四月一日。
念願の四月一日である。祭りの日だ。
前年の経験を踏まえ、一年間の時を経た今、リグルはついに学習した。
そう。自分の出番が無いのなら。
自分から、SSに出演しに行けば良いのだと。
「ふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅおおおおおおおおおおおぉるぃゃぁあああああああああああああ」
謎の叫び声を漏らしながら、リグルはひた走っていた。奇態な声とは裏腹に、驚くほど軽快かつスマートなフォームで夜道を一目散に走り抜ける。
傍から見ればただの危険人物だが、そこは妖怪、人間から怖がられる分にはおーるおっけー、とリグルは開き直っていた。でも友達に見られたらちょっと恥ずかしくてヤケ酒してしまう自信がある。
普段の地味っぷりとはかけ離れたその大胆さ、そして気合いの入りっぷり。リグルを知る者が見れば、常には無いその奇行に驚くより他無いであろう。
もちろん、理由がある。
一年前のあの日――ヨーソローホイサッサーを経験し、リグルは、一つの結論にたどり着いていたのだ。
「自分から動かないと、何も変わらない……!!」
一年前の四月一日――ヨーソローホイサッサー当日。
その日、リグルは会場をちらちらと覗きつつ、自分の出番を今か今かと待っていた。
そうだ。あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
一日限りの祭りの中、刻一刻と過ぎ去る時間。SS出演のお呼びがかからないのに、それでも会場をちらちらと覗く自分。
親しい友達が会場に呼ばれるのを、寂しい思いで見送りながら、いつか自分もと思って待ち続けて。
あまりにも出番が無いものだから、不安で仕方が無くなり、しまいにはミスティアに恥ずかしい姿まで見せてしまい。
そして、その結果。
「そうよ、あの時は嬉しかった!」
そう――
日が暮れた頃からようやく、リグルにお呼びがかかったのだ。
幽香があいさつの魔法を使った時は、なぜか物干し竿に干されることになった(著:アン・シャーリーさん)。
人を食べることについて疑問に思った時は、デリカシーの大切さを身をもって思い知った(著:橙華おとうちゃんさん)。
みんなで星に願い事をかけた時は、リグルなりの素直な願望を星に願った(著:双角さん)。
橙が海賊になった時は、橙を始めとした仲間のみんなと一緒に、厳しい航海を楽しんだ(著:PNSさん)。
色んな配役があったが、リグルにとっては全部、ありがたい出番だったのだ。
そう。
だからこそ、リグルは思う。
「みんなに楽しんでもらうためにも――今度は、自分から出番を作るんだ!」
だからリグルはひた走る。
今度は、ただ自分の出番を待つのではなく。
自分から、SSに出演しに行くために。一年後の今日、SS得点診断テストという、新たなお祭りの会場へと。
だというのに。
「あやあやあやや、これはこれは、地上をのろのろ走る影が見えたから何かと思えば、リグルさんでしたか」
「げぇっ、天狗!?」
そんなリグルの決意をあざ笑うように現れたのは、毎度おなじみ射命丸。
小憎らしい笑みがキュートなあんちくしょうだ。美人なのは認めざるを得ないが、しかしなぜか殴りたいその笑顔。
「あやや、『げぇっ』とはご挨拶。それにお下品ですね、とても女の子とは思えません! ああ、なるほどつまり」
「女の子だよ!」
「何も言ってませんよー? そんなに自分が女の子であることをアピールしたいんですかー?」
「ぐっ、そ、そういうわけじゃないけど……!」
リグルにとって苦手な人間・妖怪は数あれど、その中でも射命丸文はトップクラスに苦手な相手だった。
比較的素直な性格のリグルに対して、文は何十倍も性格が捻じれ曲がっている(注:リグルの主観です)。一度からかわれると、毎回毎回、ドツボにハマるほどやり込められてしまうのだ。
リグルが隙だらけなだけ、という説もある。それはさておき。
「で、なんかバカっぽい叫び声をあげて走ってましたけど、何やってたんですか、こんな夜中に? もう日付も変わりそうな夜中に?」
「う、うう、ほっといてよ!」
「そう、日付が変わりそうですね、三月三十一日から四月一日に! すなわち祭りの日に! そしてリグルさんが走るその方向には、おやおやー? あっちにあるのはSS得点診断テストの会場じゃないですかー?」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」
蹴りたい。
わざわざリグルの走る格好を真似して併走しながらからかってくるこのブン屋天狗の顔面を、蹴り飛ばしてしまいたい。
でも絶対に蹴れない。たやすく回避されるに決まっている。以前にも何度か蹴ろうとしたことはあったのだ。そしてそのたびに、馬鹿にするように紙一重でかわされた。一度など、カウンターで指でほっぺをぐりぐりされた。ほっぺ痛かった。
それに、こんなところで天狗に構っている暇など無いのだ。
そう、リグルの決意はそれほど固い。
「む」
「何よブン屋」
「ここまで言っても走るのをやめないんですか」
「だって、もうすぐ日付変わるし」
「そんなのリグルさんじゃない」
「いや、意味わかんないよ」
「リグルさんはあれですよ、私の中ではチルノさんに次ぐ単細胞生物なんですよ」
「ぐぎぃ!」
思わず立ち止まって蹴りたくなった。なったが耐えた。
ここで天狗の挑発に乗ったが最後、SS得点診断テストの開会に乗り遅れてしまう。リグルの一大決心を、自分の手で台無しにしてしまうことになるのだ。
「むぅ、これでも乗りませんか……私の中では割と自信があった煽り文句だったんですけど」
「後で私とチルノに謝ることを要求する」
「今要求してもいいんですよ? ほらほらいつもみたいに、下手な弾幕を数撃ってみたらいいじゃないですか。バッチリ撮らせていただきますよ」
「…………ふんっ!」
「あ、無視しましたね酷い!」
勝手にからんできたゴーイングマイウェイ天狗なんか知ったことか。リグルの決意は固い。
文を置き去りにせんばかりの勢いでラストスパートをかける。SS得点診断テスト会場まではまだ距離はある、それでも、速度を緩めるつもりは無い。
もちろん。
「あややー、寂しいですよー構ってくださいよー。天狗は一人にすると死んじゃうんですよー?」
「嘘つけ!!」
このパパラッチ天狗を置き去りになど、できるはずもないのだが。
「でもですね、リグルさん。はやる気持ちもわからなくはないですけど、ちょっとよく考えてみてくれませんか?」
「何よ!」
「急いで会場に向かう、一番……は無理にしても、早い段階でSSに出演して注目を浴びる。それは確かに良いことかも知れません」
「そうよ、それの何がいけないのよ!!」
「でも、リグルさん、他のSSでの出番あるんですか?」
瞬間。
リグルの心臓が止まった、気がした。
つられて、顔から血の気が引き、脳が凍りつき、感覚を失った手足がぎくしゃくとばたつき、倒れ込みそうになって。
「ふんっ!!」
だんっ、と地面を強く踏みしめ、さらに加速する。
倒れ込みそうになった勢いを逆に利用し、前のめりに疾走する。
一瞬見失いかけた目的を見据えて、リグルはまっすぐ走る。
「だってですね、去年の出演作が五つでしたっけ? それだって、何の奇跡かってくらいに幸運なことだったんですよ?」
そう。その通りだ。
「私のような人気キャラならともかく、リグルさんみたいな、人気投票で下から数えたほうが早いくらいのWinボスだったら、時期が過ぎるごとに存在感が薄くなるじゃないですかー」
射命丸文は正論を言っている。それが、リグルにはよくわかる。
「一部のコアな層にはやたらと愛されてるらしいですけど、ぶっちゃけ少数派ですよね。某リグルブログにしても、カップリングみたいな相方的立ち位置ならまだいいほうで、幽香さんみたいな人気キャラのおまけとか、ミスティアさんやルーミアさんやチルノさんに対するツッコミでしかなかったりとか、ちびっ子組揃ってる中でも地味キャラ枠としてのポジションとか、TRPGリプレイ風動画のいちプレイヤーでしかないとか、しまいには1ボス全員集合とか永夜抄キャラ全員集合とか。何と言いますか、『お前それ本当にリグルメインって言えるの』っていう作品まで紹介しちゃってるじゃないですかー、週刊とか通信とかマスメディアっぽい名前を冠してさらにその中央にリグルと銘打っておきながら、本当にそれでいいと思ってるんですか?」
わかってる。本当によくわかってる。わかってるからもうそのへんで勘弁してくださいお願いします。
「ねえ、リグルさん。わかりますか? あなたの出番なんてそのくらいに、大変珍しい、貴重なものなんですよ?」
「――わかってるよ! だから何だってのよ!!」
「私なら、そのリグルさんの出番を作ってあげられる――そう言いたいのですよ」
「!?」
リグルは――
それでも、足を止めない。
止めないが、文の言葉も無視できない。
そして、リグルが耳を傾けていることをよく理解しながら――文は言葉を続けた。
「自分で言うのもなんですが、私は自他共に認める人気キャラです。人気というだけではなく、便利キャラでもあるのです。
霊夢さんとお茶を飲みつつ賑やかな博麗神社で戯れるも良し、負けず嫌いな魔理沙さんを煽って人間のライバル役を演じるも良し。はたてや椛、にとりといった個性豊かな妖怪たちと面白おかしい日常を過ごすも良し、幻想郷の名所を駆け抜けて大物妖怪たちからネタを収集するも良し。そして勿論あなたたち、ちびっ子妖怪と親交を深めつつ、新たなネタを拾うもまた良し。
ええ、自分から言うのもなかなか恥ずかしいものはあるのですが……私と一緒にいれば、出番には事欠きませんよ」
そんなことを、リグルの耳元で。リグルと併走しながら。
まるで恥ずかしげの無い様子で、文はささやきかけてくる。
「なに、恥ずかしいことではありません。今日一日だけでいいんです。みんな、お祭りの空気に浮かれきっている。一日くらい普段と違う行動を取っていても、何も怪しまれたりしませんよ」
「つまり、何が言いたいのよ!?」
迷いを振り切るように、リグルが声を荒げる。
迷いを誘うように、文は余裕げにささやいた。
「決まってるじゃないですか。一日、私の後ろにぴったりくっついて来ればいいんですよ。
あなたは私と一緒にいれば出番が増える。私はあなたをオモチャのように弄び、そして、慌てふためくあなたの、コントさながらの大活躍を記事にできる。
ほら、誰も損しないじゃないですか。あなた一人で突っ走るより、よっぽど有意義な一日の過ごし方ですよ」
それは、本当に魅力的な誘いだった。
だから。
「ほら、リグルさん。意地を張るのはやめて――立ち止まって、こっちに手を伸ばしてくださいな。あ、蹴り足でも構いませんよ? 今日は受け止めて差し上げますから」
蠱惑的な笑み、健康的な立ち振る舞い、底意地の悪い誘惑の声。
そのどれもが、リグルにとって、本当に魅力的だったから。だからリグルは。
「文」
「はい!」
「ごめんなさい!!」
リグルは、足を止めなかった。それどころか、さらに加速しようとする。
「え……ええーー!?」
何かを期待していたのか、文の反応が遅れた。その文を差し置いて、リグルは猛然と走り去る。
ラストスパートに入ってから何分経っただろう。体はすっかり汗だくになり、ぜえぜえと激しく息切れもしている。
体が、心が悲鳴を上げる。ここまで苦しい思いをするほどの理由が、本当にあるのかと。
そして、その悲鳴に何度も答える。
理由は、ある。
出番を求める、理由が。
それは。
「見えた……!」
ついに目的地、SS得点診断テスト会場がリグルの前に姿を現す。一日限りのお祭り会場、リグルにとっては何にも代えがたい晴れ舞台。
まだほとんど人も集まっていない、その会場に。
まだ、ほとんど誰もいないはずなのに――リグルは、幻視する。
チルノの、元気いっぱいにはしゃぎまわる姿。
ルーミアの、能天気そうに飛び回り、ごちそうにかぶりつく姿。
ミスティアの、時に楽しそうに、時に切なそうに、本当に自由に歌う姿。
幽香の、大妖精の、橙の、メディスンの、ヤマメの、レティの、妹紅の、慧音の、リリカの、一輪の、ぬえの、ムラサの、ナズーリンの、パチュリーの、フランドールの、さとりの、こいしの、阿求の、魔理沙の、霊夢の、他にも他にも……ちょっとムカつくけど、文の姿も。
たくさんの妖怪が、人間が、友達が――とっても楽しそうに、お祭り騒ぎに興じている。はっきりと、リグルにはそれが視える。
そう。
リグルは、羨ましかった。
「私も、みんなと一緒に……!」
同じように、出番が欲しかった。
別に数で競うつもりは無くても、出番自体が少ないと、やっぱり寂しかった。
出番が少ないからと言って、そんなことは恥ではないと、頭ではわかっていても。
それでも、自分に自信が持てなくて――胸を張って、みんなと一緒にいたかったから。
だから。文の後ろを、従順についていくのではなくて。
文と肩を並べても恥ずかしくない、ありのままの自分でいたかった――
「到、着……!」
ゴールテープは無い。
観客も、まだほとんど入ってきていない。知り合いだって、何人いるかもわかったものではない。
それでも、リグルはゴールした。
目的を、達成したのだ。
「着いた……着いたんだ!」
疲れ切って倒れてしまいそうな体で、何とか踏ん張る。
がくがくと足は震え、視界は明滅する。体は熱を持って汗を蒸発させ、それでも胸は加減知らずに、どくんどくんと早鐘を打つ。
今、この瞬間倒れても、誰もそれを責めはしないだろう。
それでもリグルは、立って、胸を張っていたかった。
それは、誰に主張するものでもない――ただ、自分だけの誇り。
自分の意思で、一つの願いを叶えたこと。
自分だけの勝利を、立って、顔を上げて、真っ向から享受したかった。
「あ、ああ……」
知らず、声が漏れた。
一度漏れ出すと、それは止まらない。
「あああ……あああ、あああああ!」
意味など無い呻き、叫び。
別に声を出したかったわけでもない、それなのに、やめようという気にもなれない。
自然に、心から生まれた大声。リグルの熱い体から生まれ出た、原始的な喜びの声。
「ああああああああああ、あああああああああああ!!」
ああ、と叫びながらリグルは思う。
ミスティアはいつも、こんな気持ちで歌っているのかも知れない。
ミスティアのように上手く歌えるわけではない。リグルの叫びは、他の誰かが聞いても歌だとは思わないだろう。
だけど、ここには自由があった。
とてつもない感情の奔流、体じゅうが沸騰しそうなほどの生の喜び。
ああ、生きている。
全身で、リグルは自分の生命を感じた。
「ああああああああああああああああ、ああ、あ……」
叫びきったと思ったら、ふっ、と目の前が暗くなった。
「あ、れ?」
と、つぶやくことができたかどうか。
とっくに、限界だったのだ。SS得点診断テスト会場にたどり着いた時点で、全力を尽くしきっていた。
ああ、倒れる、と他人事のようにリグルは感じる。生の興奮が大きかっただけに、気を失う瞬間もあっけなく訪れるのか、とも思った。
そして、浮遊感を感じたかと思うと。
「おっと。そんな素直に倒れられると思ってたんですか?」
「ふぇ?」
はっしと、誰かに抱きかかえられていた。
自分の体を抱く、細い腕。細いのに、力強い。
抱かれる感触から、リグルの体に現実感が戻ってくる。意識が、視界が回復する。
目を上げた。憎たらしいあんちくしょうの顔があった。
「まったく。私より先に会場入りしておいて、私の目の前で勝手に倒れるなんて、リグルさんは身勝手な妖怪ですね」
「あ、ご、ごめん……ていうか、もう立てるから、離して」
「このまま、ずっと抱きしめたままで会場じゅうを練り歩くのも悪くないかなって思うんですよ。リグルさんの体、あったかい上に細くて柔らかくて抱き心地抜群ですし」
「離せ!」
放っておくといつまでも戯言ばかりしゃべっていそうな天狗から飛び退く。ちょっとふらついたけど、文に弱みを見せ続けるのは嫌だったので、しっかり立って正面から向かい合った。
「何はともあれ、おめでとうございますリグルさん。SS得点診断テスト、出演確定ですね」
「む……ふ、ふん。どうせ、文の出番はもっとたくさんあるとか、もっとかっこいい役どころがあるとか自慢するんでしょ」
「いえいえ、私は本当に感心してるんですよ。私の誘いを突っぱねてまで、リグルさんは自分で決めたことを貫いた。これは、なかなかできるものではありません」
「む……そ、そう、かな」
射命丸文は意地悪だ。リグルはいつもそう思う。
こうやって褒めているようでも、内心ではどう思っているかわかったものではない。それなのに、文に褒められると悪い気はしない。そういうところがずるいと、リグルは思う。
そんな文だから、表面的には嫌いつつも、嫌いになりきれないのだと――こんなやつでも友達なんだろうと、いつも思ってしまうのだ。
「ほら、ぼんやりしてないで行きましょう」
「え、ど、どこに?」
「決まってるじゃないですか、お祭りですよ。お祭りといえば宴会、出店、音楽、弾幕、どんちゃん騒ぎの大騒ぎ! まだ始まったばかりですからささやかなものですけど、ここからどんどん盛り上がっていくんですから!」
「う、うん。そうだよ、そうだよね」
「何を他人事みたいに。その真ん中に、リグルさんも行くんですよ!」
「ええ!? いや、別に真ん中に行かなくても!」
「こんなに早くに会場に乗り込んでおいて何を言ってるんですか! 先陣を切ったなら責任を持って場を盛り上げる! これは宴会の鉄則です!」
「そんな無茶な!」
そんな決まりは無い、聞いたことも無い――と、リグルが反射的に抗議の声を上げる間もあらばこそ。
「リグルさんがもたもたしてるなら、私が先に行っちゃいますよ!」
「あっ……もう! そうはさせるか!!」
さっさと先に行こうとする文に何とか追いついて、リグルは会場の中央へと向かう。
文と肩を並べて――背丈は文のほうが高いけど、ほんの少しだけ背伸びして。
こんなやつでも、大事な友達だと、そう思うから。
一緒に行こうと、リグルは思った。
でもやっぱりその前に蹴っておこうとリグルは思った。
「これはチルノの分! これは私の分! これは私の分で! これは私の分だ!」
「おわっ! とっと! 不意打ちとは! 卑怯ですよ!」
全部避けられた。
友達だとは思うけど、やっぱり憎たらしかった。
念願の四月一日である。祭りの日だ。
前年の経験を踏まえ、一年間の時を経た今、リグルはついに学習した。
そう。自分の出番が無いのなら。
自分から、SSに出演しに行けば良いのだと。
「ふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅおおおおおおおおおおおぉるぃゃぁあああああああああああああ」
謎の叫び声を漏らしながら、リグルはひた走っていた。奇態な声とは裏腹に、驚くほど軽快かつスマートなフォームで夜道を一目散に走り抜ける。
傍から見ればただの危険人物だが、そこは妖怪、人間から怖がられる分にはおーるおっけー、とリグルは開き直っていた。でも友達に見られたらちょっと恥ずかしくてヤケ酒してしまう自信がある。
普段の地味っぷりとはかけ離れたその大胆さ、そして気合いの入りっぷり。リグルを知る者が見れば、常には無いその奇行に驚くより他無いであろう。
もちろん、理由がある。
一年前のあの日――ヨーソローホイサッサーを経験し、リグルは、一つの結論にたどり着いていたのだ。
「自分から動かないと、何も変わらない……!!」
一年前の四月一日――ヨーソローホイサッサー当日。
その日、リグルは会場をちらちらと覗きつつ、自分の出番を今か今かと待っていた。
そうだ。あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
一日限りの祭りの中、刻一刻と過ぎ去る時間。SS出演のお呼びがかからないのに、それでも会場をちらちらと覗く自分。
親しい友達が会場に呼ばれるのを、寂しい思いで見送りながら、いつか自分もと思って待ち続けて。
あまりにも出番が無いものだから、不安で仕方が無くなり、しまいにはミスティアに恥ずかしい姿まで見せてしまい。
そして、その結果。
「そうよ、あの時は嬉しかった!」
そう――
日が暮れた頃からようやく、リグルにお呼びがかかったのだ。
幽香があいさつの魔法を使った時は、なぜか物干し竿に干されることになった(著:アン・シャーリーさん)。
人を食べることについて疑問に思った時は、デリカシーの大切さを身をもって思い知った(著:橙華おとうちゃんさん)。
みんなで星に願い事をかけた時は、リグルなりの素直な願望を星に願った(著:双角さん)。
橙が海賊になった時は、橙を始めとした仲間のみんなと一緒に、厳しい航海を楽しんだ(著:PNSさん)。
色んな配役があったが、リグルにとっては全部、ありがたい出番だったのだ。
そう。
だからこそ、リグルは思う。
「みんなに楽しんでもらうためにも――今度は、自分から出番を作るんだ!」
だからリグルはひた走る。
今度は、ただ自分の出番を待つのではなく。
自分から、SSに出演しに行くために。一年後の今日、SS得点診断テストという、新たなお祭りの会場へと。
だというのに。
「あやあやあやや、これはこれは、地上をのろのろ走る影が見えたから何かと思えば、リグルさんでしたか」
「げぇっ、天狗!?」
そんなリグルの決意をあざ笑うように現れたのは、毎度おなじみ射命丸。
小憎らしい笑みがキュートなあんちくしょうだ。美人なのは認めざるを得ないが、しかしなぜか殴りたいその笑顔。
「あやや、『げぇっ』とはご挨拶。それにお下品ですね、とても女の子とは思えません! ああ、なるほどつまり」
「女の子だよ!」
「何も言ってませんよー? そんなに自分が女の子であることをアピールしたいんですかー?」
「ぐっ、そ、そういうわけじゃないけど……!」
リグルにとって苦手な人間・妖怪は数あれど、その中でも射命丸文はトップクラスに苦手な相手だった。
比較的素直な性格のリグルに対して、文は何十倍も性格が捻じれ曲がっている(注:リグルの主観です)。一度からかわれると、毎回毎回、ドツボにハマるほどやり込められてしまうのだ。
リグルが隙だらけなだけ、という説もある。それはさておき。
「で、なんかバカっぽい叫び声をあげて走ってましたけど、何やってたんですか、こんな夜中に? もう日付も変わりそうな夜中に?」
「う、うう、ほっといてよ!」
「そう、日付が変わりそうですね、三月三十一日から四月一日に! すなわち祭りの日に! そしてリグルさんが走るその方向には、おやおやー? あっちにあるのはSS得点診断テストの会場じゃないですかー?」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」
蹴りたい。
わざわざリグルの走る格好を真似して併走しながらからかってくるこのブン屋天狗の顔面を、蹴り飛ばしてしまいたい。
でも絶対に蹴れない。たやすく回避されるに決まっている。以前にも何度か蹴ろうとしたことはあったのだ。そしてそのたびに、馬鹿にするように紙一重でかわされた。一度など、カウンターで指でほっぺをぐりぐりされた。ほっぺ痛かった。
それに、こんなところで天狗に構っている暇など無いのだ。
そう、リグルの決意はそれほど固い。
「む」
「何よブン屋」
「ここまで言っても走るのをやめないんですか」
「だって、もうすぐ日付変わるし」
「そんなのリグルさんじゃない」
「いや、意味わかんないよ」
「リグルさんはあれですよ、私の中ではチルノさんに次ぐ単細胞生物なんですよ」
「ぐぎぃ!」
思わず立ち止まって蹴りたくなった。なったが耐えた。
ここで天狗の挑発に乗ったが最後、SS得点診断テストの開会に乗り遅れてしまう。リグルの一大決心を、自分の手で台無しにしてしまうことになるのだ。
「むぅ、これでも乗りませんか……私の中では割と自信があった煽り文句だったんですけど」
「後で私とチルノに謝ることを要求する」
「今要求してもいいんですよ? ほらほらいつもみたいに、下手な弾幕を数撃ってみたらいいじゃないですか。バッチリ撮らせていただきますよ」
「…………ふんっ!」
「あ、無視しましたね酷い!」
勝手にからんできたゴーイングマイウェイ天狗なんか知ったことか。リグルの決意は固い。
文を置き去りにせんばかりの勢いでラストスパートをかける。SS得点診断テスト会場まではまだ距離はある、それでも、速度を緩めるつもりは無い。
もちろん。
「あややー、寂しいですよー構ってくださいよー。天狗は一人にすると死んじゃうんですよー?」
「嘘つけ!!」
このパパラッチ天狗を置き去りになど、できるはずもないのだが。
「でもですね、リグルさん。はやる気持ちもわからなくはないですけど、ちょっとよく考えてみてくれませんか?」
「何よ!」
「急いで会場に向かう、一番……は無理にしても、早い段階でSSに出演して注目を浴びる。それは確かに良いことかも知れません」
「そうよ、それの何がいけないのよ!!」
「でも、リグルさん、他のSSでの出番あるんですか?」
瞬間。
リグルの心臓が止まった、気がした。
つられて、顔から血の気が引き、脳が凍りつき、感覚を失った手足がぎくしゃくとばたつき、倒れ込みそうになって。
「ふんっ!!」
だんっ、と地面を強く踏みしめ、さらに加速する。
倒れ込みそうになった勢いを逆に利用し、前のめりに疾走する。
一瞬見失いかけた目的を見据えて、リグルはまっすぐ走る。
「だってですね、去年の出演作が五つでしたっけ? それだって、何の奇跡かってくらいに幸運なことだったんですよ?」
そう。その通りだ。
「私のような人気キャラならともかく、リグルさんみたいな、人気投票で下から数えたほうが早いくらいのWinボスだったら、時期が過ぎるごとに存在感が薄くなるじゃないですかー」
射命丸文は正論を言っている。それが、リグルにはよくわかる。
「一部のコアな層にはやたらと愛されてるらしいですけど、ぶっちゃけ少数派ですよね。某リグルブログにしても、カップリングみたいな相方的立ち位置ならまだいいほうで、幽香さんみたいな人気キャラのおまけとか、ミスティアさんやルーミアさんやチルノさんに対するツッコミでしかなかったりとか、ちびっ子組揃ってる中でも地味キャラ枠としてのポジションとか、TRPGリプレイ風動画のいちプレイヤーでしかないとか、しまいには1ボス全員集合とか永夜抄キャラ全員集合とか。何と言いますか、『お前それ本当にリグルメインって言えるの』っていう作品まで紹介しちゃってるじゃないですかー、週刊とか通信とかマスメディアっぽい名前を冠してさらにその中央にリグルと銘打っておきながら、本当にそれでいいと思ってるんですか?」
わかってる。本当によくわかってる。わかってるからもうそのへんで勘弁してくださいお願いします。
「ねえ、リグルさん。わかりますか? あなたの出番なんてそのくらいに、大変珍しい、貴重なものなんですよ?」
「――わかってるよ! だから何だってのよ!!」
「私なら、そのリグルさんの出番を作ってあげられる――そう言いたいのですよ」
「!?」
リグルは――
それでも、足を止めない。
止めないが、文の言葉も無視できない。
そして、リグルが耳を傾けていることをよく理解しながら――文は言葉を続けた。
「自分で言うのもなんですが、私は自他共に認める人気キャラです。人気というだけではなく、便利キャラでもあるのです。
霊夢さんとお茶を飲みつつ賑やかな博麗神社で戯れるも良し、負けず嫌いな魔理沙さんを煽って人間のライバル役を演じるも良し。はたてや椛、にとりといった個性豊かな妖怪たちと面白おかしい日常を過ごすも良し、幻想郷の名所を駆け抜けて大物妖怪たちからネタを収集するも良し。そして勿論あなたたち、ちびっ子妖怪と親交を深めつつ、新たなネタを拾うもまた良し。
ええ、自分から言うのもなかなか恥ずかしいものはあるのですが……私と一緒にいれば、出番には事欠きませんよ」
そんなことを、リグルの耳元で。リグルと併走しながら。
まるで恥ずかしげの無い様子で、文はささやきかけてくる。
「なに、恥ずかしいことではありません。今日一日だけでいいんです。みんな、お祭りの空気に浮かれきっている。一日くらい普段と違う行動を取っていても、何も怪しまれたりしませんよ」
「つまり、何が言いたいのよ!?」
迷いを振り切るように、リグルが声を荒げる。
迷いを誘うように、文は余裕げにささやいた。
「決まってるじゃないですか。一日、私の後ろにぴったりくっついて来ればいいんですよ。
あなたは私と一緒にいれば出番が増える。私はあなたをオモチャのように弄び、そして、慌てふためくあなたの、コントさながらの大活躍を記事にできる。
ほら、誰も損しないじゃないですか。あなた一人で突っ走るより、よっぽど有意義な一日の過ごし方ですよ」
それは、本当に魅力的な誘いだった。
だから。
「ほら、リグルさん。意地を張るのはやめて――立ち止まって、こっちに手を伸ばしてくださいな。あ、蹴り足でも構いませんよ? 今日は受け止めて差し上げますから」
蠱惑的な笑み、健康的な立ち振る舞い、底意地の悪い誘惑の声。
そのどれもが、リグルにとって、本当に魅力的だったから。だからリグルは。
「文」
「はい!」
「ごめんなさい!!」
リグルは、足を止めなかった。それどころか、さらに加速しようとする。
「え……ええーー!?」
何かを期待していたのか、文の反応が遅れた。その文を差し置いて、リグルは猛然と走り去る。
ラストスパートに入ってから何分経っただろう。体はすっかり汗だくになり、ぜえぜえと激しく息切れもしている。
体が、心が悲鳴を上げる。ここまで苦しい思いをするほどの理由が、本当にあるのかと。
そして、その悲鳴に何度も答える。
理由は、ある。
出番を求める、理由が。
それは。
「見えた……!」
ついに目的地、SS得点診断テスト会場がリグルの前に姿を現す。一日限りのお祭り会場、リグルにとっては何にも代えがたい晴れ舞台。
まだほとんど人も集まっていない、その会場に。
まだ、ほとんど誰もいないはずなのに――リグルは、幻視する。
チルノの、元気いっぱいにはしゃぎまわる姿。
ルーミアの、能天気そうに飛び回り、ごちそうにかぶりつく姿。
ミスティアの、時に楽しそうに、時に切なそうに、本当に自由に歌う姿。
幽香の、大妖精の、橙の、メディスンの、ヤマメの、レティの、妹紅の、慧音の、リリカの、一輪の、ぬえの、ムラサの、ナズーリンの、パチュリーの、フランドールの、さとりの、こいしの、阿求の、魔理沙の、霊夢の、他にも他にも……ちょっとムカつくけど、文の姿も。
たくさんの妖怪が、人間が、友達が――とっても楽しそうに、お祭り騒ぎに興じている。はっきりと、リグルにはそれが視える。
そう。
リグルは、羨ましかった。
「私も、みんなと一緒に……!」
同じように、出番が欲しかった。
別に数で競うつもりは無くても、出番自体が少ないと、やっぱり寂しかった。
出番が少ないからと言って、そんなことは恥ではないと、頭ではわかっていても。
それでも、自分に自信が持てなくて――胸を張って、みんなと一緒にいたかったから。
だから。文の後ろを、従順についていくのではなくて。
文と肩を並べても恥ずかしくない、ありのままの自分でいたかった――
「到、着……!」
ゴールテープは無い。
観客も、まだほとんど入ってきていない。知り合いだって、何人いるかもわかったものではない。
それでも、リグルはゴールした。
目的を、達成したのだ。
「着いた……着いたんだ!」
疲れ切って倒れてしまいそうな体で、何とか踏ん張る。
がくがくと足は震え、視界は明滅する。体は熱を持って汗を蒸発させ、それでも胸は加減知らずに、どくんどくんと早鐘を打つ。
今、この瞬間倒れても、誰もそれを責めはしないだろう。
それでもリグルは、立って、胸を張っていたかった。
それは、誰に主張するものでもない――ただ、自分だけの誇り。
自分の意思で、一つの願いを叶えたこと。
自分だけの勝利を、立って、顔を上げて、真っ向から享受したかった。
「あ、ああ……」
知らず、声が漏れた。
一度漏れ出すと、それは止まらない。
「あああ……あああ、あああああ!」
意味など無い呻き、叫び。
別に声を出したかったわけでもない、それなのに、やめようという気にもなれない。
自然に、心から生まれた大声。リグルの熱い体から生まれ出た、原始的な喜びの声。
「ああああああああああ、あああああああああああ!!」
ああ、と叫びながらリグルは思う。
ミスティアはいつも、こんな気持ちで歌っているのかも知れない。
ミスティアのように上手く歌えるわけではない。リグルの叫びは、他の誰かが聞いても歌だとは思わないだろう。
だけど、ここには自由があった。
とてつもない感情の奔流、体じゅうが沸騰しそうなほどの生の喜び。
ああ、生きている。
全身で、リグルは自分の生命を感じた。
「ああああああああああああああああ、ああ、あ……」
叫びきったと思ったら、ふっ、と目の前が暗くなった。
「あ、れ?」
と、つぶやくことができたかどうか。
とっくに、限界だったのだ。SS得点診断テスト会場にたどり着いた時点で、全力を尽くしきっていた。
ああ、倒れる、と他人事のようにリグルは感じる。生の興奮が大きかっただけに、気を失う瞬間もあっけなく訪れるのか、とも思った。
そして、浮遊感を感じたかと思うと。
「おっと。そんな素直に倒れられると思ってたんですか?」
「ふぇ?」
はっしと、誰かに抱きかかえられていた。
自分の体を抱く、細い腕。細いのに、力強い。
抱かれる感触から、リグルの体に現実感が戻ってくる。意識が、視界が回復する。
目を上げた。憎たらしいあんちくしょうの顔があった。
「まったく。私より先に会場入りしておいて、私の目の前で勝手に倒れるなんて、リグルさんは身勝手な妖怪ですね」
「あ、ご、ごめん……ていうか、もう立てるから、離して」
「このまま、ずっと抱きしめたままで会場じゅうを練り歩くのも悪くないかなって思うんですよ。リグルさんの体、あったかい上に細くて柔らかくて抱き心地抜群ですし」
「離せ!」
放っておくといつまでも戯言ばかりしゃべっていそうな天狗から飛び退く。ちょっとふらついたけど、文に弱みを見せ続けるのは嫌だったので、しっかり立って正面から向かい合った。
「何はともあれ、おめでとうございますリグルさん。SS得点診断テスト、出演確定ですね」
「む……ふ、ふん。どうせ、文の出番はもっとたくさんあるとか、もっとかっこいい役どころがあるとか自慢するんでしょ」
「いえいえ、私は本当に感心してるんですよ。私の誘いを突っぱねてまで、リグルさんは自分で決めたことを貫いた。これは、なかなかできるものではありません」
「む……そ、そう、かな」
射命丸文は意地悪だ。リグルはいつもそう思う。
こうやって褒めているようでも、内心ではどう思っているかわかったものではない。それなのに、文に褒められると悪い気はしない。そういうところがずるいと、リグルは思う。
そんな文だから、表面的には嫌いつつも、嫌いになりきれないのだと――こんなやつでも友達なんだろうと、いつも思ってしまうのだ。
「ほら、ぼんやりしてないで行きましょう」
「え、ど、どこに?」
「決まってるじゃないですか、お祭りですよ。お祭りといえば宴会、出店、音楽、弾幕、どんちゃん騒ぎの大騒ぎ! まだ始まったばかりですからささやかなものですけど、ここからどんどん盛り上がっていくんですから!」
「う、うん。そうだよ、そうだよね」
「何を他人事みたいに。その真ん中に、リグルさんも行くんですよ!」
「ええ!? いや、別に真ん中に行かなくても!」
「こんなに早くに会場に乗り込んでおいて何を言ってるんですか! 先陣を切ったなら責任を持って場を盛り上げる! これは宴会の鉄則です!」
「そんな無茶な!」
そんな決まりは無い、聞いたことも無い――と、リグルが反射的に抗議の声を上げる間もあらばこそ。
「リグルさんがもたもたしてるなら、私が先に行っちゃいますよ!」
「あっ……もう! そうはさせるか!!」
さっさと先に行こうとする文に何とか追いついて、リグルは会場の中央へと向かう。
文と肩を並べて――背丈は文のほうが高いけど、ほんの少しだけ背伸びして。
こんなやつでも、大事な友達だと、そう思うから。
一緒に行こうと、リグルは思った。
でもやっぱりその前に蹴っておこうとリグルは思った。
「これはチルノの分! これは私の分! これは私の分で! これは私の分だ!」
「おわっ! とっと! 不意打ちとは! 卑怯ですよ!」
全部避けられた。
友達だとは思うけど、やっぱり憎たらしかった。
おいしいリグルさんごちそうさまです
ありだと思います>文リグ