このメリ子さんは。
「前お願い、蓮子」
「はいはい」
背中なら分かるけどどうして前を私が塗らなきゃならないわけ? メリーから受け取った日焼け止めクリームは夏の気温にすっかり茹ってしまっていた。
「蓮子に質問。財宝、と言えば?」
やや蒸気した顔で私に問いかけるメリー。
「今回に限って言えば大判小判かな。ああ、いや。金の含有率の低いものを埋めたって価値はたかが知れてるわね。だとするならば、純金、黄金が妥当かな」
「私もそう思うわ。金は下落しにくいものね。じゃあもう一つ質問。黄金、と言えば?」
「うーん。私が連想するのはリヒャルト・ワーグナーのラインの黄金ね。愛を捨てたものだけが手に入れることのできる黄金。ワーグナーのは作り物のお話だけど、元になった伝承は実在するのよね」
ローレライ伝説。岬の魔女。
「あら、蓮子にしてはずいぶんとロマンチックだこと」
「残念だけどメリー、私はこう見えても少女よ。メリーも少しは少女らしい恥じらいを覚えてよ」
「うふふ」
私の助けで全身を日焼け止めクリームでコーティングすることのできたメリーはサングラスをかけてビニールシートに寝そべる。メリーのそんな仕草が良いトコ育ちのお嬢様な雰囲気を醸し出しているのは充分承知なんだけど、でもちょっと何か勘違いしているセレブさんだった。
「蓮子、秘封倶楽部の活動はさ、やっぱり結界暴きなワケで」
「見えてるのねメリー」
「うん、あの岬」
メリーは寝そべったままサングラスをずらし、砂浜の先の岬を指差した。切り立った岸壁、打ち寄せる波の飛沫がここからでも見える。一見、何の変哲も無い岬。私の調べによると、転落事故が異常に多い名所。
「じゃあ、埋蔵金探しに行きましょうって言ったのも」
「そゆこと。本に写ってたのよ。まぁ、今は太陽の光が眩しいから輪郭しか見えないけれど。自殺の名所なのかしら? 何か他のものも見えるわ。そういえばこの砂浜、私たち以外居ないわね」
「わかってるクセに」
私たちが居るのは時折死体の流れ着くことで有名な砂浜。おかげさまでビーチには必須の海の家が一軒もないし、そもそも砂浜に入る時に有刺鉄線を潜るという素敵なイベントを通過していたのだった。
「夏の怪談を恐れるような私たちじゃ」
「無いわよね。くすっ。日が沈むまで思いっきり楽しみましょうよ、蓮子」
「うん、そうする」
楽しむと言った途端、メリーはぐーすかぴーと寝息を立てはじめた。これはこれで楽しんでいるのかもしれないけれど。波打ち際で座りこんでいる魔理沙と輝夜の元へ走るのだった。
◇
「お! おしりがっ! おい輝夜! お尻がぞわぞわくすぐったいぜ!?」
「ふふふ、こんなことで驚くなんてやっぱり魔理沙はアマチュアじゃないの」
「そういうお前もどうやらそろそろ我慢できないんじゃないか?」
「くっ。こんなことで音を上げる私じゃないわよ!」
私の目の前で謎の我慢大会が開催されている。返す波に運ばれる砂が2人のお尻をくすぐっていた。特に魔理沙にとっては初めての経験みたいで、時折妙に艶っぽい声をあげて顔を赤らめている。というか、ちょっと気持ち悪い。
「ねぇ、魔理沙、輝夜。何であなたたち、泳がないの?」
「「ぇ?」」
同時に振り返り、私を見上げる魔理沙と輝夜。何をいきなりルナティックなことを言ってるんだと魔理沙はぷんすか怒る。輝夜も怒る。聞けば既にチャレンジ済みだそうで、2人とも髪が水を吸ってしまってとてもじゃないけど泳ぐどころの話じゃなかったみたい。あれだけ長い髪にたっぷり海水が染み込めば重心を維持するのが難しいか。長い髪は憧れだけどこういう時大変なのよね。
「あははは。まぁ、水に顔つけられない輝夜よりはマシだったぜ」
「波が来るたびにうひゃあだとか変な奇声を上げる魔理沙よりはマシだったわよーだ」
「にゃにおう! 私は泳げないんじゃない。泳がないんだ」
浮き輪や水泳帽を持ってくればよかったなとちょっとだけ後悔。そうだ、持ってきたと言えば良い物があった。そのことを提案すると二人とも目を輝かせて話し始める。
「西瓜割りか」
「面白そうじゃない。私、魔理沙より先にスイカ割る自信あるわよ」
「ほーお。じゃあその自信を粉々にしてやるよ。萃香をブレイクするなんてわけないぜ」
「微妙にニュアンスが違くない?」
「気のせいじゃないか?」
「じゃあ決まりね。魔理沙は適当な木を探してきて、輝夜はメリーのところから新聞紙」
おぉ! と威勢の良い掛け声があがる。基本的にこの2人は仲がいいのよね。
◇
「で、櫂?」
「でかいんだぜ」
魔理沙が拾ってきたのは櫂だった。浜に打ち上げられていた小船の脇から拾ってきたのだと言う。櫂でスイカ割りなんてどこぞの剣豪じゃあるまいし。
「でも持ちやすいし、それで良いんじゃないの?」
輝夜が新聞紙を引きながらスイカを転がしている。
「まぁ、特に反論する理由は無いけれど」
「じゃあ、最初は私な! 残念だが輝夜、お前の出番は無いぜ」
「ふふっ、それはどうかしらね、魔理沙」
結果はとても残念なことになってしまった。輝夜と魔理沙は見たまま、少女分の運動神経しか有していなかった。スイカにすら苦戦する二人を見ていると、泳げたところであまり意味はなかったような気がする。輝夜にいたっては大きく振りかぶった瞬間に手からすっぽ抜ける始末。あはははと笑っていたら二人して頬を膨らませて、じゃあやってみろなんて言われてしまった。
魔理沙から櫂を受け取ると軽く素振りをする。手にしっくりとくる、懐かしい感触だ。
「なんか、蓮子の構えって本格的ね」
「そりゃまぁ、ちょっとは覚えがあるからね。これが正眼。で、こっちが八相、居合いはこうして構える」
基礎体力はどうしても必要なもの。こう見えても私はメリーと出会う前はスポーツ少女だったのだ。万能助っ人の宇佐見蓮子と言えば、学校で知らないものは居なかった。
「蓮子、ね。ちょっと貸して」
いざスイカにトドメを刺さんとする私を輝夜が止めた。
「良いけど?」
輝夜は私から櫂を受け取るとぐっと砂を踏みしめ、低い大勢を取る。
「もっと深く、確か、こんな、感じだったかな?」
「あははは、何それ輝夜。ちょっと下過ぎない?」
ちょっと齧ったことのある私の目から見ても輝夜の構えは実用的じゃなかった。どこの漫画で仕入れた知識なのか知らないけど、輝夜の筋力を考えるとあれでは最初の一歩を踏み出すことさえできない。真剣な表情で構える輝夜を見た魔理沙が呟いた。
「あってるよ。……驚いた。輝夜、それは魂魄流だ」
「魂魄……流?」
その名前は私の記憶に無かった。霧雨魔理沙が知っているという事実は、この世界では既に忘れられてしまった剣術だということを示している。きっと向こうでは、現役の魂魄流の使い手が居るに違いない。
「ああ。けど、私の知ってるのよりはもうちょっと、なんていうかな、言葉にしにくいけどどこか違うような」
「ねぇ、魔理沙。その、魂魄流を使う子も女の子なの?」
「そうだぜ」
「だったら輝夜、もう一歩……二歩ね。深く踏み込んで。そう、もっと下から」
「おぉ」
「真剣を扱うには最低限必要になる腕力、筋力。女性であること自体が既に不利な打ち合いには、爆発的な瞬発力や手数で補わないといけないのよ。理想は奇襲。けれど対面して構えを取るという時点でそれも叶わない。だったら、取る手段は自ずと限られてくる。人間の反応限界ギリギリの超低角度からの一太刀。得物さえしっかりしているなら、下段から真っ二つね」
さっきのはどちらかと言うと強引に、力任せに剣を振る構えだ。上段に構え、地面もろとも相手をバッサリと斬り捨てる。攻撃的ではあるが、男性の筋力を活かした構えといえる。だから勿論、相応の腕力、筋力が無いと踏み出すことはできない。だったら、全身をバネに使って跳ねるようにして斬りかかる。威力は封殺されるものの、これならば片手でも充分。できればもう一本、小太刀でも構えておきたい。
魔理沙はしきりに感心した様子で輝夜と私を交互に見つめていた。
「確かに妖夢の構えにそっくりだ。蓮子、お前凄いな」
「私を誰だと思ってるのよ。これでもスポーツ万能だったんだから。でも……この、魂魄流っていうのは身体の片面ががら空きね。隙が多すぎてとてもじゃないけれど実戦で使えないんじゃないかなぁ」
「ああ、半霊がその辺に浮かんでるんだ、妖夢のヤツは。弱点を補っているってことか」
「なるほどね、良く考えられている」
人間には真似することのできない流派、魂魄流。人間の輝夜が何で身体で覚えていたのかはわからない。思い出すことのできない記憶よりも、身体に染み付いた体験が、輝夜という少女の輪郭を少しずつ浮かび上がらせていくのが分かる。現代では結界に飛び込むことが禁止されているように、触れてはいけない禁忌に触れているのでは、という懸念もある。まぁ、いまさら、遅いのだけど。スイカにトドメを刺しつつ、私は輝夜の正体について考えるのだった。
◇
「ふぁ……おかえりなさい~」
「楽しかったー」
「お前は貝殻拾ってただけだろ?」
「魔理沙こそずっと波打ち際に座っていたじゃない」
「ただいま、はいメリー。スイカ」
「すいかぁ? 寝起きだとぽんぽん冷えちゃう。私弱いの知ってるくせに」
寝ぼけた顔で私たちを見つめるメリー。この短時間でご丁寧に芸術的な寝癖がついている。大きなあくびを一つ。それにつられてもう一つ、後ろで可愛らしいあくびが聞こえる。
「なんだか私も眠くなってきちゃった。メリー、隣良いか?」
「はいはい」
魔理沙はメリーの隣に寝転がるとウトウトと瞼を閉じる。
「で、成果はどうかしら、蓮子?」
「やっぱり海流がきついよ。これだけの荒波に曝されているとしたら、お目当ての財宝が無事とは思えないわね」
あの後一人で岬まで遠泳をしてきた。流れがきつくてとてもじゃないけれど海中になにかを隠せそうもない。
「まぁ、織り込み済みよね。蓮子、貴女が宝物を隠すなら海の底?」
「まさか!? 削られやすい海岸線、流れのある海の中に隠すほど愚かなことはないわ。そうね、隠すなら……」
数百年前と今の海岸線は違う。私だったらそんな目印の乏しい場所に宝物を隠そうとは思わない。
「木を隠すなら森の中、館を隠すなら霧の中。里を隠すなら……歴史の中ね」
メリーはメリーでブツブツと呟いている。記録に残さなければ――つまりは歴史に残さなければ数百年経った後、その里は無かったことになる。今回の埋蔵金は古文書という形でしっかりと残されている。……改竄されていなければ。
輝夜が私たちをニヤニヤした表情で見つめていた。
「意図的に改竄されたのなら、目印はフェイク。だけど……出鱈目な星空なんて、この世界の何処にも存在しないわ」
「結界の渦巻く不思議な土地。霊的な力で財宝を護ろうとしていたのであれば、間違いではないわね」
「確かにあの古文書の星空は数百年前のこの場所ね。間違いなく」
「場所は真実を告げている、というわけね。……気になるものはあの岬くらいかしら」
「星空を展望できた高台。確かに岬なら御誂え向きね」
私たちが目をつけた岬、飛び降り自殺の名所。異常なまでに回数の多い危険な場所。自殺ではなく、不慮の事故だとしたら。
数百年の侵食にも耐える、断崖絶壁。少しずつ削られても尚、財宝の煌きを隠すことのできる深淵。
私とメリー、思考ロジックは全くの別モノなのに結論は一点に収束される。
「変化の無い、絶対の安全が保障されている結界」
秘にして封じられし事象を暴く、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの瞳。
「波で浸食されない。つまり、波の届かない座標」
この世界で、私たち秘封倶楽部に解けない謎なんて、
「「洞窟、ね」」
無い。
気がつけば輝夜が笑い転げている。
「やっぱり貴女たちは面白いわね。別々のこと言ってるのに結局同じ答えに辿りつくのね!」
◇
猫のようにうずくまり、幸せそうな寝息を立てて魔理沙が眠っている。あまりにも幸せそうなのでついつい邪魔したくなっちゃうほど。そんなに空気を読まない私じゃないんだけどね。海を見てはしゃぐ魔理沙は嬉しそうだったな。海を見て、楽しそうで。それでも、魔理沙がぽつりと呟いた言葉を覚えている。彼女は確かに、霊夢が見たら、なんて言っていた。
「ねぇ。メリー、輝夜」
私は思いついたことをそっと2人に打ち明けた。
◇
太陽が海の向こうに沈んでいく。少しだけ早い、秘封倶楽部の活動の時間。ギラギラと照り付ける光がないと夜の海というものは黒く、恐ろしい。巨大な何かがうねり、叫び、今にも私たちを飲み込まんとしている。おあいにくさま、私たち秘封倶楽部は夜の闇でこそ輝きを増す。世界の真理よりも正確な情報を与えてくれる星空。私の瞳が、位置と時間を捉える。メリーの瞳が世界の隙間、結界をより強く、鮮明に映し出す。常闇こそ私たちの得意とする世界だった。
「いくわよ、メリー、輝夜、魔理沙。今夜の秘封倶楽部の活動は岬の洞窟に眠る黄金、もとい財宝! ローレライもなんのその!」
「ローレライか、思い出すなぁ」
「幻想郷に居るの? ローレライ」
輝夜が眼を輝かせながら魔理沙にたずねる。
「ああ、居る。とびきりうまいヤツが」
「うまいって……声、唄?」
「いんや、料理。八目鰻の蒲焼が滅茶苦茶美味いんだ」
「ず、ずいぶんと日本的ね」
魔理沙の一言でローレライの魔女のイメージが屋台のおばちゃんに大暴落だわ。幻想郷に行けたら是非見てみたいものね。そんな他愛ない会話を繰り返しながらザクザクと砂浜を歩く。やがてザクザクとした音がしなくなり、足元が岩場に変わる。
「気を付けて歩いてね。目的地はもう少し先だから」
「あれ……?」
メリーが立ち止まる。今更怖気づいたわけではない。
「ん?」
「ねぇ蓮子。私ね、ずっと落ち武者かなんかだと思ってたけど、どうも違うみたい」
メリーの視線は岬の上を泳いでいる。私は護身用にもってきた櫂を握りしめた。メリーが視ているのが人ならざるものならこれでも正直不安なのだけど。
「んー……あっ。そういうことか、ということはつまり……」
「ちょっとちょっとメリー。一人で結論に辿りつかないでよ」
「あ、ごめんなさい。でもね、行けばわかると思う」
岬の洞窟は崖の中腹にある。財宝を隠してくださいと言わんばかりの場所だった。
「魔理沙、お願い」
私から櫂を受け取ると魔理沙が跨りふわりと浮かぶ。続いて魔理沙の後ろに私が乗る。
「三人以上は勘弁な、重い」
「じゃあ私と魔理沙の二人で行ってくるから、メリーと輝夜は待っててね」
「残念ね、色々と」
がっかりするメリー。
「蓮子、魔理沙、気をつけてね」
対照的な輝夜。よし、これからは輝夜に先に声をかけよう。なんてね。
「じゃいくぜ」
魔理沙と私を乗せた櫂はゆっくりと洞窟の入り口へ辿りつく。流石に長年人が入った形跡がないみたいで、獣臭い。
「これは……」
メリーの言っていたことはすぐにわかった。高さ三メートル、幅二メートル、奥行きは10メートルもない。外からは分からなかった事実だ。
「行き止まり、だな。まさかこんなに早く詰まるなんてな」
「きっと隠し通路かなにかがあるんじゃない、探しましょ」
いや、だってメリーがここの上で何かを視たってことは、何もないってことは無いはず。いざとなれば魔理沙の魔法でドーンとやれば見つかるかもしれない。
「あ」
「どうしたの魔理沙」
「探すのはやめだ。蓮子」
魔理沙は何か小さなものを拾い上げた。
「ひょっとして何か見つけたの?」
「……蓮子。外の世界でも珍しいものは珍しいんだよな?」
「ものにもよるけど……」
「だったら、見つけた」
魔理沙は櫂にまたがって浮かぶ。そうして洞窟の天井近くでしばらく静止すると、私の眼の前に降りてきた。
「暗くてわからないか、これならどうだ?」
魔理沙は八卦炉に魔力を込めると少しだけ火を灯す。ランタンのように光る八卦炉が照らし出した天上には一面の、
「燕の巣……!?」
「そういうことだぜ。こっちでも燕の巣は珍味なんだろ。幻想郷じゃ紫のヤツが気まぐれに持ってくるくらいしか供給がないからな。天然の養殖場ってコトなんだろうな」
「っていうか、食べられるの……?」
「うん……?」
古い文献では見たことがある気がする。少なくとも現代の私達が食用にするって話は聞いたことが無い。魔理沙は地面に落ちてしまった雛に気がつき、拾い上げたのだった。
「ここは、このままにしておくのがよさそうよね」
「だなぁ。蓮子も知らないんじゃ流石にこりゃ売れそうにもない」
私と魔理沙は鳥の楽園を荒らさないようにその場を後にした。
◇
帰り道、朝焼けに染まる中、列車に揺られて私たちは力尽きる。サークル活動としては落第点。財宝発掘としても落第点。骨折り損っていう言葉がなによりも今の私たちにふさわしい。私の肩にもたれかかって眠る魔理沙の頭を撫でながらメリーと反省会をする。
「ん。やっぱりね。視えてたのは鳥の怨念みたいな霊体だったからね」
「だったらはじめっから言ってくれればいいのに」
「いや、だって。行く前からがっかりさせちゃって、もしホントに財宝があったら大損じゃないの」
「まったく……メリーはそういうところ、ちゃっかりしてるわよ」
「でも楽しかったでしょう?」
「そりゃ、まぁ」
メリーはメリーで眠る輝夜の頭を撫でている。輝夜の失われた記憶について、少しでも手がかりがつかめればと思ったのだけど、こっちもあまり進展がなかった。それでもいつかは、輝夜が自分の記憶を思い出してくれるように願うのだ。例えそれが悲しく、辛い記憶だったとしても。大丈夫、輝夜にはわたしたちが居る。どんなことだって乗り越えられる。……は、ちょっと言い過ぎだったかしら。まぁ、そういうことにしておきましょ。
今日の収穫。
満点の夏の思い出。
「ところでメリー。私の下着は?」
「知りませんわ」
-終-
珍しい組み合わせを堪能できました。